5-31 歓迎
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十六歳の時にレオンソード騎士領を出て、すでに五年が過ぎていた。
この五年は短いように思えて、振り返ってみれば激動だった。
様々なことがあった。
今の自分があることが信じられないほど、本当に様々なことがあったのだ。
生きているのが不思議なほどだ。
五年ぶりのレオンソード騎士領には特に変化はない。真夏で田畑では農作物が一面の緑を形作っていた。
農夫の一人がこちらをじっと見て、それからすぐに作業へ戻った。
遠目に見たが、昔、十代の頃に友人だった男に見えた。見えたが、同じ二十を超えたばかりの年齢とは思えないほど、彼は疲れて見えた。
道は舗装されていないが、よく踏み固められ、砂利もない。
目の前から荷車が来て、まだ十代の子どもたちが押して曳いている。肥溜めから持ってきた肥料の入った桶が、荷車には満載されていた。
すれ違う時、彼らがこちらを不思議そうに見ていた。こんな辺鄙な場所に、変に身なりのいい男が二人いて、しかも一人は明らかに亜人なのだ。不自然この上ない。
俺も十年以上前に、彼らのようなことをしていたとは、信じてもらえないだろう。
すれ違い、俺は周囲を見ながら通りを進み、やがて山に向かう斜面のその木立の奥に、屋敷が見えた。レオンソード騎士家の屋敷だ。
山を少し入ったところで門がある。五年前と同じ門で、中年の男性が二人、そこに立っている。腰に剣が見えるが、体格はどこか弛んで、姿勢は安定を欠き、目つきはただ物騒なだけで鋭いものはない。
俺とイリューが門を抜けようとすると「来客の知らせは受けていない」と、どちらかといえば剣呑な顔つきの方が剣を抜いた。
ため息を置き去りにして、イリューが飛び込み、掌底で男の顎を跳ね上げ、宙で回転した彼はうつ伏せに地面に倒れ、動かなくなった。
「殺しちゃいないよな?」
俺の方から確認すると「軟弱者が剣を抜くからだ」とい返事があった。口調からすると手加減しただろう。
門衛のもう一人は、愕然としている。
その視線が俺をじっと見る。
瞳の奥で、理解の色が広がった。
「お前、リツか? リツ・グザ?」
笑って見せたが、俺の方は彼のことを覚えていない。五年前にいなかったようではないが、下っ端か、今よりもっと下っ端だったんだろう。
「レオンソード様はいらっしゃるかな?」
俺の問いかけに、門衛、というか用心棒はカクカクと頷き、俺たちの先に立って歩き出したが、急に駆け出し、そのまま俺たちを置き去りにした。
「大層な歓迎の仕方もあったものだ」
イリューが皮肉を言いながら、俺の後をついてくる。
傾斜のある道はすぐにを終わり、庭がある。庭の手入れは五年前より明らかに悪くなっていた。そういうところに騎士家としての凋落の一部が見えた。
庭の向こうに屋敷があるが、やはり時間の経過を感じさせる。
もっとも今の時代、ほとんどすべての騎士領が経済的に困窮し、屋敷を改築したり増築する余裕はないと聞いている。
屋敷の玄関前に、さっきの用心棒と、他に剣を帯びている男たちが八人ほどいる。
いや、もう一人、その奥にいる。その一人だけ上背があり、肩幅が広い。視線に茫洋としたものがあり、そういう計りづらい眼差しをするものほど注意が必要だ。
九人の前に立ち、一応、距離を取って足を止めた。
「通してもらえないかな」
俺が問いかけた瞬間、九人が一斉に剣を抜いた。
「殺すまでもないが」イリューが俺の方を見る。「殺さない方がいいのだろうな」
「当たり前だ。ここは戦場じゃない」
イリューが肩をすくめるのを狙っていたように、九人が一斉にこちらへ押し寄せてきた。
俺もイリューも、動き出した。
すれ違う男を一人ずつ素手で打ち据え、昏倒させていく。イリューが六人、俺が三人。
