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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
202/213

5-31 歓迎

     ◆



 十六歳の時にレオンソード騎士領を出て、すでに五年が過ぎていた。

 この五年は短いように思えて、振り返ってみれば激動だった。

 様々なことがあった。

 今の自分があることが信じられないほど、本当に様々なことがあったのだ。

 生きているのが不思議なほどだ。

 五年ぶりのレオンソード騎士領には特に変化はない。真夏で田畑では農作物が一面の緑を形作っていた。

 農夫の一人がこちらをじっと見て、それからすぐに作業へ戻った。

 遠目に見たが、昔、十代の頃に友人だった男に見えた。見えたが、同じ二十を超えたばかりの年齢とは思えないほど、彼は疲れて見えた。

 道は舗装されていないが、よく踏み固められ、砂利もない。

 目の前から荷車が来て、まだ十代の子どもたちが押して曳いている。肥溜めから持ってきた肥料の入った桶が、荷車には満載されていた。

 すれ違う時、彼らがこちらを不思議そうに見ていた。こんな辺鄙な場所に、変に身なりのいい男が二人いて、しかも一人は明らかに亜人なのだ。不自然この上ない。

 俺も十年以上前に、彼らのようなことをしていたとは、信じてもらえないだろう。 

 すれ違い、俺は周囲を見ながら通りを進み、やがて山に向かう斜面のその木立の奥に、屋敷が見えた。レオンソード騎士家の屋敷だ。

 山を少し入ったところで門がある。五年前と同じ門で、中年の男性が二人、そこに立っている。腰に剣が見えるが、体格はどこか弛んで、姿勢は安定を欠き、目つきはただ物騒なだけで鋭いものはない。

