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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
21/213

1-21 冬の間

       ◆



 三ヶ月はあっという間だった。

 俺は常にファクトを意識していた。全てに対して数字が見えるようになり、加減もできるようになった。

 ただ、無理があることも多く見えてきた。

 例えば切れ味の悪い包丁の数字を上昇させても、切れ味が上がることはない。その包丁は本来、野菜などを切るものだけど、数値を上げて野菜に当てると、野菜が砕け散る。つまり、破壊力が上がるが、切れ味は上がっていない。

 他にも上げられるもので耐久度があるのも見えてきた。

 これも包丁を使ったけれど、薄い紙の数字を上昇させると、まな板のように使うことができる。できるけど、限度を超えると紙はバラバラになって、消えてしまう。反対に包丁がまな板代わりの紙に当たった時、包丁の刃が欠けることもある。

 包丁の数値を上げ、まな板の数値を上げ、両者をぶつけるとどうなるかも試した。

 昔の言葉で、矛盾、というものがあって、これが最強の矛と最強の盾があると、理屈に行き違いが生じる、という言葉だ。

 俺は矛盾を確認したわけだが、結果としては、両方が同時に崩壊した。

 それよりも包丁もまな板もバラバラになり、片付けが大変だった。

 加減に関しては、薪割りから始め、次には薪にする木を用意することで少しずつ身につけた。

 最初からルッコが用意していた丸太が何本もあり、どうやって運んできたかは謎だったけれど、これを巨大なノコギリで短くして、次にそれを鉈で割っていく。

 ノコギリはその形状と使い方から、数値の上昇での活用が困難だった。

 刃がギザギザになっているので、その刃がそれぞれに丸太に触れるたびに丸太がえぐれてしまう。

 こうなると最初から鉈でも切れそうだけど、やっぱり切れ味が上がるわけではないので、鉈を打ち込むと丸太が吹っ飛ぶ。

 何度もルッタに苦情を言われながら、仕方なく普通のノコギリを普通に、普通の使い方をして丸太を短くし、そこを鉈で割った。

 鉈で割るときは、数値を上昇させ、かすかに食い込ませるだけでいい。

 かすかに刃が食い込むと、面白いように割れていく。もっとも、そこまで行くのに数週間の四苦八苦が必要だった。

 俺が居候している遺構は、意外に暖かい。崖をかなり深く掘っていくつもの部屋が作られているので、外の極寒の空気が吹き込むこともない。掘る時に、真っ直ぐではなく、うねうねと通路を曲げて作ってあるのは、そのためらしかった。

 巨人のフォルゴラはやってこなかったし、他の巨人と会うこともない。

 ただの雪山の中にいるようなもので、その上、ルッコと来たら、毎日、書物を読むか、何かを書き付けている。

 何度も彼とは話をしたから、その中でどういう経緯でここにいるかはわかってきた。

 精霊教会の内部にはいくつもの派閥があるのを俺も知っていたけれど、ルッコはユバ学派という派閥に属していたらしい。

 ユバ学派のことは俺も何かの折に聞いたことがあった。

 ファクトを神や精霊が与えるもの、何を与えるか決めるもの、という発想をいくつもの学派で同じくしているのに反して、ユバ学派は、ファクトとはある種の素質だと論じている。

 つまり、個々の人間が十五歳に洗礼を受けるまでに、何を身につけ、何を考え、何を経験したか、それが重要だというのだ。

「大抵はな」

 ルッコは熱のこもった声で言ったものだ。

「子供の時から力仕事をしているものは、ストロングのファクトを得ることが多い。各国で指南役のようなことをする、技能関係のファクトを持つものは、幼少期から何らかの稽古を積んでいる。セイバーのファクトを持つものは剣を、ランサーのファクトを持つものは槍を、というように、幼い頃から調練をしている」

 俺の頭の中には、幼馴染の少女のことがあった。

 ユナは、剣の稽古を積んだが、ランサーのファクトだった。

 その齟齬はどう説明がつくのだろうか。

 遠回しにルッコにそのことを確認すると、「だから、素質なのだ」とあっさりと答えがあった。

「人間にはそのものにも周りのものにもわからないものがある。それが素質だ。お前は自分が何に向いているか、少しでもわかるか? 例えば、自分に料理人の才能がある、裁縫職人の才能がある、そう感じたことはあるか? ないだろう? 逆に、全ての料理人が自分に才能があると感じたり、裁縫職人が自分に才能がある、と確信することもない。人間が行うことは全て、ある種の積み重ねだ」

