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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
210/213

5-39 虚無と救い


      ◆



 ハヴァスに戻ったのは土塁の防御指揮官の善意で、例の女を責任を持って安全地帯へ連れて行け、という指示による。

 ただ、完全なる善意かはわからない。

 おそらくファクトだろうが、女の戒めはことごとく破壊され、激しく暴れるため、その度に昏倒させるしかなかった。何度も打ち倒すのは、さすがに罪悪感が積もる。やりすぎると殺してしまう恐れもある。

 ハヴァスへ戻る途中も、数回、女が気を取り戻し、その度に当て身を食らわせるのだが、気分がいいものではない。

 ようやっとハヴァスに到着し、イリューは不機嫌そうに「俺が拾ったわけではない」と亜人の地区の方へ向かっていった。逃げたのだ。

 仕方なく、俺は女を抱えて宿泊施設へ行き、部屋を確保した。

 知り合いの傭兵と顔を合わせ、不思議そうに俺を見てから「女を買った、って感じでもないな」と冗談を飛ばしてきた。

 女は一応、まともな服を与えられているが、まあ、ぐったりして俺に抱え上げられているのでは、色気がないどころか、異常だった。

「拾ったんだよ」

 そう応じてから、食事を運んでくれるように頼んだ。傭兵は喜んで駆け去って行った。

 俺は自分の部屋に女を入れ、どうするか考え、両手足を縛ってから、その紐の端を手で握った。

 女が目を覚ます前に傭兵が戻ってきて、簡単な食事を備え付けの卓の上に置いた。

「本当に拾ったと思えるほど、服装以外はひどい身なりだな」

 服を着せる前に全身に水をかけてやったりもしたが、まだ垢がたまっているのだろう、異臭がする。髪の毛も手入れはされていない。

「野良猫、野良犬という奴は知っていても、野良人間がいるとはな」

 傭兵がそう言った瞬間、パチリと女の目が開いた。

 一瞬だ。

 俺はファクトを発動させ、紐に浮かび上がる数字を十五から一〇〇へ上げた。

 縄がビリビリと震えるが、引きちぎられることはない。そのことに女は驚いたようだった。やはりファクトで拘束を破っていたのだ。

 暴れ出した女を前に、傭兵が強張った顔で俺を見る。

「この女はどう見ても常軌を逸しているが、どうするつもりだ? リツ」

「正気に戻るか、試してみるよ」

 勝手にやってくれ、と傭兵は部屋を出て行った。完全に怯えていた。

 俺は目の前にいる女が疲れたのか暴れるのをやめ、こちらを睨みつけるのに視線をぶつけ返した。

「あんた、リーカだろう」

 そう言ってやると、急に女の顔から獣のような凶暴さが消えた。

 無表情になり、俺を見る。

 やはりそうなのだ。

 この女をどこかで見た、と思ったが、あれはユナと再会した時だ。ユナ隊の一員としてユナに同行していた。間違いない。様子はガラリと変わっているが、似通っている部分も見える。

 急に暴れるのをやめた女に、俺は語りかけてみた。

「俺はリツというものだ。ユナとは幼馴染だ。あんたとも会ったことがある。食事をしたじゃないか。覚えているか? 忘れたか?」

 無反応。

「ユナ隊が全滅したと聞いていたが、あんたは生き残ったんだな。まぁ、それを喜ぶべきなんだろうが、そういう気持ちでもない」

 やはり無反応。

「ユナは死んだよ」

 そう言うと、女、リーカが目を見開いた。そして何かを否定するように、首を左右に振った。

「事実だよ。ユナは死んだ。あいつは骨になって、それは俺があいつの故郷に持って行った。事実だ。ユナは確実に死に、もういない」

 まだリーカは小刻みに首を振っていた。

 その目元を雫が溢れる。

 まるで人ではない姿になりながら、彼女はまだ人間だった。

「あんたは生きているんだ。無駄に死ぬことはないだろう。違うか?」

 口が開き、あやふやな発音で、リーかが何かを繰り返した。その様子は、まるで言葉を忘れた人間が、それでもままならない言葉を発しようとしているようだった。

 俺はじっとそれに集中し、理解しようとした。

 私は死にたい。

 どうやらそう繰り返しているらしい。

 思わず立ち上がり、蹴りつけていた。肩をしたたかに痛打されたリーカが倒れこむ。

「死ぬことなど、許すものか」

「私が死ぬべきだった!」

 リーカが叫んだ。理解できる明瞭な発音になっていた。

「私が、ユナの代わりに、死ぬべきだった!」

 そう繰り返した彼女を、俺はまた蹴りつけた。リーカが倒れこむ。まだ紐で手足を拘束されているので、起き上がるのにも苦労していた。

 俺は立ち上がったまま、彼女を見下ろしていた。

 リーカが泣き崩れている。顔を覆うこともできず、背を丸めて、身を縮めるようにして、泣いていた。

 彼女が泣き止むまで、俺は何も言わず、何もせず、ただ突っ立っていた。

 引きつったような呼吸をしながら、リーかはいつまでも泣いていた。

 どれくらいが過ぎたか、彼女はゆっくりと起き上がり、「紐を外してください」と言った。

「暴れられると困る」

 そっけなく応じてやると、より一層、リーカは真面目な口調で「暴れません」と応じた。

 短剣で、俺は紐を切ってやり、リーカはゆっくりと立ち上がった。そして頭を下げた。

「ありがとうございました」

 そう言って部屋を出ようとするリーカの手を、俺は掴んだ。

「待てよ。どこへ行く?」

「わかりません」

 本気でわかっていない口調だったので、さすがに俺も苛立ちを抑え兼ねたが、まぁ、文明人として、この時は押し殺した。さっきはやりすぎた。

「まずは風呂へ入れ。次に借り物の間に合わせではないまともな服を着ろ。爪を切ること、髪の毛を整えることも絶対だ。そしてしっかり食事をしろ。できるか?」

 恨めしそうな視線が俺に向けられた。

 そんなことはできない、と言いたげだった。

 結局、こうなるんだよな。

 俺はリーカの手を引いて、先に立って部屋を出た。

 この野獣のような女の面倒を見る理由はないと言ってもいい。あるとすれば、俺が拾った、ということだけだ。

 夕方までかけて、俺はどうにかリーカの身なりを整え、一端の女に戻してやった。

 彼女は虚無の表情をしていて、俺が話しかけてももう無言だった。

 くそったれめ。

 なんでこんな女を拾っちまったんだ。

 後悔先に立たずとはよく言ったものだ。




(続く)

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