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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第二部 彼女の別れと再会
45/213

2-3 切って捨てたもの


     ◆


 食堂の店主はカンという名前で、食堂の名前も「カンの店」となっている。

 妻の女性はイクというらしいけど、本人がそう声にしたのではなく、紙に文字を書いて「イクと言います」と見せてくれた。その字がハッとするほど美しいので、私は目を丸くしてしまった。

 カンは私に指導らしい指導をせず、店で接客するのはほとんどやりたいように任せてくれた。

 教えてくれたのは、銭を置いておくところと、客の注文を覚えるささやかなコツくらいである。

 仕事はいつも二十二時近くに終わるから、必ず空腹だった。開店は十一時なので、開店後はすぐに昼食を食べる客がやってきて、私は駆け回ることになる。おおよそ十五時くらいに客足が緩やかになるので、そこでちょっとしたものを食べることはできるけど、とても落ち着いて食べるというわけにはいかない。

 それはカンもイクも同じだから、特に文句はない。

 イクは声が出せなくても、明るい笑顔と身振りでうまく客とやりとりする。私より達者かもしれない、と思うほどだ。

 カンも明るい性格だけど、接客はそれほどやりたがらない。

 もしかしたら女性が給仕した方が客が喜ぶとか、そういう理由かもしれない。

 カンの店に落ち着いて一週間で感じたのは、イクは純粋にまっすぐな性格だけど、カンはどこかに屈折したものがあって、はっきりとはわからないけど、どこかに引け目か負い目がありそうだった。

 私は二十二時過ぎに三人で食事をしてから、そっと外へ出て二時間ほど剣を素振りした。

 頭の中にあるのは、幼馴染の姿だった。

 きっと今も、あいつは剣術の稽古をしているだろう。私もそれに負けてはいられない。銭を得るために仕事をするのは絶対に必要だとしても、だからって剣を捨てるつもりはなかった。

 仮にこのままカンの店で、平和に、穏やかな日々を過ごせるとしても、やっぱり私は戦場に立ちたいという思いを持ち続けて、最後にはそっとここを出ていくだろう。

 私には私の決めた生き方があり、目指すものがあった。

 剣を振っているところへ、カンもイクも出てくることはない。私も特にそれは気にしなかった。

 剣を振れば振るほど、疲労が溜まっていくのが実感としてあった。明らかに度を越した稽古だけど、正直、止める勇気がなかった。

 結局、不安なんだ。

 このまま自分がどこかに消えるかもしれない。

 このまま何もかもを諦めるかもしれない。

 ミテアの町へ来て、一ヶ月が過ぎた。カンの店は毎日、大勢の客がやってくる。安いし、量も多いし、品数も豊富だと私もわかってきた。

 何度か、傭兵らしい男たちがやってきたけど、私は素知らぬ顔で観察した。

 傭兵にも様々なものがいる。丁寧なものもいれば、粗雑なものもいる。静かに食事をしたり、大勢で騒いだり、そんなところにも差がある。

 ただ、食事の様子だけでその傭兵の技量を測るなんて、とてもじゃないができなかった。

 藤の傭兵隊の、あの男のことが何度も脳裏をよぎった。

 私の敗北の記憶。恥ずかしい経歴。

 そんな苦悩というほどでもない苦悩が、深夜、私の体を奮い立たせて、がむしゃらに剣を振らせる。

 その日も私は剣を振っていた。食事も終わり、ほんの短い時間だけど、自分らしいと言える時間。

「何を目指している?」

 いきなりの声にも動じず、私はピタリと剣を止めて、声の方を振り返った。

 カンの食堂の建物の裏手で、私は建物に背を向けていたので、そこにカンがいることに声をかけられるまで気づかなかった。忍び足で近づいたわけではないだろう。

 彼は裏口のすぐ横に立っていた。扉をひっそりと開けるくらいの工夫はしたかもしれない。

 私は黙って月明かりの中で、カンを見た。

 薄暗くて、彼の顔はよく見えなかった。

「何を目指している?」

 もう一度、落ち着いた低い声でカンが言った。

「傭兵です」

 返事はないし、動きも無かった。静かに二人の周囲を夜の風が吹き抜けただけ。

 何か、我慢比べのような沈黙の後、カンがため息を吐いた。

「傭兵になって、どうする?」

 やっと、いつになくカンの声がトゲトゲしいのが理解できた。

 私を責めているのだろうか。でも私が何を目指そうと、どんな稽古をしても、自由なはずだ。

 私が答えずにいると、カンが話題を変えた。

「見た目はちょっと大人びているが、まだ十代だろう。親はどうした。どこの生まれだ。それが言えるか?」

 答えづらいけど、今度ばかりは答えないわけにはいかなかった。

 私自身の決意と決断に、自分で泥を塗ることになると思った。

「親も故郷も、捨てました」

「なぜ?」

「私を、束縛するからです」

 すんなりと言葉にできたけど、自分の言葉の残酷さに、少しだけ背筋が冷えた。

 両親は決して悪人ではない。故郷だって、そう悪いところじゃなかった。

 でも今、私はそういうものをまとめて、否定したのではないか。

 言葉を尽くせば、両親は私のことをわかってくれたかもしれない。時間がかかったかもしれないけど、ありえないことではない。

 それを私は、一方的に切って捨てていた。

 待てない、というただそれだけで。

 私の中に懊悩が芽生えた一方で、カンはほとんど気配を変えなかった。

 一度、強く夜風が吹いて、今はひとつに結んでいる私の長い髪を大きく揺らした。カンの前髪も風になびいた。

「どこの出身だ、とは聞かないでおく」

 そう言いながら、カンは背中を預けていた建物の壁から離れた。そして扉へ向かいながら、チラッとこちらを振り向いた。

「お前の剣は、お粗末だよ」

 そんな言葉を残してカンが建物の中に消えたけど、私は同時に複数の疑問に襲われ、混乱していた。

 出身地をなぜ聞かないでおいてくれるのか。

 私の剣がお粗末とは、どういうことか。カンに心得があるのだろうか。

 そして最後、ちょっとカンが笑ったように見えたのは気のせいか。

 私は一人きりで夜の中に立ち尽くして、しばらく裏口の扉を見ているしかできなかった。




(続く)

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