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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
37/213

1-37 破天荒

     ◆



 老人は俺が運び込んだ宿の部屋で寝台に寝たまま、ほとんど動かなかった。

 いびきが止むことがないので生きているのはそれでわかるけれど、それにしては安らかすぎる寝顔で、いびきが止まったら死体と大差ないだろう。

 夕方になり、まだ老人が寝ているので、俺は一人で食事に行った。

 ジュンが戦場へ行く前に食堂で使える身分証を渡してくれたので、それを見せれば料理は受け取れる。

 もう長くこのルッツェにいるけれど、俺には知り合いらしい知り合いもいない。

 一人の食事は味気なくはないけれど、どこか作業のようではある。

 老人のために何か食べ物を用意しよう、とこちらは銭を出してパンに肉を挟んだものを買った。売っているのは兵士みたいな大柄な体格の男で、何度か利用しているけれど極端に無口だ。

 彼が口にするのは「何が欲しい?」という問いかけと、何イェンか伝えるのと、「毎度あり」という礼だけである。世間話はなし。ただ、それがありがたい時もある。

 宿へ戻ると、老人はまだ眠っていた。いびきがする。生きているらしい。

 極端な倒れ方をしたからどこか痛めていたら困るけれど、そんなそぶりもない。

 それでも起きた時、確認するべきだろう。

 俺は寝台を老人に占領されているし、薄手の上掛けも老人にかけてやっているので、仕方なく明かりを小さくして、床に寝転がった。

 眠れそうもないのに眠ってしまうあたり、俺も相当に疲れているようだ。

 物音で目が覚めた時、眠ったのはほんの数時間のような気がした。

 目をこすって、薄明かりの中で老人の方を見ると、上体を起こした彼の瞳がギラギラと光ってこちらを見ている。

「おはようございます」

 反射的にそう言ってから、朝ではないだろう、と分かってきた。

「食物はあるか」

 老人の声はハキハキとしている。やっぱり昼間は相当に酔っ払っていたのだろう。

 俺は小さなテーブルの上に置いておいた、例のパンに肉を挟んだだけのものの包みを、彼に手渡した。老人は寝台に腰掛け、それを受け取るが礼も何も言わない。

 様子を観察していると老人は包みの中を確認し、「肉はいらん」と皺だらけの手で肉を引っ張り出し、こちらに突き出してくる。

 文句言わずに食べればいいものを。

 肉を受け取り、俺はそれを口に突っ込んだ。冷えているけれど、そこそこに美味い。値段を考えれば十分に美味いと言ってもいい。

 肉を咀嚼する俺の前で、老人はもそもそとパンを食べている。そちらには特に文句はないらしい。年齢のせいで脂っこいもの、味が濃いものはいらない、という主張だったのかもしれない。

 でも人からもらった食べ物に、文句は言わない方がいいと思うけど。

 パンを食べ終わると、老人はちょっと雰囲気を和らげたが、眉間のシワはよく見える。

「酒はあるか」

「俺は飲みませんからありませんよ」

「酒を飲まない剣士など、剣士の風上にも置けん。買ってこい」

 老人の言葉に、さすがに頭が痛くなった。

 どこまで身勝手なんだ。

「今は店なんてやってないですよ。明日の朝、買ってきますから、とにかく寝てください。まだ日も上がってないはずです」

「戦場に朝も昼も夜もあるか」

 いや、ここは戦場ではないんだけど。

 ぶつぶつと文句を言いながら、老人は寝台に横になり、今度こそ眠りについた。またいびきが聞こえ始める。いびきで安心するのも変だけど、この老人の相手はあまりしたくないな、と思う自分がいる。

