表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
203/213

5-32 想像

       ◆



 ゆっくりと呼吸を繰り返して、しかしアンリは顔を上げないまま話し始めた。

「娘のことは噂では聞いていたよ。勇敢な傭兵として、部下を率いて、立派に戦っていると」

 予想していた言葉だ。その言葉にどう反応するべきか、ここまでの道すがら、長い時間をかけて想定していた。

 していたけれど、言葉にはできなかった。

 アンリの言葉が続く。

「魔物の攻勢を防ぎ、人間の文明のための盾であり矛である、と聞いている。あの子の髪の毛は私が知っている中では美しい金髪だったが、今は白い髪になり、それはそれで美しいと聞いたこともある。正しいかな?」

 ええ、と俺は頷いた。

 あの白い髪が最後にどうなったかを考えると、どうしても胸が詰まった。

 そのことをアンリにどう伝えるべきか。

 老いを隠せない傭兵の父親は、淡々と言葉を続けた。

「神鉄騎士団という大手の大傭兵団に参加し、隊を一つ任されている。そして様々な武功を挙げ、大勢の有能な部下と共に戦場を駆けている。できることなら、その姿をこの目で見たかった」

 急にアンリが顔を上げ、その顔が涙に濡れているのに気付き、俺はまじまじと彼に視線を返した。

「あの子は魔物と勇敢に戦って死んだのだね?」

 これも予想していた言葉。

 そしてやはり、答える言葉がない。

 頭の中で言葉をどうにか組み立てようとしても、全くできなかった。

 沈黙。

 その沈黙に絶望が否応なしに差し込んでくる。

「魔物に殺されたわけではない」

 アンリの視線が声を発したイリューの方を見た。

「あの娘は人間の陰謀に殺されたのだ。もっとも最後には死を覚悟したというより、死が決定している局面に自ら望んで飛び込んだのだ」

「……なぜ」

「知らぬ。あの娘しか知らぬ。怒りに駆られたのか、憎しみに駆られたのか、ともかく、あの娘は暴挙に出て、栄光も栄誉も捨て、死んだ」

 アンリが緩慢な動作で立ち上がった。

「大馬鹿者だ!」

 大音声は、やはりイリューだった。俺はうつむき、誰の顔も見れなかった。

「どいつもこいつも、命の重さを知らぬ! 自分の後ろに誰がいるのか、戦友よりも後ろに誰がいるのか、気づきもせぬ! 大馬鹿者め!」

 一息に怒鳴り、イリューは部屋を出て行ったようだった。

 棒立ちになっていたアンリが、急に糸を切られたように椅子にヘナヘナと座り込み、卓の上の小さな袋に手を伸ばした。

「アンリ殿」

 俺は息を吸った。イリューは俺が言いたいことをおおよそ言ってくれた。

 ここからは俺が話す番だ。

「ユナは神鉄騎士団の傭兵として、立派に戦いました。その中で精霊教会との衝突が起こり、それが最後まで尾を引きました。ユナは、尊敬するものを精霊教会に奪われ、さらに精霊教会に裏切られ部下を失いました。その決着をつけるために、彼女は、死んだと思います」

 返答はない。

 両手で袋を包み込むようにして、老人は静かに泣いていた。

 ユナはこんな光景を想像しただろうか。

 あの幼い日、もしくは戦場で再会した時、そうでなければ髪が白くなった彼女は、自分の死が一人の人間を心底から悲しませることを想像したか。

 きっとしなかった。

 きっと、できなかった。

 だから彼女は傭兵になれたし、戦うことができた。俺にも似たようなところがあるから、間違いない。

 家族のこと、友のことを思いやっていては、命を賭けるのは難しい。

 誰かの涙や悲しみを考えていては、危険など冒せない。

「ユナが目的を果たしたかといえば、おそらく辿り着けませんでした。これは推測ですが、精霊教会はユナを捕縛し、生きたまま監禁し、ユナは長い時間をかけて死にました」

 泣いている死者の父親は、確かに腹を立てているようだった。

 精霊教会をこの人が憎んで、どうなるものでもない。

 憎しみが何も生まないなどという理由ではなく、恨んでも憎んでも、どうしようもない存在がしっかりとこの世に根付いているのだ。

「アンリ殿、ユナは死にましたが、傭兵にとっては定められた最後です」

 怨嗟に燃える瞳が俺を見る。

「リツ。きみたちがあしらった用心棒は、ユナの噂を聞いて流れてきた傭兵志望だ。たいした技術もなかったが、日々を学びに費やし、あれだけの使い手になった」

 何の話か、わからなかった。だから俺は、じっと耳を傾けた。

「ユナは最初から、才能があった。ファクトではなく、才能だ。私はの子が消えた後、よく考えた。あの子にはあの子の望むことがあり、私や妻が、それを引き止めていいのか。結論は出ない。出ないまま、ユナは立派になり、私の悩みなどうやむやになった」

 そっと皺だらけの手が袋を卓の上に戻す。

「あの用心棒が来た時、私はあの男を引き止めることにした。傭兵になって生きていけるとは思えなかったこともあるが、無駄に命を散らすのを受け入れることができなかった。それはこうしてみると、正解だった。だったが……」

 一度、目を閉じる男の口元が、わずかに震える。

「その正解を、なぜ、あの子の時に導き出せなかったのか」

 後悔。そしておそらく、懺悔。

 アンリは今、誰よりも悔いている。娘の死を、その運命を、一直線に伸びていた道筋を、どこかで止められなかったかと、真剣に思っているようだ。

 俺がそれを見て感じたのは、最初は共感だった。

 共感はしかし、すぐに崩れた。崩れて、消えた。

 俺たちは、何も後悔なんてない。俺たち自身が後悔していなければ、他のものが、他人が、後悔したところでどうでもいいのだ。

 目の前にいる男はユナの父だが、ユナの理解者にはなれなかった。

「話はこれだけです」

 俺は椅子から立ち上がって、深く頭を下げた。

「失礼します」

 返事はない。顔を上げると、五年ぶりに見た幼馴染の父親は、ぼんやりと卓を見ている。俺の方を見ようともしない。

 やはり俺とは住む世界が違う。

 俺はもう一度、頭を下げて部屋を出た。

 玄関を入ったところのホールに出ると、彫像のようにイリューが立っているのが見えた。

 違う、例の用心棒が剣を構えて、彼と向かい合っている。

 剣が閃き、イリューの直蹴りがその刃の到達より早く用心棒を蹴り飛ばした。

「話は終わったか」

 平然としたイリューに、ああ、とだけ俺は答えた。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