 はあ、としか言えなかった。

 この時、珍しく勢い込んだルッコは、自分たちの理屈を「ファクト既定論」と言っていた。ユバ学派の主軸の理屈らしい。

 ユバ学派については、残念ながら風前の灯だ、と悔しそうにルッコは表現した。

「もはや骨抜きにされ、主論は取り下げるしかなく、今の精霊教会にいるユバ学派のものは周囲に迎合している。精霊教会は間違っていると私は思うが、多くの関係者は、たいして気にもしていない。今も神だか、精霊だかが、気まぐれにファクトを与えると信じ込んでいる。おい、リツ、お前は神を見たことはあるか? 精霊は?」

 ないですね、と答える俺に、力強くルッコは頷いた。

「誰も見たことがない。しかし誰もが、それがいると信じている。錯覚だ。詐欺だよ。精霊教会は、その人間の愚かさをいいことに、銭を集め、人を集め、栄えている。精霊教会はもっと、学術的な組織であるべきだ」

 ここまで力説されると、その通りでは、と思わなくもないけど、俺は今まで精霊教会と深く関わっていないし、教義もおおよそは知っていても学派の違いなどもよく知らない。

 神や精霊がいることで落ち着く人がいるのは間違いないとは思う。自分の身に起きたことを、他人のせいにできる、という意味でだ。

 ファクトもそうだ。自分が平凡で弱いファクトしか与えられなかったことを、自分のせいにしたり、両親のせいにしたりするのは、どこか居心地が悪い。

 ならいっそ、神に見捨てられた、とでも思った方が、日常的には座りがいいだろう。

 もっとも、誰のせいにしてもファクトはファクトだから、実際的な変化はない。

 それに、ここまでくるとファクト云々以上に、人生すべてにおいて、誰の責任とするか、というところを考えないといけない。

 そしてきっと、それは考えても仕方ないはずだ。

 ルッコは少しだけ俺の父のことを話した。父もユバ学派に属していたけれど、僧というよりは学者だったがために、若き日のルッコとは切磋琢磨する相手だったらしい。

 父はユバ学派の変化に見切りをつけ、野に下った。ルッコも精霊教会を離れ、やがてこの深き谷の入り口に落ち着いた。

 死んだのは運が悪かったのだろう、とだけルッコは言ったけど、その声は他の口調にはない悲しみのようなものが含まれているようにも聞こえた。普段の口調と違いすぎて、印象に残っている。

 とにかく俺は三ヶ月、時にルッコの話し相手になり、時に細かな調整に明け暮れ、ひたすら冬が終わるのを待った。

 外では常に雪が降っており、吹雪の日が多かった。誰のためにか備蓄されていたブーツと外套がいくつも俺のものになり、濡れるのと乾くのを繰り返した。

 薪を切るのにも慣れ、ファクトの加減と使い方も見えてきた。さらに料理と洗濯も得意になった。料理も洗濯もレオンソード騎士領にいる時はほとんど母がやっていた。

 指がかじかむことも多かったけれど、不思議とそれはあまり感じなくなった。真冬の湧き水は冷たすぎるほどに冷たいはずが、慣れたのだろうか。

 剣術の稽古のことを思い出したのは、遺構での生活が一ヶ月を過ぎた頃で、それからは折を見て、適当な棒を振っていた。棒を調達するには、薪を用意する時に少し工夫して切り出せばよかった。

 俺の剣術について、ルッコは何も言わない。というより、彼は剣術など身につけておらず、根っからの学者なのだ。もし剣術について知識があれば、彼はいつものように俺にあれやこれやと注文をつけ、俺も閉口しただろう。

 棒を振っている間は、少しだけ落ち着くことができた。

 慌てる必要はないし、急かされることもない。

 それに棒を振っていると、レオンソード騎士領のことを思い出すということもある。

 あの希望が強く光を放って、影らしい影もなかった場所のことを思い出すと、何か、まだ自分にも可能性があるような気がする。

 棒を振り終わると、自分が雪山の奥地にいて、日常に追われていることを思い出し、ちょっと暗澹とした。

 それでも時間は流れる。吹雪は徐々に薄くなり、風こそ強いが、雪の密度は薄くなってきた。

 貯蔵庫の食料も減ってきた。どこで調達するのかをそろそろルッコに訊ねるべきかな、と思っているその日、久方ぶりの晴れ間が覗いた。

 俺は外に出て、吐く息が白く染まるのを見て、稽古用の棒を手に取ろうとした。

 その時、吹き付ける風が巻き上げる地吹雪の向こうに、何かが見えた気がした。

 小さく見えたが、いや、人間のサイズだ。

 じっと観察していると、防寒着を着込んだ誰かがゆっくりと歩を進めてやってきた。

 俺に気付いた相手が、わずかにうつむかせていた顔を上げる。

 視線がぶつかった。

「誰だ?」

 その低い声を聞いた時、背筋に電撃が走った気がした。

 俺は彼が誰か、知っていたのだ。




(続く)

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