5-29 涙
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ジュンはだいぶ急いだようで、予定より一日早くルッツェ戻ってきた。
その間、イリューは亜人の地区で寝泊まりして、しかし昼も夜もなく剣術の稽古を続けているようだった。俺も一日だけ、顔を出した。イリューと長く組んでいることもあり、亜人たちは俺をさほど敵視も蔑視もせず、人間なのに亜人の技を覚えようとする奇特な存在、と見ている。
「普段よりだいぶ厳しいよ」
稽古の合間の休憩の時、俺のそばに亜人が一人やってきて言った。外見的には年齢は二十代だが、間違いなく俺の倍は生きているはずだ。
「イリュー師に何かあったのかって、みんな噂している。あんたは何か知っている?」
気さくな口調で、特に悪意はなさそうだったが、知らないな、と答えるしかない。
イリューの稽古はちょっと見ただけでも普段より格段、手厳しいものになっている。危うく大怪我をさせそうな場面も多く見られた。
もっともそこは亜人ということなのか、稽古をつけてもらっている方も怯むことはないし、むしろよりきわどい方へ向かっていく。
亜人は人間と瓜二つで、違うのは共通する美貌と長身、長命という点がすぐ上がる。だが亜人は回復力も高く、大怪我を負っても後遺症はほとんど残らないようだ。
そもそも深手を負っても、十年をかけて直すとしたら、人間はその寿命の一割を奪われるが、数百年を生きる亜人からすれば、十年はそこまで大きな損失ではない。
彼らが独特の剣術を編み出したのは、魔物との戦闘、人間との戦闘という要素があるが、それ以前に、亜人同士の争いがあったのでは、と俺は思うことがある。明らかに亜人を想定した技があるのだ。今は亜人同士の争いはおおよそ無くなった。
人間もいつか、人間同士の争いを無くせるのか。
ジュンは俺が亜人のことをぼんやりと考えて、食堂の表でお茶をすすっているところへ飛び込んできた。太陽は眩しすぎるほどで、日差しが強すぎて地面の上で見えない何かがゆらゆらと揺れていた。
「やあ、ジュン」
「あんた、こんなところで何しているわけ」
俺が声をかけると、つかつかと歩み寄ってきたジュンが開口一番、強い口調で言った。
「何って、お茶を飲んでいるだけだよ」
「幼馴染を殺されて、お茶を飲んでいるっていうの?」
うーん、と俺が首を捻るとジュンの手が俺の襟首を掴み、一気に引っ張り上げた。細腕によくその力があると思うが、ライトニングスピードのファクトを応用して使えばこういうこともできる。
「あなた、悔しくないの? 仇を討とうと思わないわけ?」
「それは現場を見てから、考えて欲しい」
俺はそっとジュンの手に触れた。彼女がハッとした顔をして、俺の襟首を解放し、俺は店員に銭を投げて通りへ出た。ジュンがもう何も言わずについてくる。
俺はまず例の半壊していた精霊教会の建物へ行き、次に教会があった場所へ行き、最後に神鉄騎士団が戦力を集中させた本部の焼け跡へ行った。
「感想は?」
三箇所とも、建物は完全に崩壊し、死者を悼む花が手向けられていた。
すでに人の死の気配はない。破壊の痕跡があるだけで、あの暴力、狂気、殺意の気配も薄れてなくなっていた。
ただ、ジュンは気付いただろう。
死の気配に敏感ではない傭兵などいない。ジュンはその傭兵の中でも優秀だったのだ。
「全部で数百人が死んでいる。身元が分からないものがほとんどだ。骨になって掘り出されたものが大半だよ」
俺が淡々とそう言うと、焼け跡を前にしてジュンがかすかに俯いた。
傭兵ならみんな同じことを考えるだろう。
人間を守るために剣を取っているはずなのに、こうして人が人に剣を向ける事態が起こる。
たった今も魔物の群れを相手にしているものたちに、どう釈明すればいいのか。
「ユナさんはどこで?」
やっとジュンがそう言葉を発した。
「あそこにある枯れ井戸の中で見つかった」
精霊教会の建物は簡単な塀で囲まれていたけど、既にそれも撤去されている。井戸は通りからでもよく見えた。
「焼き討ちから逃げたわけじゃない。あの時にはもう、体もほとんどなかった。きっとルティアは自分を襲ったユナを殺さずにおいて、あの井戸の底に放り込んだんだろう。井戸の底じゃあ、ユナのイレイズのファクトは意味を持たない。長い間、食料も水もなく、闇の中で、ユナは死んでいったと思う」
なんてことを、とジュンはつぶやき、それ以上の言葉はないようだった。
俺は焼け跡、何の変哲もない破壊の痕跡を眺めて、何も感じなくなった自分を再確認してから、「行こう」とそこに背を向けた。後ろを黙ってジュンが近づいてくる。
「ジュンが来たら直接、話そうと思っていたことがある」
俺は往来で足を止めて、振り返った。
ジュンがこちらを見上げる。その瞳は赤くなり、潤んでいた。
ユナのために泣けるというのは、正直、羨ましかった。
「ユナの骨を、故郷へ戻したい。そのために一度、戦場を離れたいんだけど、できるかな」
「人類を守り隊は残念ながら、人手が足りなくなるほど忙しくなったことはないわね。いいわよ、行きなさい。おおよその仕事の管理をしている私が言うんだから、好きなだけ、休みを取りなさい」
「ありがとう。冬になる前には、帰ってこられると思う」
俺たちは並んで、しかし無言で宿へ戻ったが、宿の前まで来て「食事を抜いていてね」とジュンが言ったので、俺たちはそこから食堂へ行き、日陰に置かれた卓で食事にした。
オー老師は病を得て医者の世話になっている、とジュンが言った。さすがにもう長くないだろう、と付け加えてから、あれだけ酒を飲んだにしては長生きだけど、と笑った。
そんなやり取りも終わる頃、通りを長身が進んでくるのが見えて、それはイリューだった。俺が手を振って見せると、憮然とした表情で亜人がこちらへ来る。
「俺は休暇をとって、故郷へ戻る」
そう告げると、亜人は何かを考える顔になり、ジュンの方へ目線をやった。
「私も休暇をとっていいか?」
ジュンが呆気にとられた顔で言葉を失っている。俺も似たようなものだ。
そのような顔をするな、と亜人は不機嫌そうにする。
「そこの軟弱者のお守りをしてやろうというのだ。何もないだろうが、私も戦場以外に身を置くことを、忘れつつある」
「だったら亜人の故郷へ戻れよ」
俺はそう言ってはみたが、当の亜人は「故郷で会いたい者などおらぬ」という返事だった。いや、俺とユナの故郷にイリューが会いたい人物がいるとも思えないけど。
「ま、イリューに一人で仕事をさせるのも不安だし、お好きに」
ジュンはそんな言葉でイリューを頼みを受け入れ、一方のイリューはまだ不愉快そうだったが、何も言い返さなかった。イリューはイリューなりにジュンに感謝したのだろう。
自然と三人で卓を囲む形になった。
死者のことを忘れようとするように、話は自然と未来のことになった。
でも誰もはっきりとしたことは言えない。未来は知りえないし、未来は定まってもいない。
明日があるかだって、実際のところ、わからないのだ。
(続く)




