1-24 道が開ける時
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日が暮れるまで、久しぶりにやろうか、とヴァンが俺に稽古をつけてくれた。
俺は剣を持っていないので、素早く丸太からそれらしい木の棒を二本作って、それでお互いに動きを確認した。
「基礎的なことはできるらしい」
そんなことを言いながら、しかしヴァンは俺を圧倒している。
どう打ち込んでも避けられる。避けた次には反撃の一撃が俺を打ち据え、足を払う。場合によっては肩でぶつかられ、尻餅をつくこともあった。
俺が諦めずにぶつかっていったからだろう、ヴァンはやめようとは言わなかった。
視界の隅で、チラッとルッコの姿が見えた。あまりにもヴァンが遅いので様子を見に来たのだろう。でも俺にはルッコを観察する余裕はない。
やっぱりヴァンは強い。どこかで剣術を習っただけではないのはよくわかる。形にこだわらないのだ。隙を作るためなら不自然さを受け入れ、セオリーを外れる筋でもこちらを打つことを狙ってくる。
実戦的なのだ。
俺の持っている棒が折れたところで、まだ無事のヴァンの棒が俺の首筋を打ち据えた。
視界がグラっと揺らぎ、膝が折れた。
「おっと、すまん」
ヴァンの言葉に、俺は「いえ」と答えようとしたが、うまく口が動かなかった。
大丈夫か、と問いかけられる声が少し遠かったが、すぐにもはっきり聞こえた。足にも力が入る。立ち上がって俺は、ヴァンに頭を下げた。
「ありがとうございました」
「なに、これから何日か、相手をしよう。しかし体力があるな」
ヴァンの額やこめかみを汗が伝っていた。
遺構の中へ戻り、俺はグラスに水を用意してヴァンに持って行った。
リビングではヴァンとルッコが話している。時計はないが、そろそろ夕食の支度をしないといけない。
「リツが言うには、巨人の指を壊したらしいが?」
ヴァンが急に話題を変えたのがわかった。きっと俺がやってくるのを待っていたのだろう。
とんでもないことだ、とルッコが低い声で言う。彼の手元にはカップがあり、ヴァンもカップを包むようにして持っていた。ヴァンの左手は何か、包帯のようなものでぐるぐる巻きにされているのは最初から気づいていたけど、まだ何も聞いていない。
「巨人に気に入られるのも分からなくはないが、寛容さに感謝しなくてはな」
ルッコがそう評価するのに、ヴァンは笑っている。
「リツ、巨人を一体倒すのに、人間が何人必要か聞いたことはあるか?」
そんなヴァンの問いかけに、俺は正直、想像もできなかったが、「五十人ですか?」と言ってみた。
「馬鹿か」
そういったのはルッコで、カップに口をつけるとこちらを鋭く睨んだ。
「十倍は必要だ。愚か者め」
十倍?
「五〇〇人だ。五〇〇人が巨人を倒すのに必要だ。生き残るのはせいぜい、十人だろう」
四九〇人が死ぬ、ということだろうか。
それはちょっと想像しづらいというか、できなかった。
ただ、巨人のフォルゴラのことを考えれば、ありえなくはない。巨人の岩でできた体は頑強で、その上、俺を運んだ時のように機敏に動くことができる。
人間が五〇〇人必要でも、それはただの人間ではなく勇敢な戦士だろうし、ファクトも持っているのだろう。
「つまりだ、リツ。君のファクトはかなり強力で、ただ、使う相手はいない。考えなくてもわかるが、巨人にダメージを与えるような一撃を人間に向けたら、人体なぞ、簡単に消し飛ぶ」
言いながら、ヴァンはどこか嬉しそうだった。
「しかし、魔物との戦闘では役立ちそうだ」
そういったヴァンにこちらを黙っているしかないけれど、彼には続きの言葉はないらしい。
えっと、つまり、俺は、何かを促されているのかな。
「俺の仕事について、話しておこう」
ヴァンがそっとカップをテーブルの上に置いた。
「実は小さな傭兵隊をやっている。依頼があればどこへでも行くし、大抵の仕事は受ける。少数だが、悪くない顔ぶれだよ。あまりこうやって勧誘したりはしないんだけど、俺はリツ、きみに興味がある」
「俺を仲間にしてくれるんですか?」
母と約束したことは、鷹の賢者と呼ばれるルッコを訪ねることだった。
そこでファクトについて知ることまでは母は言外に匂わせていた。
ファクトを理解した後については母は何も言わなかったのだ。だから俺は、もしルッコが許すのなら傭兵になろうと思っていた。
幼馴染の少女、ユナのことが頭にないわけではない。
というか、どうしてもユナの決断が気になるのが実際かもしれない。
ユナは、十五歳で決断して、生きているなら傭兵か兵士になっているだろう。
俺はただ時間を浪費して、決断を先送りにした。そのことが後ろめたく、どこかスッキリしないのだ。
傭兵になりたい、という強い思いというより、ユナに負けたくない、この思いが強いようだ。
「俺で良ければ、ぜひ、加えてください」
言葉を発するのに、覚悟のようなものも、気負いのようなものも、何もなかった。
道が開けたように感じた。
目の前に光に照らされた道が見えた。
なら、進むしかない。
俺の言葉を受けて、ヴァンがルッコの方を見た。
「面倒を見てやってくれ」
それがルッコの言葉だった。
短い言葉の奥に、俺に対する思いというより、俺の父に対する思いが見えた気がしたけど、確認したわけじゃない。何もかもがわかるわけでない、何もかもを知る必要はないだろう。
いつ、この遺構を出立するか、ヴァンとルッコが相談を始めた。ヴァンの手配で近くにいるハガ族の部族の一つが、ここまで様々な物資を運んでくるようになっているらしい。それと一緒に山を降りればいい、というのが結論となった。
ハガ族のものが来るのは、一週間ほど後だろうという。
ルッタは話が終わると、夕食を用意しろ、と俺に命じた。返事をすると、かすかな声で「料理人としては使えたんだがな」と聞こえた。
俺は思わず笑みを浮かべてしまったが、ルッコには見えないように、そっと彼に背中を向けたのだった。
(続く)