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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
207/213

5-36 歪み

       ◆



 イリューは夕方に戻ってきて、出発は翌朝にした。

 やや腹が立ったが、それよりもルティアについて考える余裕ができたことを意識した。

「逃げ出したのはそういうファクトがあるからだろう」

 宿の二人部屋で簡単な夕食にしながら、イリューが言った。実際には料理が一人前しかなく、イリューが自分の分を断ったのだ。亜人たちの元でたらふく食ってきたからに違いない。

「逃げ出すファクトっていうと、えーっと、何があるかな」

「姿を消す奴があったはずだ」

「インヴィジブルのファクトか。あれはだいぶ上位だよ」

「ついでに言えば、自分がそのファクトを持っていることは、誰にも教えなかっただろうしな。タネが明かされている手品など、犬も食わぬ」

 ありそうなことだ。

 そう、それなら精霊教会の神官戦士団が魔物もろともに滅ぼされた時も、一人だけ姿を消して逃げ出したのだ。

 でも今回はなぜ、あの時のようにこっそりと精霊教会に戻らなかったのか。

「精霊教会はあの男を捨てたのだろう。神鉄騎士団に殺された犠牲者がいれば、精霊教会が神鉄騎士団にどこまでも厳しくする大義名分ができる。しかし一人だけ生き残っていました、というのでは、ブレるだろう」

 イリューの解説も、部分的にはありそうだった。ただ、確信は持てないし、強力でもない。

 むしろ生き残りを押し立てる、というやり方もある。

 自然、俺の返事はあやふやになった。

「そんなもんかな。例えば、別の名前を与えて、神官戦士の一人にすればいいのでは?」

「何があっても生き延びる男というのは、なるほど、英雄と呼ばれるにふさわしい。しかし卑怯な方法で生き延びているものは、英雄などではない。唾棄すべき、恥知らずというものだ」

 それが亜人なりの価値観ではないのは、俺にも理解できるところがあることでわかる。

 卑怯者か。

 焼き討ちの時に、俺は大勢の人の死を目の当たりにした。あれだけの人間が犠牲になりながら、一人だけ生き延びるというのは、どういう気持ちなのだろう。

 死にたくない、という一心で行動しても、生き残ったとしても、胸を張ることはできないのかもしれない。

 生きるということは、ただ生きることではなく、何か、自信のようなものがないといけないのか。

 何も恥じることなく、堂々としている人間は輝いて見える。

 では、それ以外の人間は、恥を背負い、うつむいて生きるものは、生きているとは言えないのか。

 あのルティアという男は、戦場で戦い、権力の場でも戦い、卑怯な手を使い、残酷なこともし、それでも生きようとした。最後には食う物に困って盗みを働き、そうしてまで生き延びようとした。

 ため息が漏れる。

 救われたものは、一人もいない。

 俺はユナを救えなかった。ずっと彼女のそばにいたわけでもないし、彼女を守ることはほとんどしていない。ただ離れた場所にいて、ただ話を聞き、最後の最後に行動して、しかもそれは大きく出遅れていた。

 頭の中で、レオンソード騎士領の、騎士家の屋敷の、あの応接間が広がった。

 俺はあの時、胸を張ることはとてもできなかった。

 この先、いつまで経っても、俺はアンリの前では、胸を張ることなんてできない。

 俺は愚かで、何も知らなかった。

 そして何もしなかった。

 そんな俺はこの先、どうやったら自分に自信を持てるのか。

「くだらんことは考えるな」

 急にイリューが鋭い声を投げかけてきたので、俺は無意識にうつむいていた顔を上げた。

 亜人は不機嫌そうに、こちらを眼光鋭く睨みつけていた。

「お前はお前の戦場に生きれば良い。破滅したもの、死んだもののことを考える必要はない。私は常にそうしている。この世の中には罪も恥も、多すぎる。全てを背負って歩けるものなど、いはしない」

