1-22 懐かしさ
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俺はどう声をかけるか迷った末に、「お久しぶりです」と言っていた。
もう長い間、会っていない。そもそも顔を合わせていた期間も短い。俺のことなど忘れていて当然だ。
男はゆっくりと俺の前に立ち、防寒のために口元を追っていた布を下げた。髭が伸びているけど、やはり彼だった。
「どこで会ったかな?」
「五年ほど前に、お会いしました。リウ・ウェラさん」
リウは頭にかぶっていた帽子も脱いだ。目元が隠れていては、しっかり俺を見るのに支障があったのだろう。
口元も頭も露わになると、やっぱり彼はリウだった。
「五年前? どこで?」
「レオンソード騎士領で、剣を教えていただきました。俺は、リツ・グザです」
「レオンソード騎士領……」
そう声を漏らした後、パッと笑顔が広がった。
「あの時の子どもか! なんだ、そう言われてみれば、面影がある。大きくなったな!」
急に間合いを詰められ、いきなり抱き締められた。
何か懐かしい気持ちがしたのは、何故だろう。彼が俺を抱きしめたことはなかったはずなのに。
ぐっと力を込めてから、彼は俺を放した。
「ここにいるってことは、鷹の賢者を頼ってきたのか?」
「ええ、まあ。リウさんも、ルッコさんに用事ですか?」
「古い知り合いだ。前にお前に会った時も、ここへ来る途中だった」
どちらからともなく崖にある遺構に向かい、リウは足を進めながら「名前は変えたんだ」と言った。
「今は、ヴァン・ウェラと名乗っているよ。まぁ、あまり意味はない」
階段を上がり、穴の中へ入っていく。中へ入る前にヴァンは素早く外套を脱ぎ、払った。
勝手知ったる様子でヴァンはリビングへ行き、そこではいつも通りにルッコは本を読んでいた。その顔が上がり、「ああ、あんたか」と全く驚きもせずに声をかけた。
「久しぶりだな、鷹の賢者」
「まだ死んでいないらしいな、リウ」
「今はヴァンと名乗っているよ。それだけ色々あったってことさ」
「ヴァンね。仲間はまだ生きているのだろう?」
空いている椅子にヴァンが腰かけた時、ぼんやりと二人を見ていた俺にルッコがチラッと視線を向けた。お茶を用意しろ、ということだともう何も言われなくてもわかる。
気を取り直して、俺は急いでお茶を用意した。
気を利かせたつもりで、貯蔵庫にある酒の中からボトルを一つだけ、用意しておく。ここには様々な酒があるけれど、特に寒い日にはルッコはよく無色透明の酒を、湯煎して飲むことをしているのだ。
今日はそこまで寒くは無いけれど、それは俺の感覚だし、ヴァンは長い旅を経ているのだから熱燗の方がいいだろう。
とりあえずはお茶を用意して、リビングへ戻った。紅茶を入れたカップを差し出す。ヴァンは特に何も注文をつけずに「ありがとう」とカップを受け取った。
「なんでリツはここにいるんだ?」
お茶を一口、飲んでからヴァンが訊ねてきた。
「ファクトだよ」
俺が答える前に、ルッコが答えた。
「実に愉快なファクトだ。洗礼辞典には載っていない。古い記録を当たるとそれっぽいものがある。だから私が自ら、記録を作るためにこの少年をそばに置いている」
ちょっとだけ驚いたのは、ルッコはあまり俺に興味を持っていないようで、本当にただの助手、というか、家政婦みたいな役割でそばに置いていると思っていたからだ。しかも、冬が過ぎるまで仕方なくそばに置いている、という姿勢だと思っていた。
ヴァンが興味深そうにこちらを見る。
「なんていうファクトだ?」
「リライトです」
「何ができる」
説明に困る質問だった。
これといって、何かができるわけじゃなくて、打撃力などを向上させるだけで、しかも限界がある。正確に言えば、向上には限界がないに等しいけど、対象には必ず限界がある。
「割った薪を見ればいい」
俺が答えに窮しているのを助けるようでもないけど、ルッコがそういった。
「リツ、あとで実際に割るところを見せてやれ」
ならそうしよう、とヴァンはあっさりと引き下がった。
俺も自分の席についてお茶を飲みながら、二人の話を聞いていた。
ヴァンは大陸の中部を移動し続けているらしく、話は主に大陸中部の中央を治めているウェッザ王国の話だった。
ウェッザ王国は極端に財政が不安定になっているようだ。
その理由は魔物との戦場を抱えているため、兵士を抱える必要があるが、それでは戦力を賄いきれずに傭兵を雇うことになっている。傭兵を雇えば、その報酬を払わないといけない。銭か、物資である。しかしそれがないがために、領土の一部を傭兵たちに割譲することになる。
一度、それを始めてしまうと、傭兵たちの食い物にされる。ウェッザ王国としても、傭兵を雇わずにはいられず、結果、さらに領土の中に傭兵領とでも呼ぶべき土地が増える。
この土地からの税収はほとんど全て傭兵に行く取り決めのようで、国が富むわけではない。
さらに有力な傭兵団は、ウェッザ王国を見限っており、兵力は貸しても、決して拠点をそこに置かない。そうなってしまうと、傭兵になりたいものはウェッザ王国ではない国に流出し、また、ウェッザ王国の王国軍に入ることに魅力がなくなってしまう。傭兵となった方が、余程実入りがいいのだ。こうなると王国軍自体が人材不足になる。軍が弱体化すればまた傭兵が必要になり、領土が切り取られ、そして人が不足し、国庫は先細りになる。
「最悪の展開の一歩手前だな」
ヴァンがそう言うと、ルッコは何度か頷いた。
「そもそもからして魔物との戦争が百年は続いているのに、人間の国家が一つに団結できないのが問題だ。この問題を解決すれば、魔物をあるいは封じ込められたかもしれない。しかし人間はそうはしなかった。団結という言葉は、どこかへ消えた」
「俺としては仕事があっていいが、ウェッザ王国はどうするのかな」
仕事があって良い?
俺は思わずヴァンの顔を見ていた。その視線に気づいたのだろう、彼がこちらを見る。
「俺の仕事が気になるか?」
頷く俺とほぼ同時に「やめておけ」とルッコが口を挟んだ。
ヴァンは肩をすくめて、また別の話題を始めた。
それは北方にある三つの国の連合体に関する話だった。それはそれで興味深いので、俺は時折、二人のカップにお茶を注ぎ直しながら、じっと耳を傾けていた。
(続く)