相棒の動きのキレに舌を巻いているところに、例の奥にいた一人が飛び込んできた。
俺を狙っている。
剣が抜き打ちでこちらの首筋をなで切りにしようとするのは、はっきり見えた。
誘いか。
体を傾ける。切っ先が空を切る。
翻った刃が上段からか落ちてくる。
やはり誘い。
俺の左手が上がり、男の強烈な一撃を抜いていない剣の鍔で受け止める。
剣を絡め取り、弾き飛ばす。
男が組みついてくる。斬り合いより組み打ちが望みか。
男が俺の腕を取ろうとするけれど、面倒になって、単純な対処を選んだ。
俺は足を止め、ぐっと重心を落とした。男が愕然とした顔になる。やっと感情を取り戻したという感じだ。
彼は俺の体がまるで石像になったと感じただろう。
腕を引っ張ろうにも、俺の腕は微動だにしない。体全体もだ。
さっと男が離れる。腰を落として両腕を広げているが、その顔には悲壮なものがある。
勝てない相手に挑む獣の気配。
それくらいには俺の力を理解しているのだ。
「こいつは切ってもいいだろう、リツ」
イリューが俺の横に並んでくる。
「ま、少しは使う」
俺たちの会話に、いよいよ男は絶望に支配された表情になる。挑戦してはいけない相手に挑んだ、ということは、殺されても文句は言えない、ということである。
しかし、本当に殺すのが目的じゃないし、話をしたいだけだ。
「レオンソード様にお話ししたいことがある。通してもらえるかな」
男が今に飛びかかるような姿勢をとった。
「待て」
低い声が奥からした。男が一人で守っていた玄関の扉が軋みながら開き、老境に差し掛かった男性が出てきた。
五年では別人になるわけもない。
よく知っている男性は少し微笑みを浮かべた。
「リツか。昔の面影が残っているな。立派になったものだ」
「お久しぶりです、レオンソード様」
「私に丁寧な言葉を使うな。ただの騎士領の老ぼれだ」
用心棒の男に「介抱してやれ」と言って、ユナの父は屋敷の中に入っていく。俺とイリューが視線を交わし、イリューは好きにしろという感じである。
俺は用心棒の横を抜け、中に入った。イリューはもう彼には関心を失ったようだ。
屋敷の中は静まり返っていた。俺は名前を忘れてしまったユナの父の背中を追って、そのまま応接間に入った。屋敷の中の記憶が蘇った。そう、その応接間で俺とユナで遊んだことがあった。あの時、ユナの母親が俺たちを叱りつけたっけ。
応接間は最後に見た十年以上前と変化はほとんどなかった。あるとすれば、全てが古びているということか。
椅子に深々と腰掛け、領主がこちらを見た。
「きみが無事でよかった。傭兵になったのだな。座りなさい」
俺は会釈して椅子に座ったが、イリューは壁際に立った。
「亜人は座れと言っても座りません。おすわり! と強く言わないと」
反射的に冗談を言っていたが、領主も亜人も、無反応だった。
まったく、俺の気遣いを無視しないでほしい。
領主が先に話を通していたのだろう、部屋に女中がやってきて、お茶と菓子が用意された。イリューはカップを受け取り、しかし受け皿は返していた。マナーを拒絶する意思表示らしい。
お茶を飲んでいるうちに、やっと思い出した。
ユナの父であるレオンソード騎士領の領主はアンリ、ユナの母はミリだった。
「娘は元気かな」
沈黙が降りてきた部屋に、そっとアンリが言葉を発した。
俺がここにいる理由、ここまで来た理由を想像すれば、答えは分かっている。答えは分かっていても、問いかけずにはいられない、という心理だったのだろう。
俺は懐から小さな袋を取り出し、それを目の前にある、やはり古びている卓の上にそっと置いた。
「ユナの遺骨です」
ふぅっとアンリが息を吐き、それからゆっくりとカップを卓に置いた。
その手が震え、カチカチを立てた。
(続く)