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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
33/213

1-33 最善


      ◆


 ほらほら、遅いよ。

 そんな声をかけながら、目まぐるしくジュンが立ち位置を変える。

 剣が迫ってくるのを、俺は身を捻って避けるが、切っ先が具足の肩の部分を削り取っていく。

 戦場から半死半生で帰ってきたときには、俺の具足は使い物にならなくなっていて、すぐに次の具足が用意された。

 でもその具足は戦場で使われることなく、こうしてルッツェの集落の広場でボロボロに変わっていった。

 俺が目を覚ました翌日には、「ちょっと確認しよう」とジュンが俺を引っ張り出し、そうして稽古を始めたのだ。

 その段になって、俺の中にあったささやかな剣術への自信は、粉々に粉砕された。

 そもそも真剣で稽古をするのは危険だ、と言ったのに対し、ジュンは余裕で「あなたの剣が当たるものですか」と言い放った。俺は少し不安に感じながら剣を抜いたが、次には具足の胸元に横一文字に傷跡が付いていた。

 抜き打ちで振り抜いた剣は、全く見えなかった。

 嗜虐的な笑みを浮かべながら、手傷を負わせてみせなさい、とジュンは嬉しそうに言い放った。

 それから俺はジュンに本気で向かって行ったが、傷を負わせることも、その高級そうな具足に新しい傷をつけることも、何もできなかった。

 動きが特別に早いわけじゃない。視認できるのだ。

 しかしこちらの間合いが完全に見切られている。

 剣の長さを把握しているという観察以上に、俺の動きからどこまでが間合いかを詳細に見抜いている。

 その観測を崩せればいいのだが、ジュンの看破はその程度では破れない。

 不規則な動きで間合いを変化させようとしても、ジュンの剣が襲いかかってきて動きを潰されるか、変化さえも把握されて避けられる。

 俺は何度、蹴り倒されただろう。

 剣がすぐそばを走り抜けること、具足に傷をつけることで、もう数え切れないほど冷や汗をかいて、ともすると恐怖に呑まれた。

 やがて気が狂いそうなほどの、様々な感情の激しい渦が何も感じさせなくさせた。

 足を払われ、どっと地面に倒れたところで、起き上がろうとしたが胸を膝で押し潰される。

 構わずに剣を振ろうとしたが、手首を強く打たれ、手から剣が吹っ飛んだ。

 起き上がろうとする姿勢も取れないのは、首筋に剣の刃があるからだ。

 わずかに刃が皮膚に食い込んでいる気もする。

「体力だけは底無しね」

 俺の頬に何かの雫が落ちるのを感じて、それはジュンがかいた汗だった。顎の先から、ポツポツと滴っている。

 俺はやっと冷静になり、細く息を吐いた。

 素早くジュンが立ち上がり、剣を鞘に戻す。

 俺も上体を起こして立ち上がろうとするが、どうしようもなく足が震えていた。

「剣術の筋は悪くないわね。問題は経験と、瞬間的な閃きかな」

 服の袖でジュンは汗をぬぐっている。

 今、彼女は最低限の具足しかつけておらず、戦場に行ったときと比べると軽そうだ。その代わり、着ている服は安物ではなく、見たこともない複雑な染め方がされた滑らかな生地で作られている。

「どこまで踏み込めば死ぬか、それがわかればだいぶマシになる。これは私の主観だけど、斬り合いっていうのは切りつけることを競うものじゃないのよ。切りつけさせない、ということにこそ意味があると思う」

 ジュンはどこか上機嫌そうに解説しているけれど、俺はそこまで明るい気持ちにはなれなかった。

 そんな俺に気づかないのか、気づいていないふりをしているのか、ジュンの口は言葉を紡ぐ。

「イリューなんかは、私とは正反対に相手を切ることに終始しているから、どっちが正しいとも言えないというか、剣術に関する主義主張は人の数ほどあるのでしょう」

 俺はやっと足の震えが止まったので、ふらふらと立ち上がった。

 新しく手に入れた刀を鞘に戻し、自分の具足を確認した。何十回も戦場に立ったような傷み方だけど、ほんの数十分の稽古の結果だった。

「俺は、その」

 声がうまく出ないのは、まだ息切れしているからということだけではない気がした。

「使えませんか?」

 ジュンが目を丸くして、それから堪えきれないように笑い出した。

「イリューとヴァンの賭け事、覚えている?」

 賭け事?

「俺が失禁するかしないか、ですか?」

「そう。下品な話だったけど、結果からすると、あなたは失禁はしなかった。魔物を何体か倒したし、生き延びもした。反則で生き延びたとしてもね」

 何が言いたいんだろう。

 視線を向けていると、「イリューは賭けに負けた」とジュンは愉快そうに言う。

「あの男はだからあなたに刀を向けたのよ。素直じゃないのね」

「でも俺、ほとんど死んでましたし、ジュンさんが助けてくれました」

「でも死んでないでしょ?」

 結局、生き残ることが最善、とジュンは言いたいのかもしれない。

 でも俺が失敗したことで、傷を負ったもの、死んだものがいたのではないか。

 ジュンでさえ、俺を助けることで冒さなくて済む危険を冒したはずだ。

「俺は、お荷物でしたよね」

「背負うにはちょっと重かったかな」

 冗談で応じられることが、逆に辛かった。

 実際、俺は邪魔だったのだ。

 何かができるような気がしたし、自分が役立つ未来があるとも思っていた。

 でも実際は、何もできないし、面倒ごとを作っただけ。

「最初は最初、みんな同じところから始まる。それは肝に銘じなさい。問題はどこへ向かうか、どう歩くかよ」

 ジュンがそう言って微笑み、食事に行きましょう、と誘ってきた。

 俺は無言で頷き、ジュンの背後に続いて、リッツェにいくつかあるという食堂の一つに入った。

 どういう仕組みなのか、こういった集落では、傭兵団や傭兵隊が食堂に物資を提供するため、登録している傭兵はほとんど無料で飲食できる。食堂の体をしているけれど、実際には傭兵たちを支援する後方基地の炊き出し係、ということらしい。

 食堂の一つで俺とジュンは向かい合って、焼きたてのパンとハム、野菜の入ったスープを前にして、今後について話した。

 俺とジュンがいた戦場では、予定通りに紫紺騎士団が魔物を締め上げ、かなりの数を包囲殲滅したらしい。

 それによりだいぶ戦線を押し返して、防衛線の一つを奪還したようだ。

 次に戦場に行くなら、ルッツェに戻るのは効率が悪いから野営し続けることになるだろう、とジュンは予想していた。

 そう話していたジュンが急に口をつぐんだ。顔を上げると、その視線は俺の背後に向けられている。

「おや、電光石火の女か」

 声は俺の後ろから。

 振り返ると、三人の供を連れた立派な鎧の男が立っていた。

 巨漢で、鎧が窮屈そうに見える。背中に巨大な剣を背負ってもいる。

 鎧の胸には、ルスター王国の紋章と、紫紺騎士団の紋章があった。



(続く)

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