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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
20/213

1-20 一筋の傷

       ◆



 お茶を飲み終わってからも、ルッコはしばらく書き物をしていた。

 それが終わるより早く、「昼食の用意をしておけ」と言われた。用意も何も、何を作ればいいんだ?

「献立は任せる。昨日の夜、貯蔵庫は教えたはずだ」

 確かに教えてもらったけど、俺はこれでもつい昨日、やってきたばかりなんだが。

 仕方なく貯蔵庫に入り、しばらくの間、何があるのか見て回った。

 野菜が意外に多い。干してあるものが大半だが、見たこともない根菜も多い。例の巨人が俺にくれた球根のようなものもあった。しかしここにはそれが三色に仕分けされていて、同じものの色違いか、似ているだけの別種のものか、すぐにはわからない。

 あまり時間をかけてもいけないと思い直して、雑炊のようなものを作った。本当は生卵を使いたかったけど、さすがにこんな山奥には鶏もいない。

 代わりに乳を発酵させたチーズのようなものがあった。匂いを嗅いでみると、ヤギの乳から作ったようだけど、はっきりはしない。

 とにかく、粥にチーズをどんどん入れて、とろみのある雑炊ができた。香辛料をすり潰しておいたもので、味を調える。

 鍋ごとリビングへ運ぶと、ルッコはすでに書き物は終えて、本を開いていた。

 視線がこちらに向き、少し拗ねたような表情を作った。

「匂いからして、意外に料理上手だな」

 どうも、などと応じて鍋をテーブルに置く。すぐに器を持って戻ったが、ルッコは雑炊をとり分けるための大きな匙でぐるぐると鍋の中身をかき回していた。

 特に何も言わず、器と匙を受け取るとさっさと自分の器に粥を盛り、席について食べ始めた。

 俺も自分の席で食べたが、意外にうまくできた。チーズはやはりヤギのものっぽい。塩気がもう少しあった方が良かったかもしれない。

 食事が終わると、ルッコは食事の前より上機嫌という感じになっていた。

「まあ、まずは上着を脱げ。背中を打ったのだろう?」

 片付けを終えた俺がリビングに戻ると、早速、指示がある。

 俺は上着を脱いで背中を彼に向けた。

 すぐに唸り声が聞こえたので、驚いた。振り返ろうとすると、背後から右肩を抑えられた。それで動きを止めた俺の背中を、複雑にルッコの指がなぞる。

「ここかな」

 ぐっと背中を押されたが、何かしこりがありそうだ。不自然な感触だった。

「何かありますか?」

「いや、何もない。見るか?」

 一度、俺の背後を離れたルッコが二枚の鏡を持ってきて。一枚が俺に手渡され、もう一枚がルッコの手元で俺の背中を映している。それで俺は前を向いたまま、ルッコの手の鏡を自分の手元の鏡に映せばいいのだ。

 角度をお互いに調整したが、普通の人間の背中があるだけだ。

 何か岩でも埋め込まれているのかと思ったけど、そういう外見的な変化はない。

「ま、ここまでは事前の情報の通りだ。上着を着ろ」

 ちょっと気になって手を回すことで背中を撫でてみたけど、しかししこりはあるようだ。見えないだけで、皮膚の下かもしれない。力を加えてみると背の骨に当たるだけのような気もする。

