1-42 再会
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俺が戦場に向かう日、オー老師はなかなか起きてこず、結局、俺は彼を宿の部屋に置き去りにした。
戦場へと傭兵を向かわせる荷馬車が四台が待機していて、俺はジュンとイリューとそれに乗り込んだ。
ジュンはいかにも実用主義的な装いだが、ところどころに女性らしさがある。今まで気づかなかったが、耳に飾りが付いている。具足の下の服も兵士が着るようなものではなく、染料で染められている鮮やかなものだ。
それよりもイリューは派手すぎるほどだった。
武器は例の長い刀だが、手甲は真っ赤な金属でできている。鮮やかな朱色だった。具足も複雑なデザインだし、何よりそれらの上に黒字に金糸や銀糸で刺繍が施された外套を着ていた。
戦場に立つというより、衣類を作る職人の新作を発表する舞台に立つモデルのようだった。
そんなイリューだが、意外に傭兵たちから浮くようではない。傭兵たちは揃って、どこかにそういう洒落たものを身につけているせいだ。
イリューは亜人らしい美貌なので、服装が豪奢なのが余計に映える、という見方もできる。
そんな仲間や周りの傭兵と比べると、俺は極端に地味で、みすぼらしいのだった。
しかしとにかくは、戦場だ。
荷馬車が動き出す。そうすると傭兵たちの態度もそれぞれに変わってくる。
仲間とおしゃべりをするもの、一人で目を閉じているもの、武器を点検するもの、眠るもの。
そんな全員に共通して言えることは、緊張に覆われているということだ。
喋っていても、目をつむっていても、何をしていても、どこかに張り詰めたものがある。
俺はジュンに話しかけようと思ったが、やめた。手元で抱えている刀の刃の状態を確認したかったが、それはもう先に済ませてある。眠るには、俺はあまりにも落ち着かなかった。荷馬車が揺れることもある。
ジュンは目を閉じ、イリューも目を閉じている。何を考えているかは、わからない。
少なくとも新人の緊張をほぐそう、ということはないらしい。
どれくらい、揺られただろうか。荷馬車が停車し、外からは人の掛け声が聞こえる。
傭兵たちが一斉に荷馬車を降りていくので、俺はイリュー、ジュンに続いて降りた。
土塁が見えるが、前に見たものよりは低い。そして今回は、どこまでも塹壕が伸びている。空堀のようだが、幅は狭く、曲がりくねっている。
腐臭がするのを感じ、そうか、ジュンが愚痴をこぼしていたな、と気付いた。
魔物の鳴き声が聞こえるのは土塁の向こうだ。どうやらその土塁が今の防衛線らしい。
傭兵を指揮するものの声に新しくやってきたものが集合する。そのまま自然と塹壕に入った。
入ってみると、薄暗い。深さが人の背丈ほどある。ただ幅は人が三人はすれ違える。今、そこには弓矢を装備しているものがうずくまっていた。死体ではない。
傭兵たちにここからの攻勢について最終確認があった。先にルッツェの拠点で事前の軍議は開かれていた。
土塁の向こう側へ進出し、まずは今、戦闘をしている部隊と入れ替わる。
次に押し返し、最も近い塹壕から魔物を排除する。そしてそこを確保し、安全を保ったまま後続の弓隊がやってくるのを待ち受ける。
時間もないのだろう、すぐに作戦が始まった。
「とりあえずはついてきなさい」
ジュンがそう言ったので、俺は無言で頷き返した。
塹壕に用意されている飛び出せる段から傭兵が上がっていき、土塁へ駆ける。
土塁の緩い傾斜を這い上がると、どこまでも続く平野が見えた。
平野と言っても、丘が無数に連なっている。
そこに、蠢いている集団がいくつもはるか遠くまで見えた。
魔物だ。
総数は数え切れない。
すぐそばで魔物の群れが押し寄せるのを跳ね返している傭兵がいる。新しい傭兵たちが、そこへ突っ込む。
