2-2 無力
◆
藤の傭兵隊の支部はすぐに見つかった。
二階建ての簡単な建物で拍子抜けしてしまった。看板も古びている。
気合を入れて扉を開けようとすると、内側からそれが勢いよく開いたので、危うく跳ね飛ばされそうになった。
出てきたのは三人組の若い男で、武装しているけれど軽装と言っていい。腰にはそれでも剣が見えた。
私をチラッと見てから、三人は大声で何か喋りながら去っていった。
背後に、疑いようもない酒臭さを残して。
私はそれでも逃げるわけにはいかないという一念で建物に入った。
外が昼日中で太陽からの光が眩しいほどなのに、中は薄暗かった。
広い部屋で、テーブルと椅子がいくつも並び、そこで話している男たちがいる。女性も数人だけど見えた。
ただ、受付なんてものはないようだ。
奥へ入り込むのはさすがに気が引けたので、そばにいる男性二人組に声をかけた。
温厚そうな相手を、などという判断はそもそもできなかった。全員がどこか獰猛な獣のような雰囲気なのだ。
「あの」
私の言葉は最初、無視された。
「あの、傭兵隊に入りたいのですが」
その一言で、男たちはやっと会話を止めて、こちらを見た。二人の視線が私を舐めるように眺め回し、一人は舌打ちをして、一人は短く笑った。
「お嬢ちゃん、何か勘違いしているな」
そういったのは笑った方の男で、首筋に刺青が彫ってあるのが見えた。何の文様かはすぐにはわからない。
威圧されても、私は気力の全部でその視線を受け止めた。
「傭兵になりたいんです。どなたにお話すればいいか、教えていただけますか」
その必要はない、と急に男が立ち上がった。
やっと私は気づいたけど、いつの間にか部屋がしんと静まり返っている。
二十人なりの視線が、ひとつ残らず私だけに注がれていた。
「剣を抜きな、お嬢ちゃん。俺に少しでも傷を負わせたら、仲間にしてやるよ」
既に男が剣を抜いている。ちょっとだけ刃が曲がっている。
ほら、と言いながら、さっと剣が振られる。
私はそれを避けた。
避けたが、剣が跳ね上がり、私の胸元を切り裂く。いや、切られたのは服だけだ。
「ほらほら、剣を抜いたほうがいい」
言いながら、男の剣が私を切り払ってくる。避けても避けても、切っ先が引っかかるような感覚がある。
しかし切られるのは服だけだ。皮膚には傷が付いていない。
私の回避の方に分があるのか。
さっと私は剣を抜いた。
殺す必要はない。ただ一筋、切りつければいいのだ。
「はい、終わり」
いきなり男がそう言って、素早く剣を横に薙いだ。
何が起こったか、すぐにはわからなかった。
唐突に私の着ている服がバラバラになって床に落ちた。
下着だけになった私は、愕然と剣を持って立ち尽くすしかなかった。
目の前にいる男は、私に傷を負わせなかったのだ。意図的に、服だけを切っていった。それも巧妙に、一箇所を切るといっぺんに服がちぎれるように、計算して切っていっていた。
私は思わず座り込み、瞬間、部屋中が笑いに包まれた。
私はただ震えて、泣き出したいのをこらえていた。
誰かが、「シーツでも持ってきてやれよ」とおどけて言っている。
それから何があったのか、私は路上に本当にシーツ一枚と一緒に放り出され、すぐそばに荷物と剣が転がってきて、ついに泣き崩れるしかなかった。
惨め、というのはこういうことを言うのだろう。
私が何か間違ったことをしたのか。
傭兵になろうとしたのが、間違いだったのか。
涙はなかなか止まらなかったけど、往来で泣いている自分というのも、やはり惨めだ。
目元を手で拭い、立ち上がり、荷物を拾い集めた。
服を手に入れないといけない。それから、仕事だ。
でも私に、何ができる?
行くあてもなく歩きながら、頭の中では何度も何度も、あの男の剣の動きを反芻していた。
特別な振り方ではない、構えでもない。
しかしいたずらをする程度には技量があった。そして狡猾だった。
ああいう技もあるのだ。
私やリツが使っていたような技とはまるで違う。亜流かもしれないけれど、技は技、か。
結局、私はその日、服を買って、狭い路地のようなところで夜を明かした。そして夜明けとともに仕事を探し、小さな食堂で給仕の仕事をどうにか得ることができた。
食堂を経営しているのは若い夫婦で、夫人は耳は聞こえるが言葉は喋れないという。店主の男性は人が良さそうな人で、しかし「不真面目なものは嫌いでね」とはっきり口にする程度には自分の考えをはっきり持っていた。
初日から、私は給仕の仕事をして、料理の皿を運び、空いた皿を片付け、客が帰った後のテーブルを拭い、新しい客を案内し、そんな慣れないことをひたすら続けた。
騎士家の娘がやることではない、とは思わなかった。
何をしてでも、私は生きないといけない。
そしていつか、あの藤の傭兵隊の男に、仕返しをしたい。もっと力をつけて、技を身につけて、見返してやるんだ。
そうなった時、私はやっと一歩、先へ進めるだろう。
夜更けに最後の酔っ払った客が帰っていくのを見送り、私はへとへとに疲れ切って、座り込みたいほどだった。
そこへ店主の夫人がやってきて、微笑みながら、私の頭を撫でた。
年齢では十ほど違うだろう。この時、私には彼女が姉のように見えた。
店主が厨房の方から顔を出し、「食事にするぞ」と言った。
食事、という言葉が、私の胸を打った。
レオンソード騎士領を出てから、食事というのは、一人きりで腹に食べ物を収める、単純な作業だった。
そうか、今日からは少なくとも一人ではないわけか。
行きましょう、というように夫人が私の手を引いた。
引っ張られて、私は明るい店の奥へ進んだ。
(続く)