1-34 勧誘
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ここをどこだかわからないの? と、いつになく冷ややかなジュンの言葉に、男がニヤッと嬉しそうに笑う。
「ここは傭兵たちの食堂だな。あそこにいる男に用があるんだ」
太い指が示す方を見ると、派手な具足の男が軽く手を挙げる。名前は知らないが、傭兵たちのまとめ役の一人らしい。すぐそばに俺が初めて立った戦場で命令を出していた男の姿もある。
「これからの戦いの打ち合わせだよ」
「それはまた、ご苦労様。話し合いよりも魔物の一体でも切り倒しておいて欲しいわね」
「手厳しいな」
苦り切った笑みに表情を変えてから、例の話だが、とわずかに男が口調を改めた。
「ジュン、うちに来ないか? 悪くない待遇が約束できるし、こんなところで質素な飯を食べる必要もなくなる」
うちに来ないか、というのはジュンをスカウトしているわけで、男の鎧が紫紺騎士団ということは、ルスター王国軍に入らないか、という勧誘か。
俺もレオンソード騎士領で育ったので、紫紺騎士団のことは知っている。
ルスター王国軍の中でも精鋭が揃うのが三つの騎士団で、そのうちの一つが紫紺騎士団だ。
エリートといっても差し支えない。
「前も断ったじゃないの」
ジュンは投げやりな口調で言う。
「そこをなんとか」
「しつこい男は好きじゃないわね。それに今だって別に悪い待遇じゃない」
「自分の才能を生かそうと思わないのか?」
あのねぇ、とジュンもわずかに身を乗り出す。
「紫紺騎士団なんてご大層な名前をつけているけど、兵隊は兵隊よ。傭兵は民間の兵隊で、結局、一人一人の力か、一人一人が他と連携しようとする努力、そういうことをないがしろにした兵隊は、どこか脆いわ」
「自分一人が加わっても紫紺騎士団は変わらないって言いたいのか? ならお前が、騎士団をまとめればいい」
あまりな言い分に、俺の方がハラハラした。
この男は、ジュンを招いて、騎士団を鍛え上げるように誘導しているのか?
そんな話は聞いたことはないけれど、しかし、紫紺騎士団には忸怩たるものがあるのかもしれない。魔物を討滅できないこともだけれど、それ以上に傭兵の力を借りなければいけないのは、軍の存在意義に関わる。
ルスター王国軍は、起爆剤を求めているのだろうか。
大胆な誘惑に、しかしジュンはひらひらと手を振ってみせた。
「そういう面倒なことは嫌い。私は私が面倒を見れる範囲で、面倒を見れる人間だけ、面倒を見ることにしている。百人とか五〇〇人とか、それ以上は嫌なのよ」
「無責任じゃないか?」
「元々、何の責任もないわ。傭兵ですからね。あなたは騎士団の人間なんだから、あなたにこそ責任があるのよ」
男はさすがに一時撤退を決めたようで「勉強になった」と豪快に笑った。
「しかし、お前は傭兵隊の一人で終わらせるには惜しいな」
「ありがとう。でもこれがお似合いだわ」
また話そう、と男は離れていった。待っていた男たちに歩み寄り、何か喋り始めたが距離がありすぎて聞こえないし、あまり興味もない。
それよりもジュンだ。
ジュンは溜息を吐き、グラスの中の水を一息に飲み干した。
「あの男は紫紺騎士団の第三方面隊指揮官で、ハルータという男よ」
食事を再開しながらジュンがそう教えてくれるが、その手元では食器が乱暴に食べ物を口に運んでいる。
「抜け目ない男で、傭兵の中から色々と有望な奴を引っ張り上げている。それを度量が広いとか、実力主義で戦場を知っているとか、評価する向きもあるけど、私はああいう品のないやり方は好きじゃない」
じゃあどういうのが好きなのか、と聞こうかと思ったけど、やめた。
彼女がさっき、あのハルータという男に話した言葉の断片をまとめれば、ジュンは自分で何かを見守るのが好きなんだろう。
まさに、自分で面倒を見る、のがジュンのポリシーらしい。
その彼女が俺に指導をするということは、俺は彼女が面倒を見る範囲にいるらしい。
でも、何故だろう。
ヴァンが連れてきたから、というだけのことだろうか。
「どうしたの? 熱いものは熱いうちに食べた方がいい」
不思議そうにこちらを見やるジュンに気づき、俺は食事を再開した。
しかし頭の中では、まだ自分の立場、そしてジュンが俺をどう見ているか、ということを考えていた。それもあって手の進みが遅く、俺が食べ終わるときにはジュンは退屈そうに頬杖をついて待っていた。
「ちょっと見物に行きましょうか」
席を立ったジュンがそう言って、顎をしゃくるようにした。
二人で連れ立って外へ出ると、すでに太陽は一番高い位置になっている。日差しは強く、風にも湿り気があった。夕立が来るかもしれない、となんとなく考えた。
二人で歩いていくと、不意に周囲にいる人々は変わったのに気づいた。
人間に似ているが、どこか違う。肌が白く、髪の毛もどこか色が白に近いものが多い。灰色や金、銀などだ。そして瞳には思慮深さと、その奥には警戒する色がある。
「ここは……」
「亜人が多いだけよ。みんな傭兵だから、気にしないで」
ジュンは気楽にいうが、突き刺さる視線は敵意こそないが、好意的でもない。
すれ違った何人かがジュンに話しかけるが、亜人の言葉なので俺にはわからない。何か言い合ってお互いに笑っているので、冗談でも交わしているようだけど詳しくは知る術がない。
さらに奥へ進むと、人の掛け声が聞こえてくる。
独特の意匠の幕舎の裏手へ行くと、それが見えた。
上半身裸の亜人の男たちが、刀を振っている。声とともに刀を振る動作は、全体でピタリと揃っていた。
その中にイリューの姿もある。
亜人は顔の造りが美しいとされるけど、なるほど、ここには美男ばかり揃っているようだ。さらにその美をこの場で際立たせているのは、動きのせいもあるだろう。
洗練された何かの舞のようであり、彼らは淀みなくいくつもの複雑な型を繰り出していく。
刀の筋がぶれることはなく、止まる時にはぴたりと静止する。
切り下げる時は落雷、切り上げられる時は逆に地から天へ走る逆向きの雷光だった。
横薙ぎは何かを鎮めるようで、波一つない水面を連想させた。
俺はただ黙って、彼らの動きを見ていた。
亜人の揃った声が、俺の体を打って、震わせた。
(続く)




