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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
211/213

5-40 堂々巡り

       ◆



 食堂で食事をしようとしないリーカを前に、対応を考えているところへイリューがやってきた。

 こちらを見たところで手を振ってやると、嫌そうな顔をしてから、それでもちゃんと料理を注文して、先に酒瓶を受け取ってこちらへやってきた。

「拾った女にたいした入れ込みようだな」

 そんな嫌味は無視して、まあ、座れ、と椅子を示してやる。いよいよ不愉快になった亜人がゆっくりと腰を下ろす。面倒を引き受けたいわけではなく、ここで逃げると誇りに関わるといったところだろう。

「彼女はリーカ。ユナ隊の生き残りだ」

「それで?」

 亜人はどこまでも素っ気なかった。

「一応、戦場ではない元の世界に戻したい」

「この無言の女をか?」

 鋭い視線を向けられても、リーカは何も言わない。反応もしない。

 ここで俺が助け舟を出さないといけないのは、どんな因果だろう。

「喋らないだけ、食べないだけで、まともだよ。戦場にはもう馴染めないだろうが」

「喋らず、食わずで、生きていけるとは思えぬ」

「ジュンに預ける」

 酒瓶を煽り、イリューが身を乗り出す。

「あの女には同情するしかないが、都合よく利用しすぎではないか?」

「他に伝手がない。それとも亜人の中でこの娘を受け入れてくれる奴がいるか? お前の知り合いを総ざらいして、検討してみろよ。いるか? いないだろ?」

 いるわけがない、と吐き捨てるように言うと、酒瓶の中身を一息に飲み干し、イリューは腕組みして俯いた。

 お前まで黙ると、場が持たないんだが。

 料理が運ばれてくる。三人前はちゃんとある。

「この女は魔物を食っていたな」

 俺が自分の料理を口にしようとしたときを狙いしまして、イリューが呟く。もっとも、そういった奴自身が料理に伸ばした手を止めている。

 二人ともが、抗いきれずにリーカを見た。

 虚無の瞳は卓上に向けられ、俺にもイリューに向けられることはない。それ以前に、俯いているだけで、視線の焦点はどこにも合っていないようだ。

 どちらからともなくため息をつき、食事を始めた。

 俺とイリューの間で意見交換があり、やはりジュンの元へ送るしかない、と俺が繰り返すのに、イリューはどこまでもはねつけ続けた。

 食事の最後、肉の一切れを口に入れた直後に、いきなりイリューの手がリーカの襟首を掴むと、立ち上がりながら彼女を引きずり上げた。

 卓が傾き、食器が一斉に床に散らばった。食堂の客たちが一瞬で黙り、静寂がやってくる。

 俺も反射的に立って、イリューの手を抑えたが、奴の手は鋼でできているように硬く、動かない。

 リーカは脱力して吊るされるままになっていた。

「生きる気力のないものは死んだ方が、すべてに貢献するのではないか?」

 俺に問いかけているようだが、イリューの烈火の眼差しはリーカを見据えている。

 リーカ自身は無反応。俺も言葉に迷った。

 今、自分が何を言うべきか、すぐには言葉が見つからない。

 リーカには生きる価値があるのは間違いない。

 しかし彼女に生きる気力があるかは、わからない。

 何の事情もまだ聞き出していないが、ユナとは別の道を選び、あの戦場に唐突に現れたのは並々ならぬ事態の推移があったはずだ。ボロ切れを引きずり、魔物を食って生きるなど、正気を保てるものではない。

 ただ、彼女が狂気に陥り、そのままどこかで人知れず朽ち果てたいと思っているとすれば、その意志や決断を、俺はどう扱えばいいのか。

 答えは出ないはずなのに、俺には答えが見えている。

 命を容易に投げ出させることは、許されないし、許せない。

 生き切った後に、死ねばいいのだ。

「イリュー、彼女は生きなくちゃいけない」

 俺の言葉を受けても、彼はリーカを見据えていた。

「イリュー、手を放してやれ。彼女には生きる義務がある。ユナのためにも、他の仲間のためにも。分かっているんだろう?」

 歯を噛み締めて軋ませてから、イリューは乱暴にリーカを突き飛ばした。俺が支えなければ彼女は床に投げ出されていただろう。

 イリューに文句を言ってやろうとしたが、それより先にリーカが俺の方を見ているのに気付いた。

 言葉は発せられない。

 しかし瞳は何かを俺に訴えていた。

 口が動く。

「ありがとう」

 かすれた声で、彼女はそういうと、ゆっくりとした動作で倒れていた椅子を戻して座り直した。それから深く頭を下げた。

 食堂の喧騒が急に蘇り、俺はホッとした。

 亜人は追加で頼んでいた酒瓶を店員が恐る恐る運んでくるのを、彼の方から掴み取って奪うと、こちらに背中を向けた。

 そのまま食堂から去っていく亜人を見送ってから、俺はリーカに髪の毛をかき回してやった。

 外へ出ると既に夜で、どうするべきか、だいぶ迷った。リーカを一人にしておくわけにもいかないが、俺と同室だとイリューが嘲笑うだろう。

 それくらいは甘んじて受け入れることにしようか。

 宿泊施設に戻り、とりあえずは俺の部屋で、リーカには寝台で寝るように言った。俺は壁に背中を預けて座って眠るとしよう。傭兵をやっているとどんな姿勢でも眠らないといけないのだが、こんなところで役立つとは思わなかった。

 ただ、俺はこの夜、ほとんど眠ることはできなかった。

 リーカが急に泣き始め、それから俺に聞かせるように、自分がユナたちと別れた時のことから、話し始めた。

 仲間を失った衝撃と、思考の停止。

 憎悪に突き動かされたままだった自分。

 全てを投げ出したいほどの絶望。

 死にたいと思っても死ねない自分の浅ましさ。

 彼女は最後には声を枯らし、唐突に意識を失った。

 俺にできることはただ聞くことと、気絶した彼女を寝台に横にしてやること、それからため息を吐くことだけだった。

 ユナには何の責任もない。ただ、ユナが正しいことをしたかは、どうしてもわからない。

 そもそものところ、何が悪かったのだろう?

 復讐が間違っているとして、しかし復讐しないでは済まない事態を生みだしたものがいる。

 その誰かしらが悪いのか。そんな風に遡ることで、何らかの答えにたどり着けるのか。

 答えはないはずだ。

 だからどれだけ考えても、同じところを回り続け、苦悩だけが積み重なる。

 夜が明ける。一睡もしないまま表に出て、既に起きだしている傭兵を横目に、何となく刀を抜いてみた。

 こちらを見るものがいるのも構わず、型を確認する。

 オー老師、ジュン、イリューが俺に叩き込んだ、名前もない、奇妙な技、不自然な術。

 刀が風を切り、足が地面の上を滑る。

 ピタリと全てが止まる。

 呼吸が元に戻る。

 刀を鞘に戻す。

 世界はこんな風に、綺麗には終わらないらしい。

 遠くで鳥が鳴いた。

 空を見ても、鳥など飛んでいなかった。



(続く)

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