「早く服を着ろ」

 せっつかれて、俺は素早く上着を着た。ルッコはもう前に戻ってきている。

 その手に何か、ナイフがあるな、とは思っていた。

「手を出せ」

 こうも矢継ぎ早に指示があると、無意識に従ってしまうものだ。

 右手を出した途端、その掌がナイフで切り裂かれた。

 痛みに変な声が出ていた。

「な、何を」

「見てみろ」

 ルッコは俺の掌を見ている。手首を彼の手が握りしめているのだけど、無論、出血を止めるような意図ではなく、ただ引っ込ませないようにしただけ。

 右手には血が溢れている、のだけど、その血がみるみる結晶のようになり、固まっていく。

 普通の人間に起こることではない。

 二人の視線が向いている先で、赤い結晶は蒸発するようにうっすらとした赤い靄として蒸発していき、最後に残ったのは掌に一筋走る、刃の痕跡だけだ。

 その痕跡さえも赤い結晶になっていて、目の前で見る間に消えた。

 消えてしまえば、手のひらを切り裂かれた痕跡は少しもない。

「見事なものだ」

 ルッコが感嘆の言葉を漏らすけど、俺としては何か、変な夢を見ているようだった。

 もしかしたら、こういう回復に関係するファクト、強く発現したヒーラーなどのファクトを持つものなら、似たようなことが起こるかもしれない。

 でも俺にはヒーラーのファクトはないし、今、俺が見ている前でルッコがそういう力を行使したようではない。ただ見ていたのだ。

 俺だってただ見ていた。

 自動的にけがは治癒したのだ。それも不自然な経緯をたどって。

「生きた岩というのはな」

 手首を放したルッコが、ゆっくりと顎を撫でながら話し始めた。

「不老不死とまではいかないが、岩石のような存在にその人間を変えるという。遥か昔、錬金術というものが存在した時代から、文献にはそれに近い記述はあるが、ほとんど散逸している。しかし、巨人たちはその時代から生きているのだよ」

 どう答えていいものか、判断がつきかねた。

 ギラッとルッコの瞳が光る。

「人間の中で生きた岩を移植されたものは、現時点では私が知る限り、お前を含めて二人だよ」


「え? もう一人、いるんですか? どこに?」

 反射的に質問すると視線がどこか横へ向いたので、俺はそのルッコの視線を追った。追ったけど、壁しか見えない。

「深き谷で、生きているだろう。もう高齢だ」

「百歳くらいですか」

「まさか。二百歳くらいだろう」

 絶句している俺の前で、私も会ったのは数回だ、とルッコは何も気にしていないようだった。

 二百歳?

 それってつまり、俺もこれから百年以上、生きて、さらに生きるかもしれないのか?

 し、信じられない。

 長生きできてラッキー、などという数字じゃない。

 死ねないって、こんなに厳しいことなのか。

 俺の中で悲壮感が膨れ上がるけれど、そんなことはどこ吹く風でルッコはペラペラと喋っていた。

「記憶は正常のままらしいし、意識も混濁したりはしない。眠りも正常だと聞いている。食事もな。だからただ長生きするだけで、人間であることに変わりはない。ただ、問題は自分だけが生きていて、周りは死んでいくことになるから、社会に溶け込むのは難しい。仮に社会に溶け込んでも、いずれは不死か不老かで変な目を向けられる。そうなったら、また別の場所で一から始めるよりない」

 何が何だか、すぐにわからなかった。

 えっと、人間のままだけど、俺はもう、人間じゃないのか?

「何かあれば、巨人を頼ればいい。彼らは一〇〇〇年など短いと言えるほど生きるからな」

 やっぱり俺は、何も言えなかった。

 俺は生きているのか、死んでいるのか。

 俺は、死ねるのか?

「何か質問は?」

 問いかけられたけど、俺はぐるぐると頭の中で自分自身への問いを繰り返していて、ルッコにはどう答えることもできなかった。

「あまり気にするな。この辺りの冬はまだまだ長い。そうだな、五月くらいまでは降りられん。それまで、じっくりと自分と見つめ合って、ファクトの訓練でもしていろ。私もお前という助手がいると助かる。料理とか、洗濯とか、掃除とかな。ついでにいい研究材料でもある」

 無言でいるわけにもいかず、俺は目の前で笑っている学者を見た。

「今、何月でしたっけ」

「二月だ」

 三ヶ月を長いと見るか、短いと見るか、難しいところだった。

 そもそも俺は何百年も生きるとなると、なおさら、分かりづらい。

 気楽にな、とルッコは俺の肩を叩いた。

 気楽に、なれるわけがない。



(続く)

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