「別に、俺は何も背負うつもりはないけど」

「自分の顔を見てみるのだな」

 手元に茶の入った器があり、俺はそれを見下ろした。

 光の加減で、水面に歪んで俺の顔が映っていた。

 ……特にいつも通りだけどな。

「激励と思っておくよ、イリュー」

 鼻を鳴らして、イリューは器の中の酒を一気飲み干した。

 イサッラにたどり着いた時、真っ先にジュンを訪ねたが、彼女は長期契約の宿のひと部屋を借りていて、しかし一日の大半は留守のようだ。調練の仕事を再開して、それに打ち込んでいると宿のものが教えてくれた。

 俺とイリューが宿を訪ねた時も彼女はおらず、部屋は施錠されていた。

 宿のものにおおよその場所を聞いて俺は一人でそこへ向かった。イリューは例の如く、亜人の仲間の元へ行ってしまった。

 イサッラにいくつかある広場の一つで、ジュンの声が聞こえ、見てみると十人ほどの傭兵が真剣を抜いてそれを振っている。型を繰り返しているようだ。

 十人ともがそれなりに使える実力があるとわかる。それでもジュンは細かく一人一人を見て、助言していた。

 こういう生き方もあるのか、と俺は広場の端に立って様子を見守った。

 生き残るため、死なないための技を教え、戦場へ送り込む仕事。

 つらい事の方が多いだろう。帰ってこないものが多いのだから。

 ただ充実があるのもわかる。ほんの刹那の、錯覚のような充実だとしても、誰かが成長する様を見るのは、心が震えることだろう。

 ジュンは俺に指導した時も、それを感じたか。

 オー老師も、感じただろうか。

 少しするとその日の稽古は解散になり、あとは自由のようだ。広場に残るものが、お互いに指導し合いながら型を復習している。それを横目に、ジュンがこちらへ来た。

「だいぶ遅かったわね」

 彼女が最初にそう言って、口をへの字にした。

「オー老師に最後に顔を見せてやろうとは思わなかったの?」

「その、もっと長生きすると思っていた」

 ふざけてるわね、と言ってジュンは俺の胸を拳で打った。俺は微動だにせず、ジュンの方が痛そうに手をブラブラさせる。

 行きましょう、と彼女の先導で宿へ戻り、やっと部屋に入れた。

 部屋の奥に形だけの祭壇があり、そこに骨壷が置かれている。

 なんとなく瞑目して祈り、それきりになった。

「オー老師は身寄りもないし、どこかに葬らなきゃいけないんだけど、どうすればいいと思う?」

 ジュンがお茶を用意して、そんなことを言うのにはさすがに俺も言葉に詰まった。

「どうするって……、合葬されている共同墓碑のところに持って行くくらいか、可能性がないけど?」

「それはそれでさみしくない?」

「いや、どうだろう」

 死後のことなんて、大して考えたことがなかった。

 傭兵をしていれば、戦場で倒れ、死体が回収されないどころか、焼却された後の灰も骨も拾ってもらえないのが当たり前だ。

 俺は自分がそうなるだろうと思っていただけで、他人がどうなるのか、もし最悪の事態が起こらず、平穏のうちに世を去ることになったらどうなるか、あまり真剣に考えたことがない。

「私たちは、なんていうか、不自然なのかもしれないわね」

 お茶をすすりながら、ジュンがどこか悲しげに言葉を紡ぐ。

「死者を捨てることはあっても、死者を送ることはない。歪んでいるわ」

 そうかもしれない。

 でもそれを言い出せば、全てが歪んでいる。

 捻れに捻れ、もう、表も裏もわからない。

 終わることのない戦争。人間どうしの権力争い。商人たちの戦い。

 何かが一つに結束されることもないし、共同歩調はいずれは乱れ、破綻する。

 どれ一つにも決着がつくことがなく、争いの全てが果てしなく継続する世界。

 困ったわね、とジュンが呟いたが、俺は何も言えなかった。

 その日の夜、ジュンに書状が届き、俺はそれを見せてもらえた。

 ルッツェにおいて、ルティアがルスター王国の法のもとで裁かれ、斬首された、という内容だった。

 俺もジュンも何も言えないままだった。




(続く)

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