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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
205/213

5-34 先を生きるものとして


       ◆



 少し風が強くなった。

 シロは俺を野っ原に出した椅子のところへ導いた。

「ここのところは平穏なものだ」

 椅子に腰掛けたシロは、しかしやはり険しい顔でこちらを見る。

 この顔か? と彼が自分の頬を撫でた。

「今は平穏でも、この何年かで色々なことがあった。良いことは少なく、悪いことは重なった。そんな経験が俺の顔を、こうしたのだ。お前は違うようだが」

「そうでもないですよ」

 そう答えてから、本当にそうなのか、自分に問いかけることになった。

 ユナを失ったし、もちろん他にも大勢の知り合いを失ったが、俺が何かを背負いこむことは今まで、なかった。

 シロの顔に消せない皺が刻まれているのは、ユナの髪の毛が金色から白に変わったのと同じか。

 俺は背負いこまなかったのではなく、無責任でいることを許された、幸運な男なのかもしれない。

 ただの一兵卒でいたし、何の重荷も背負わないまま、ここまで来た。

 それが良かったのか、それとも分相応だったのかは、答えが出ない。

 俺は剣術を少しは身につけた。戦場の経験も重ねた。だけど、自分が強くなったかは、わからないままだ。イリューには太刀打ちできず、逆に自分の下に部下も持たなかった。

 中途半端なのだ。

 間違いなく、俺は揺籃の中にいた。

 この五年。

 五年という長い時間を、ただ揺られていただけだ。

「お前にはお前の五年があったのだな」

 自分の思考に沈み込んでいた俺に、シロがそう声をかける。

 顔を上げると、いつの間にか数人の女性が側におり、卓の上に食事とお茶を用意していた。

「召使い、ではなそうですね」

「妻たちだ。ハガ族の部族の長によくある生活を、俺もしているということだ」

 この時ははっきりと、シロは苦い顔をした。

 それから彼はハガ族の日々について、語り始めた。

 部族同士の交渉や、場合によっては武力での衝突。銭がものをいう場合もあれば、血縁がものをいう場面もある。シロも抗えず、大勢の妻を娶り、子をなした。今はまだ子は幼いが、男児であろうと女児であろうと、部族を守るために他の部族の養子になったり、嫁として嫁いでいくのだという。

 そんな話の最中にも、イリューは少し離れたところで、ウン族の若者に取り巻かれていた。

 俺が三人の男を手もなく捻ったことはすでに知れ渡っていて、俺がシロと話しているからだろうが、イリューは技を見せるようにせがまれていた。

 最初は断っていたようだが、何を思ったか、男が二人同時にイリューに飛びかかり、刹那の後にはその二人が地面に這っていたので、歓声が上がった。そう、悲鳴ではなく。彼らは一気に白熱していた。

 刃物こそ抜かないが、十人以上の男たちが入れ替わり立ち替わり、イリューに挑み、殴り倒され、蹴り倒され、投げ飛ばされていた。

「あの亜人はお前の相棒か。なかなかやるな。お前たちの服装を見ると、傭兵なのだな」

「ええ、そう」

 ここまで俺は自分のことをそれほど話していなかった。

 話せるほどのことがない。

 ユナのように武勲をあげ、名をあげたわけではない。

 俺は今のところ、全くの無名だった。

「お前の腕は見ていないが、あの亜人の動きは洗練されている。うちの若い者ではひとりも敵うものがいない。剣を抜いても同じだろう。むしろ、剣を抜いてしまえば、全員で襲いかかっても無意味だな。逆に全員が屍になる」

 かもしれません、と俺は笑うしかなかった。シロは頷きながら、器を傾けている。彼も茶を飲んでいて、どこか寛いでいる雰囲気がある。

「南はそれほどの激戦なのだな。この辺りでは魔物が顕現するだけで、実際の戦闘は人が相手だ。それも同じハガ族だ」

「南も似たようなものです」言うべきか迷った時には、口から言葉が漏れていた。「人同士が争っています」

「ルスター王国の様子は聞いている。精霊教会とやらが、力を持ち始めたと。我々も対策を練らねばならないと思っているよ」

「人間は結局、魔物がいようといまいと、権力を求める愚かな存在かもしれません」

 それは皮肉か、とシロが声をあげて笑う。

「ハガ族もまた、人だよ。少し出生やらが違うだけでな。ハガ族もまた、内部で争いを続けている。お前たちと何も変わらない。やはり愚かで、虚しい。それでも生きている以上、生き抜かねばならない。難儀なことだ」

