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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
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1-39 必要な逃避


      ◆


 オー老師の生活は極端だ。

 起きている時の大半は酒を飲んでいる。しかも起きている時間では酩酊状態ではない時間の方が短いほどだ。あとは寝ている事になる。

 真っ昼間でも酒のせいで昏倒するように眠り、なかなか起きず、日が暮れかかった宵の口にいきなり目覚め、食事と酒を要求したりする。

 最初こそ、日が暮れたばかりに起き出したオー老師を放っておこうとしたけれど、それが時間の無駄だと考え直し、俺はオー老師の生活リズムに合わせて稽古を続けた。

 なので、篝火が焚かれている明かりとささやかな月明かりの下で、真剣を抜いてオー老師とぶつかりあることになる。

 そこはさすがに顧問をしているだけあって、周囲の光量など少しも気にせず、技は冴えに冴えている。

 稽古をしている間にわかってきたことは、この老人は酒を飲めば飲むほど、技の切れ味が上がってくる。ボトル一本に口をつけた時と、ボトル四本を飲み干した時ではまるで別人のような厳しさだ。

 ただ、さすがに四本から五本を飲み干すと、酔いが深すぎて意識が曖昧になり、寝てしまう。

 ここが傭兵の基地、拠点だから酒がいくらでもあるけれど、ルスター王国軍の野営地は元より、正式な基地拠点などになれば、酒がそんなにあるわけもない。そういう意味では、この老人は傭兵たちの間でしか生きられない、ちょっと不憫な存在でもある。

 ただ、さすがに傭兵たちも自分たちが戦場から生き延びてきて、やっと酒を飲んでの一時的な精神的弛緩を求めているのに、どこの馬の骨とも知らない老人がガンガン酒を飲みまくっているのは気分が悪いようだ。

 表立って文句を言ってこないのは、俺がこの老人に打ちかかり、それを老人が翻弄しているのを目の当たりにしているからかもしれない。

 仮にオー老師がただの飲んだくれなら、放り出されただろう。

 傭兵の中には、じっと俺とオー老師を観察する者もいて、さらに少数ながら、俺が一人で食堂で食事をしているところへ来て「あの爺さんは何者だ?」と確認する者もいる。

 確認されても、「教師のような人で」と曖昧であやふやなことしか言えない。

 俺が、正式に人類を守り隊に加わっているという実感を持っていないし、オー老師は俺に何かを教えているようでもなかった。

 超実戦的で非論理的なやり方がオー老師のやり方で、それでも教師と表現するには抵抗があった。ここでこうしたらいい、などと身振りで教えることもないし、言葉さえも使わない。

 俺とオー老師は、ただ刃を交えることで、何かを探しているようなものだ。

 俺たちの稽古を眺めている傭兵たちは、あるものは長く興味を持ち、あるものはあっさりと去っていく。笑っているものもいれば、呆れているものもいる。

 そんな周りのことをどうこう感じる余裕もなく、俺はオー老師と向き合った。

 俺は刀を抜いているのに、オー老師が剣を抜くことはない。

 オー老師が傷を負うことはなく、俺は何度も打ち据えられ、身体中に青あざができた。生きた岩のお陰で翌日には消えているが、普通の体だったら酷い有様になったはずだ。

 一週間ほどの間に、オー老師はおそらく五十本以上の酒瓶を空にして、一筋の傷も負わなかった。

 深夜、オー老師は目覚め、俺はやっぱり耳元の床が強く打たれる音で叩き起こされた。

 用意していた食事を差し出す。宿ではオー老師の部屋を用意しようとしたが、面倒だ、と一蹴されていた。結局、俺は自分の部屋の床に布団を敷き、オー老師は寝台を占領している。そのことに関しては顧問という立場もあるし、指導してもらっているのだから不満は言えない。

 この老人の食事もやはり独特で、肉は少量で、野菜も少量しか食べない。食べるものはパンとか粥とか穀物から作られるもので、それだったら逆になんでも食べる。固いパンだろうと、冷えたパンだろうと、文句は言うが完食する。

 俺もそれが分かってからは、ほどほどに肉と野菜を加減して用意していた。それに関しての文句も愚痴のようには言うが、必要は感じるらしく少量の肉や野菜も食べることは食べる。

