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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
209/213

5-38 戦場俯瞰


      ◆



 戦場の濁った空気。

 耳を刺激し続けるくぐもった声や湿った音。

 絶命の気配。

 俺はとにかく戦い続けた。

 剣を手に取り、魔物を切り捨てている間は余計なことを考えずに済む。

 勇敢なる傭兵の破滅も、正体不明の司祭の処刑も、遠いところの出来事、物語の中の出来事のような気がしてくる。

 いつの間にやら精霊教会の信徒隊は無様な姿を晒すことが減り、信仰のために命を捨てるの惜しまない、何も考えない人形ではなくなった。

 彼らは彼らで生き延びることを考えるようになり、生き延びる術を見出そうと努力し、犠牲を出しながらも徐々に洗練されてきていた。

 傭兵たちは傭兵たちで、変わらず血に塗れ、泥の中を這いずるような仕事を続けていた。

 俺が着ている死装束でもある着物も、あっという間にドロドロに汚れていく。魔物の血に染まり、内臓の臭いがこびりついて鼻をつく異臭が漂う。

 それさえもが日常だった。

 イリューも俺も、ここにいるとどこか、一つの装置のようになる。

 魔物を倒すだけの装置。

 仲間の犠牲を少なくするだけの装置。

 自分を生き延びさせる装置。

 戦闘は終わらない。死ぬまで終わらないのでは、と考えても、いつ死ぬかもわからないのだから、考える理由はなくなる。

 ちょっとした気の緩み、武器の不具合、不運、悪運で、俺の命は失われるだろう。

 そういう場所に俺は立っているのだ。

 仲間が下手を打っても、やはり死ぬ。信頼できる仲間は貴重だ。

 俺自身が仲間から信頼される存在になることは、誇りでありながら、ずっしりとした重さを感じる。

 それでも戦うしかない。

 みんなで生き残る、という理想も、自分は生き残る、という独善も、ここでは大差ない。

 故郷へ戻ってからどれだけが過ぎたか、いつの間にか空気が少しずつ冷気を帯びてきて、服も厚手のものへ変えようかと思っている頃、俺はそれと出会った。

 最初に視認したのは俺の横にいるイリューだった。

「何かいる」

 短い声。同時にすぐそばまで迫った魔物がイリューの長刀で両断される。

 俺はイリューの顔を見て、彼が厳しい表情でやや離れた地点を見据えているのに気付いた。俺もそちらを見る。

 魔物の群れの中に誰かが屈み込んでいる。

 俺たち傭兵が、拠点よりやや西へ踏み出しているところで、例の土塁からはそれほど離れていなかった。魔物を押し込む計画が、それができずにいるのだ。

 だが、俺たちの戦線より先に人がいるわけがない。

 でも、実際にそこにいるのは人間だった。

 ボロボロの服を着ている。めちゃくちゃに裂けて汚れていて、服というのは服だろうという常識による表現で、ボロ切れと言っても通じる。

 髪の毛は長く伸び、男か女か、すぐにはわからない。

 何よりも異質なのは、その人間が魔物を組み伏せ、それに噛み付いていることだ。

「助けるぞ」

 俺がそう言ったのに、無言でイリューが応じる。

 二人で前進し、魔物を切り倒して道を作る。俺は背後に合図をして、負傷者の救出を伝えた。傭兵の負傷者ではないが、大丈夫だろう。

 イリューが先行する。魔物が面白いように倒れ、その間を舞うようにイリューが駆ける。

 謎の人物のそばにイリューがたどり着いた。すぐに俺も横に並ぶ。

「おい、あんた、大丈夫か」

 魔物を切り捨てながら、確認するが、返事はない。

「おい!」

 もう一度、強く呼びかけると、やっと顔が上がった。

 肌が浅黒く、長い髪の毛が顔のほとんどを隠しているが、瞳が見え、わずかに顎の輪郭が見えた。服の形を失った布切れのこともあり、女性だとわかった。

「どこから来た? 立てるか?」

 女は反応しない。

 俺が手を伸ばそうとすると、激痛が走った。

 腕を掴まれたが、長く伸びた爪が俺の皮膚を突き破っている。爪が研ぎ澄まされているのもそうだが、握力、そして腕力がすごい。

 振りほどくのはやめて、無理やり引っ張りあげる。

 女が構わずに俺に噛みつこうとしてきた。

 鈍い音の後、がっくりとその体が力を失い、それでも俺の腕を放さないまま、女は気絶した。

「退くぞ」

 女の首筋を打って気絶させた相棒は、さっさと仲間の元へ戻ろうとしている。慌てて俺は女を担ぎ上げる。びっくりするほど軽かった。

 傭兵たちが退路を作ってくれているので、仮の陣地に戻ることはできた。

「戦場で女を拾った奴はいないだろうな」

 俺たちの指揮官役の傭兵が皮肉げそう言ってから、撤退を決めた。ここで踏ん張っても、陣地を維持するには兵力が足りないのは目に見えていた。

 人間の戦いは常にそうだ。前進したくてもできない、仮にしたとしても戦力不足でまた後退する。これの繰り返しである。

 女を拾ったことはちょうどいい口実にもなる。やや弱い気もしたが。

 傭兵たちが支度を始める横で、俺は女をどうするか少し考え、念のために両手足を拘束し、猿轡をしておいて、ついでに目隠しもしておいた。

 その時に髪の下から顔が見えたが、どこかで見た顔だった。

 そう昔ではない。

 あれはいつだったか。

 考えれば考えるほど、どこかで会ったような気がしてきたが、すぐには思い出せない。

 ユナの顔がちらついた。

 その向こうに、この女が見えた。

 まさか、と思わず言葉が漏れたが、それ以上は続かなかった。

 後で考えることにして、俺は物資を積んだ荷車に女を放り込んだ。

 撤収だ。撤収する時が一番危ない。俺とイリューは揃って殿を受け持ち、隊の最後尾についた。といっても魔物は四方から押し寄せる。殿も何もない。要は最も置いてきぼりになる可能性が高いという意味しかないのだ。

 俺は奇妙な女のことは一旦、思考から締め出した。

 油断も失敗も許されない。

 両手に剣を取り、突っ込んでくる魔物の最初の一体を切り払った。

 次が来る。

 次の次も。

 そのまた次、さらに次。

 終わりのない次。

 刃は止まることはない。




(続く)

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