 俺も床に寝なおしたが、さすがにすぐには寝付けなかった。

 少し眠ったと思うと、耳元で激しい音がして、跳ね起きていた。

 なんだ? と思って視線をやると、老人が仁王立ちになって、俺の耳元で床を剣の先で打ったのだとわかった。

 険しい視線に、俺もさすがに睨み返していた。

「朝だ、若造。酒だ」

「朝から酒を飲むような身分なのですか、ご老人は」

 起き上がった俺の足を老人の剣が打とうとするが、昨日とは違い、動きが露骨だったのでひょいと躱すことができた。

 不機嫌そのものの顔で、「避けるな」と低い声で言ってから、一人で老人は部屋を出て行ってしまった。

 もうどうとでもなれ、と俺は身支度を整え、外へ出た。

 朝だが、まだ明け方と言っていい。外は静まり返っていて、まだ人の姿も少ない。

 ここへ来てからも早朝に走ることは続けている。ルッツェのこの集落のような傭兵たちの基地の周りをぐるっと一周する道筋で五周ほどすると、ちょうどいい。

 走り始めて五周する頃には太陽も上がり、傭兵たちも起き出していた。

 宿へ戻るが、老人の姿はない。

 昨日は変に絡んできたけど、どこかに知り合いでもいたのかもしれない。あの老人が傭兵ということはないはずで、どこかの傭兵隊の指南役だろうか。

 そう考えるとあの技の冴えも頷ける。

 セイバーのファクトを持っているのかもしれない。

 そんなことを思って食堂へ行くと、空気がいつもと少し違った。

 食事中の傭兵たちが、ちらちらと同じ方向を見る。

 そちらを見ると、卓の上に酒瓶を置いた例の老人が、どこかの傭兵を相手に説教していた。説教されている方は逃げようとしているが、老人が席を立とうとするのを襟首をつかんで引き留めている。

 関わらない方が良さそうだ。

 俺がそっと離れて移動しようとすると「若造、こっちへ来い!」と声がかかった。

 無視しようとしたが、食堂中の傭兵が俺を見ているのがわかる。

 観念して、俺は老人の前に進み出た。それまで捕まっていた傭兵は解放され、やれやれという顔でどこかへ消えた。

 俺が目の前に立つと、老人がこちらに眼を細める。

「今まで何をしていた。寝ていたわけではあるまいな」

「運動をしてきました」

「具体的には」

「走り込みです。習慣です。ご老人は何を?」

 世間話をしたいわけではないが、質問されるより質問する方が楽だ、と直感的に気づいた俺だった。老人の難癖に答えるより、老人に適当な質問をして答えさせる方が俺の労力は段違いに軽い。

 老人は傲然と頷いて、グラスに酒を並々と注ぎ、掲げて見せた。今にも琥珀色の酒が溢れそうだった。

「酒で意識をはっきりさせていた。やはり酒があると、目が醒める」

 ……どういう意味だ?

 混乱した俺に、老人が「ジュンは仕事か?」と質問してくる。

 質問された、と思った次に、ジュン、という言葉が理解できた。

「ジュンさんを知っているのですか?」

「当たり前だ」

 老人がグラスの中身を飲み干し、ゲップをした。

「あの小娘に剣術を叩き込んだのはわしだ。あの小娘はファクトに頼るきらいがあるが、そこそこの使い手になったな」

 話の流れで、やっと全てがしっくりきた。

 老人が昨日、俺に絡んできたのは気まぐれでもなんでもなく、俺を選んでいたのだ。

「あなたが、人類を守り隊の顧問、という方なんですか?」

「ふざけた名前の傭兵隊だが、ケチケチしていないからな、顧問として参加している」

 本当にこの人が顧問なのだ。

 信じられない。

 ただの飲んだくれの老人じゃないか。

「名を名乗れ、若造」

 ああ、と思わず声が漏れた。飲んだくれでも技はあるのだ。その点でだけ尊敬できる、としておこう。

「リツ・グザと言います。よろしくお願いします」

「わしは、オー・フォンだ。老師などとも呼ばれるな」

 本当かよ。

 黙り込んだ俺の前で、またグラスに酒を満たし、飲み干し、老人がこちらを見たときには、すでに瞳が据わってきている。

「さっさと飯を食え。稽古を始めるぞ」

「え? これからですか?」

「時間は有限だ。すぐにやるぞ」

 だってあんた、そんなに酒を飲んでいるのに、稽古なんてできるのかよ……。

 疑問を読み取られたらしい、老人が顔をしかめる。

「酒は気にするな。飲んだ方がいい時もある」

 ……デタラメだ、この人は。




(続く)

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