戦っていた者たちが巧妙に入れ替わるために後退し、その隙間を俺たちが埋める。
俺のすぐ横に、ジュンがいる。
まずジュンの剣が魔物を仕留め、傭兵を一人後退させる。その横で俺はジュンを狙う魔物を切り倒していた。
次々と魔物はやってくる。
体は動く。緊張は、今は闘志に変わっている。恐怖はどこかへ消えていた。
恐怖している暇はない。今は戦わなければ、死んでしまう。
何体を切ったか忘れたが、心は冷静だった。ジュンや、名前を知らない傭兵をフォローして、全体として前進するのを目指す。
どこかで何か鈍い、低い音がすると思った時、「魔獣だぞ!」と誰かが叫び、事前に決められた鉦が鳴り始めた。
魔獣の出現の知らせだ。
魔獣は魔物の中でも巨体を持つものの総称で、大きさは人間の数倍はある。
先ほどからの異常な重低音はその足音で、今では地面が揺れ始めている。
もちろん、魔獣の姿も見えた。
同族のはずの魔物を跳ね飛ばし、巨大なイノシシのようなものがこちらへ突っ込んでくる。
襟首を掴まれ、それがジュンの手だと気付いた時には、俺は引きずり倒されていた。
魔獣を見ていて、魔物の接近を許していた。
ジュンの剣が魔物を刺し貫き、俺も素早く刀を繰り出してその魔物の息の根を止める。
「行くよ!」
ジュンが駆け出す。俺はわずかに遅れて続いた。
魔物は魔獣の存在で混乱している。魔物の間を、次々と切りつけながら走り抜けるジュンは、かなり早い。置いていかれそうだ。
しかしここでジュンを一人にすれば、彼女が包囲されて、終わってしまう。
傭兵たちがジュンと俺に続く。
一直線に魔獣の一体へ。
巨大な鼻先をジュンが横に転がって避けざま、剣の一撃で足を薙いだ。魔獣の足から黒い飛沫が飛び、がくりと折れる。
俺の番だった。
地面を蹴り、魔獣の頭に飛びつく。
もちろん、刀を突き立てた。深く、根元まで。
だが、刀が鈍い音を立てて、折れた。
魔獣はまだ生きている。
頭が振られ、しがみつくこともできず、振り落とされていた。
地面に墜落し、勢いのまま転がる。あまりの激しさに魔物を二体ほど巻き込んだ。
全身が痛み、意識が曖昧だった。
顔を上げる。
魔獣が片足を引きずって、こちらに押し寄せてくるのが見えた。まさに、押し寄せてくるようだった。
逃げ場はない。
武器もない。
手甲の数字を瞬間、意識した。
ここのところずっと、俺は自分のファクトについて考えていなかった。
手甲の数字は、三〇。
意識が瞬間でその数字を一〇〇〇に変えた。
今にも俺を轢殺しようとした魔獣に、俺は手甲を叩きつけた。
刹那、爆発が起きた。
手甲がバラバラになったが、魔獣の顔が跳ね上がる。抉れたようだが、しかし物理的に突進していた魔獣の巨体の動きは止まらない。
轢き潰される。
死んだ。
さすがに観念した。
俺は魔獣の死体が自分をすり潰すのを、ただ見ていた。
いや、見るはずだった。
何かがすぐ横を吹き抜けた。
魔獣の身体が真っ二つになる。
俺の体はその二つの巨体の残骸の狭間で、ただ、呆然と座り込んでいた。
地響きとともに魔獣だったものが停止する。
すぐ横に誰かが立っている。
長い金髪をひとつに結んで、青い瞳が俺を見る。
その顔の額の左側から、目元を縦断し、頬まで刃傷があるのがよく見えた。
俺は、その顔をよく知っている。
昔は、刃傷はなかったけど、それ以外は何も変わっていない
「ユナ」
思わず俺が声を漏らすと、彼女はちょっと口角を上げた。
それだけで、手元に持っていた長い槍を振り回すと、周囲にいる魔物を薙ぎ払った。槍の刃の力ではない威力だった。刃が触れた魔物は、まるで消し飛ぶように体が抉れて、倒されていく。
俺の見ている前で、幼馴染は縦横無尽に、魔物を殺戮していった。
まさに、伝説に聞く英雄のように。
(第一部 了)




