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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
201/213

5-30 拒絶した生き方

      ◆



 戦場の目と鼻の先のルッツェから、俺とイリューは離れることになった。

 最小限の荷物で、俺はさすがに重武装でいる必要もないので、背中に背負うようにしていた三本はジュンに預けておいた。なので武器は腰にある刀、カミタチだけである。

「昔、この大陸を巡り歩いたことがある」

 ある夜、小さな旅籠の小さな部屋で、俺たちは少しだけ酒を飲んでいた。酔ったわけでもないだろうが、イリューが話し始めた。

「もう百年は前だ。亜人の住む地は平穏で、全てが間延びしているように感じていた。自分がこのまま長い時間の中で、ゆっくりと力を失い、霞むようにして消えていくのかと思うと、耐えられなかった」

 俺は黙って話を聞くことにした。こうして亜人が自分を語ることはそうあることではない。

「故郷を出る時、絶縁することを求められた。亜人は今も、人間と距離を取っているからな。しかし私は縁を切られることを少しも恐れなかった。若かったと言えばそれまでだが、故郷の地の外、見えない壁で隔てられた外に世界に、何かしらの真実がある気がした」

 どこか俺とユナのことを思い出させる言葉に、俺はイリューを見ることはできず、視線を手元の小さな杯に向けた。

 俺とユナがまだ幼かったあの日、俺たちはレオンソード騎士領という狭い世界から、外へ飛び出すことを求めた。正確には、ユナは最初からそのつもりで、俺はそれを追いかけることを考えていた。

 狭い世界と、時間がもたらす焦燥感は、今のイリューの話と共通しているのではないだろうか。

「剣術は故郷で負けることは稀だった。自信があり、自負があった。その一方で傲慢でもあり、盲目的でもあった。ある時、私の前に外から戻ってきた亜人が現れた。縁を再び結んだその年老いた亜人は、俺を打ちのめし、俺は一敗地にまみれた。初めてと言っていいほど、何もできずに敗れた自分がその時は信じられなかった」

 敗北。それもまた、どこかで俺とユナの間にあった。

 何故か、敗北することがある種の物事を先鋭化させる。

 勝ちたいという思いは、原動力でありながら、一方で危険なのだ。

「私は敗北を理由に、外へ出ることを決めた。より優れた剣を使うものになりたい。亜人の技とは違う、人間が使う技、彼らが短い命の中で磨き上げた剣術をいうものを、知りたかった。そう、私が求めた真実とは、完璧なる剣術、無謬の技、そういうものだった」

「見つかったか?」

 俺が思わず問いかけると、いいや、とイリューは自嘲気味な笑みを見せた。

「見つかるわけがない。大陸を北へ行き、西へ行き、東へ行き、そんなことを続けたが、誰も俺の技に対抗できなかった。これは、と思うものもいた。その技を俺は身につけたが、相手は俺の技を盗むどころではない。人はあっという間に老いる。衰えは老いよりもさらに足が速い。最高の剣術に手が届きそうなものは、呆気ないほど簡単に消えてしまう」

 言いながらしかし、イリューは怒っているようでも、落胆しているようでもない。

 彼が今、見せている感情は、愛おしさ、だろうか。

「私は人間たちが剣術を少しずつ前進させる様子に、亜人にはないものを見た。一人で長い時間をかけて技を磨くのと、師匠から弟子へと小刻みに技術を継承していく中で術が生まれるのと、どちらが優れているとも言えぬ。ただ、技術というものには、血の滲む努力どころか、血そのもの、時間という命そのものが宿っているのは、間違いない。それに優劣はないのだろう」

 そこまで言って、イリューは自分がいつになく喋っていることに気づいたようだ。

 彼が口を閉じたので、俺も何も言わず、部屋には沈黙がやってきた。

 明かりが頼りなく、微かな隙間風に揺れる。

「どうして傭兵を始めた?」

 酒瓶から最後の一滴を奴の杯に注いでやってから、そう問いを向けてみると、追い込むためだ、と返事があった。

「実戦、命がけの場において、自分の剣術が通用するのか、どう変化するのか、それを知りたかった。試すような余裕はない戦場だからこそ、私の本当の力がそこには表出する。どれだけ技を磨き、どれだけ術を高めても、それが通用しない場所に自分を置きたかった。技が通じず、術が通じない時、自分が何をするのか、見てみたかった」

「要は自殺志願か」

「剣術など、そのようなものだ。生きていたいものは剣など取らぬ」

 なるほど、その通りだ。

 この夜の会話は、しばらく俺の頭の中にあった。

 俺もユナも、何故か戦場を求めていた。

 自分を試す、という考えだっただろうけど、実際に戦場に立ってしまったのは、心が幼すぎたのか、それとも幼い頃の願望に忠実であろうとしたせいか、どちらだろうか。

 平穏な生き方、平凡な生き方、そういうものがあったはずだ。俺には小作人として農地に向き合い続ける日々があり、ユナには領主の娘として生きていく日々があったはずだ。

 でも俺たちはそれを拒絶した。

 愚かだろうか。

 俺がイリューに言ったように、俺やユナの選択は、命知らずの、自殺志願者の行動だっただろうか。

 周りから見れば、どんな評価もできる。ある人から見れば傭兵として成功したように見え、ある人から見れば失敗したように見える。故郷を飛び出したことも、ある人には勇敢に見え、ある人には無謀に見える。ある人は羨ましがり、ある人は愚行だと罵る。

 問題は自分がどう考えるか、だろうか。

 ユナはきっと、最後の最後まで、傭兵になったことを後悔しなかったんじゃないか。

 彼女には誇りがあり、強い意志があった。

 俺も傭兵になったことは後悔していない。ユナに感謝することさえある。

 小作人のままでは知ることのなかった世界を、俺は知ることになった。美しい世界、心躍る世界もあれば、悲惨な世界、残虐な世界もまた、そこにはあった。

 嬉しいことや楽しいこともあれば、苦しむことも悩むこともある。

 そういう全てを俺は否定しない。

 だからユナの死がもたらす喪失感と、自分の無力感も、やはり否定はできないのだ。

 過去から俺の足を引っ張ろうとする全てを引きずって、前に進むしかない。

 俺が俺自身で、俺の道を選び、進んできたのだから。

 レオンソード騎士領が近くなるにつれて、気配は弛緩して、戦場のあの重苦しさや湿って粘り気があるような空気、薄暗い空は、まったく遠いものになった。

 ここには抜けるような青空があり、肌を焼く強い日差しがあり、爽やかな風が吹いていた。大地には緑が広がり、田畑では植物がまっすぐに育っている。

 イリューは物珍しげに周囲を眺め、俺は無意識に畑の作物の様子を見た。天候が良いのだろう、どこも問題なく育っている。

 農作業中の男たちがこちらを不思議そうに眺め、しかしすぐに仕事へ戻る。

 これが平和な世界。

 戦いも、争いもない世界なのだ。




(続く)

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