 俺が答えずにいると、すぐ横を少年たちが駆け抜けていった。

 全部で四人、そのままイリューたちの方へ向かい、男たちが怒鳴りながらそれでも場所を空け、子どもたちはイリューに飛びついた。四人が食いついてもイリューは微動だにせず、しかしどこか戸惑っているようだ。

 きっとあの亜人は人間の子どもの扱い方を知らないのだ。

「リツ、今日はここに泊まっていけ」

 シロがこちらを見るのは視線の気配でわかった。俺はイリューから彼に視線を向けた。

 幾星霜を経た岩のような表情のシロは、真剣な目をしていた。

「ルスター王国のこと、南方のことを知っておきたい。これはウン族、もしくはハガ族全体に関する問題になる気がする。今すぐにではなくても、備えは必要だ。今夜は二人で、語り明かすとしよう」

「ええ、こちらからお訪ねしたのですから、当然です」

「あの子らには、あまり血を見て欲しくはない。人の愚かさも。それらをなくすことができないとしても、俺たちには責任がある。先を生きる者として」

 先を生きる者としての責任。

 俺もいつかそれを背負うのだろうか。

 イリューが子どもを片手で地面に転がし、自分も自分もと子どもたちが飛びかかっていく。イリューは面倒くさそうに次々と地面に転がして、子どもたちは嬉しさを隠せずに歓声をあげていた。

 その夜、俺はシロと話をして時間を過ごした。イリューは男たちの中でもシロの側に仕えている戦士たちに招かれ、日が暮れても篝火の中で剣術を指導していたようだ。怪我人を出さないか心配だったが、イリューの善意に任せるしかない。

 夜明け間近に、シロが急に咳き込んだので、俺は不吉なものに気付いた。

「俺もいつかは逝くことになる。気にするな」

 俺の表情から内心を読み取ったようで、シロはどこか憮然と、どこか強気に、そう言った。口調は力強く、病に負けるようではない。

「リツ、お前もいつかは逝くことになる。その時、後悔がないようにしておけ。俺はまだ悔いるだろうことが数多くある。だからまだ、逝くわけにはいかない」

 俺はただ頷くしかなかった。

 翌日、俺とイリューはウン族の元を離れた。イリューは怪我人を出さずに稽古を終えたようだった。眠そうにしていたが、充実しているようでもある。

 シロは俺たちに馬を贈ってくれた。ついでに途中まで騎馬隊に警護させ、他のハガ族のものに手出しをさせないように計らってくれた。この計らいはただ無用な争いを避けただけだ、とも見える。俺やイリューが何らかの事情で争いの種になると、シロの面子に傷がつくだろう。

 俺たちは一路、南へ走り、右手に大山脈を見ながら進んだ。

 途中で騎馬隊の男たちは挨拶をして離れていった。シロが食料も手配してくれたので、俺とイリューは当分は旅をできる。

 二人だけになり、南下し、途中で山脈が西へ張り出すので、自然、針路は南東に向いた。

 はるか前方の地平の果てが薄暗いのが見て取れた。

 魔物たちが住む土地が、その闇の下にあるのだ。

 俺もイリューも口数は少なくなり、しかし迷いもなく進み続けた。

 俺は結局、戦場にしか生きられない。

 ユナがいなくなっても、俺はやっぱり戦場にいるしかない。

 今はむしろ、ユナがいなくなったことが、俺に戦場を求めさせている気さえした。

 ユナの代わりに戦うことなんてできないのに、ユナの代わりに、と思う俺がいる。

 錯覚、勘違い、思い込み。そういうものかもしれない。

 でも足は、戦場へ向いていた。



(続く)

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