 ともかく、また夜に稽古だ。

 俺は起き出して支度をした。具足はもう何日も身につけていなくて、刀だけを持てばいい。オー老師が先に立っていく。

 この夜、外に出るとまだ昼間の熱が空気に残っていた。

「若造、これだけははっきりさせよう」

 俺が刀を抜こうとした時、いつからか宿の部屋に備蓄されている酒瓶の一つの栓を抜きながら、オー老師が言った。

「ファクトは時に有効だがな、最後に力を発揮するのは基礎的な力だ。体力、腕力、気力、そんなものが最後の一線で意味を持つ」

 俺が黙っている前で、顔をしかめながら指に力を込め、音を立てて栓が抜けてどこか闇の中へ消えていった。

「わしが教えているのは、それだけだ」

 初めて言葉らしい言葉での指導だった。

 俺が問いかけたのは、なんとなく、今、質問すれば答えてもらえると感じたからにすぎない。

「オー老師のファクトは、セイバーか何かですか」

 バカめ、とすぐに返事があった。

「そんな都合のいいものがあれば、今頃、わしは引く手数多で、お前に剣術など教えるものか」

「では、なんなのですか?」

 ぐっと酒瓶の口から直接に果実で作られた酒を飲んでから、ふぅっとオー老師が息を吐いた。

「わしのファクトは、タフネス、だ。驚くだろう」

 正直、驚いた。

 タフネスというのはノーマル・ファクトと呼ばれるものに限りなく近いファクトだ。

 持久力が人より高いファクトで、戦場でも役立つが、それでも戦士というよりは、伝令などで重宝されることが多い。例えば長時間、走り続けることなどが可能なのだ。タフネスのファクトの持ち主でも最高峰のものは、馬よりも早く情報を届けられるというものもいる。馬は潰れるが、タフネスのファクトを持っているものは潰れないとか。

 しかし、オー老師は毎日、昏倒している。タフネスとは真逆に見える。

 俺はどうやら表情に感情が露骨に出てしまうらしい、オー老師が舌打ちするのでそれが分かった。

「わしがまるで体力がないから不思議に思っているのだろう。昔はまだマシだった。しかしさすがに歳をとりすぎた。ファクトなどでは補えないのだよ、老いというものはな」

 いつも通りの、ぶっきらぼうで、つっけんどんな口調だったはずが、その奥に見え隠れする感情はなんだろう。

 悔しさ、だろうか。

 俺が見ている前で、月明かりの下で老人は勢いよく瓶を傾けた。

 始めるぞ、と言って彼が瓶を地面に置く。一緒に持ってきた未開封の酒瓶が三つ、すぐそばにある。

 身勝手な発想だけど、オー老師のために、という思いで俺は刀を抜いた。

 自分が衰えていくこと、年老いたことを、俺の相手をしている間は忘れられるのではないか、と思ったのだ。

 きっと余計なお世話だったし、そんなことでは何も解決しないだろう。

 この時だけ、忘れられるだけのことだ。

 そういう逃避だって必要だと俺は思った。俺にだって必要だし、オー老師にも必要だ。誰にも必要なんじゃないか。

 俺は刀を構えた。

 昔、ヴァンに指導された時、ユナと技を競った時、ジュンに教えてもらった時、そしてオー老師の指導を受けた時、そんなすべてが今、何故か一直線に繋がっている気がした。

 月の光が降り注ぐ中で、俺が構えているところへ、オー老師が飛び込んでくる。

 こちらも飛び込む。すれ違う。

 二筋の光が閃いた。

 そう、二筋だ。

 俺の刀はオー老師には届いていない。

 オー老師の剣の切っ先も、やはり俺に届かなかった。

 初めて、オー老師が剣を抜いていた。

 月の光の中で、オー老師は剣を構え、姿勢を変えない。口を閉じて、いつもの愚痴は一つもない。

 瞳を見る。険しい目元で、月光を反射する二つの眼が、こちらを見ている。

 俺は姿勢を変えられなかった。

 動けない。

 動けば、切られる。

 汗が噴き出す。瞬きができない。まつ毛に汗がたまる。

 向かい合う、剣が揺れる。

 揺れたと見たときには間合いはない。

 刀が動くが、遅い。

 こちらの刀が届く前に、オー老師の剣が俺の首筋に触れ、皮膚を一枚だけ、わずかに食い込んでいた。

 その痛みより先に、首筋を血が一筋流れる感触の方が早かった。

「まだまだ」

 くぐもった声で、オー老師はそう言って剣を引く。そして間合いを取ると、闇の中でよく見えないが、笑ったようだった。

「これからはわしも剣を抜くとしよう。具足をつけるかね、若造?」

 俺は胸が苦しくなるのを無理して息を吸い、吐く息ばかりの掠れた声で「必要ありません」と答えた。

 やっと、オー老師の剣術の本当の姿が見られる。

 それは具足がなくても、俺を殺すことはないはずだ。

 力が、技が違いすぎる。

 彼には手加減する余裕があり、俺には何もない。

 具足があっても、俺はいつでもオー老師に切り捨てられる。それほどの差だ。

 よかろう、と低い声で言い、オー老師が剣を構え直した。

 俺は呼吸を整えようとしたが、目の前から圧迫してくる気配に、ぎこちなく胸が震えただけだった。



(続く)

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