 俺とイリューが門を抜けようとすると「来客の知らせは受けていない」と、どちらかといえば剣呑な顔つきの方が剣を抜いた。

 ため息を置き去りにして、イリューが飛び込み、掌底で男の顎を跳ね上げ、宙で回転した彼はうつ伏せに地面に倒れ、動かなくなった。

「殺しちゃいないよな?」

 俺の方から確認すると「軟弱者が剣を抜くからだ」とい返事があった。口調からすると手加減しただろう。

 門衛のもう一人は、愕然としている。

 その視線が俺をじっと見る。

 瞳の奥で、理解の色が広がった。

「お前、リツか? リツ・グザ?」

 笑って見せたが、俺の方は彼のことを覚えていない。五年前にいなかったようではないが、下っ端か、今よりもっと下っ端だったんだろう。

「レオンソード様はいらっしゃるかな?」

 俺の問いかけに、門衛、というか用心棒はカクカクと頷き、俺たちの先に立って歩き出したが、急に駆け出し、そのまま俺たちを置き去りにした。

「大層な歓迎の仕方もあったものだ」

 イリューが皮肉を言いながら、俺の後をついてくる。

 傾斜のある道はすぐにを終わり、庭がある。庭の手入れは五年前より明らかに悪くなっていた。そういうところに騎士家としての凋落の一部が見えた。

 庭の向こうに屋敷があるが、やはり時間の経過を感じさせる。

 もっとも今の時代、ほとんどすべての騎士領が経済的に困窮し、屋敷を改築したり増築する余裕はないと聞いている。

 屋敷の玄関前に、さっきの用心棒と、他に剣を帯びている男たちが八人ほどいる。

 いや、もう一人、その奥にいる。その一人だけ上背があり、肩幅が広い。視線に茫洋としたものがあり、そういう計りづらい眼差しをするものほど注意が必要だ。

 九人の前に立ち、一応、距離を取って足を止めた。

「通してもらえないかな」

 俺が問いかけた瞬間、九人が一斉に剣を抜いた。

「殺すまでもないが」イリューが俺の方を見る。「殺さない方がいいのだろうな」

「当たり前だ。ここは戦場じゃない」

 イリューが肩をすくめるのを狙っていたように、九人が一斉にこちらへ押し寄せてきた。

 俺もイリューも、動き出した。

 すれ違う男を一人ずつ素手で打ち据え、昏倒させていく。イリューが六人、俺が三人。

 相棒の動きのキレに舌を巻いているところに、例の奥にいた一人が飛び込んできた。

 俺を狙っている。

 剣が抜き打ちでこちらの首筋をなで切りにしようとするのは、はっきり見えた。

 誘いか。

 体を傾ける。切っ先が空を切る。

 翻った刃が上段からか落ちてくる。

 やはり誘い。

 俺の左手が上がり、男の強烈な一撃を抜いていない剣の鍔で受け止める。

 剣を絡め取り、弾き飛ばす。

 男が組みついてくる。斬り合いより組み打ちが望みか。

 男が俺の腕を取ろうとするけれど、面倒になって、単純な対処を選んだ。

 俺は足を止め、ぐっと重心を落とした。男が愕然とした顔になる。やっと感情を取り戻したという感じだ。

 彼は俺の体がまるで石像になったと感じただろう。

 腕を引っ張ろうにも、俺の腕は微動だにしない。体全体もだ。

 さっと男が離れる。腰を落として両腕を広げているが、その顔には悲壮なものがある。

 勝てない相手に挑む獣の気配。

 それくらいには俺の力を理解しているのだ。

「こいつは切ってもいいだろう、リツ」

 イリューが俺の横に並んでくる。

「ま、少しは使う」

 俺たちの会話に、いよいよ男は絶望に支配された表情になる。挑戦してはいけない相手に挑んだ、ということは、殺されても文句は言えない、ということである。

 しかし、本当に殺すのが目的じゃないし、話をしたいだけだ。

「レオンソード様にお話ししたいことがある。通してもらえるかな」

 男が今に飛びかかるような姿勢をとった。

「待て」

 低い声が奥からした。男が一人で守っていた玄関の扉が軋みながら開き、老境に差し掛かった男性が出てきた。

 五年では別人になるわけもない。

 よく知っている男性は少し微笑みを浮かべた。

「リツか。昔の面影が残っているな。立派になったものだ」

「お久しぶりです、レオンソード様」

「私に丁寧な言葉を使うな。ただの騎士領の老ぼれだ」

 用心棒の男に「介抱してやれ」と言って、ユナの父は屋敷の中に入っていく。俺とイリューが視線を交わし、イリューは好きにしろという感じである。

 俺は用心棒の横を抜け、中に入った。イリューはもう彼には関心を失ったようだ。

 屋敷の中は静まり返っていた。俺は名前を忘れてしまったユナの父の背中を追って、そのまま応接間に入った。屋敷の中の記憶が蘇った。そう、その応接間で俺とユナで遊んだことがあった。あの時、ユナの母親が俺たちを叱りつけたっけ。

 応接間は最後に見た十年以上前と変化はほとんどなかった。あるとすれば、全てが古びているということか。

 椅子に深々と腰掛け、領主がこちらを見た。

「きみが無事でよかった。傭兵になったのだな。座りなさい」

 俺は会釈して椅子に座ったが、イリューは壁際に立った。

「亜人は座れと言っても座りません。おすわり! と強く言わないと」

 反射的に冗談を言っていたが、領主も亜人も、無反応だった。

 まったく、俺の気遣いを無視しないでほしい。

 領主が先に話を通していたのだろう、部屋に女中がやってきて、お茶と菓子が用意された。イリューはカップを受け取り、しかし受け皿は返していた。マナーを拒絶する意思表示らしい。

 お茶を飲んでいるうちに、やっと思い出した。

 ユナの父であるレオンソード騎士領の領主はアンリ、ユナの母はミリだった。

「娘は元気かな」

 沈黙が降りてきた部屋に、そっとアンリが言葉を発した。

 俺がここにいる理由、ここまで来た理由を想像すれば、答えは分かっている。答えは分かっていても、問いかけずにはいられない、という心理だったのだろう。

 俺は懐から小さな袋を取り出し、それを目の前にある、やはり古びている卓の上にそっと置いた。

「ユナの遺骨です」

 ふぅっとアンリが息を吐き、それからゆっくりとカップを卓に置いた。

 その手が震え、カチカチを立てた。



(続く)

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