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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
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1-2 一人の剣士


     ◆


 十歳になろうかという時、不思議な出会いがあった。

 僕はその時もひたすら畑仕事に打ち込み、夕方にはユナと稽古を繰り返していた。

 指導者がいない剣術は、荒々しく、粗雑だったけれど、どこか鋭さが見え隠れしていた。

 こちらがユナを本気で打つのをためらうのに、ユナはためらいもしない。

 すれ違い、棒が空を切る。

 すぐに踏み込み、棒と棒が当たり、絡み合い、力を込めあって離れ、また棒が走る。

 日が暮れかかっている集落の外れの空き地は、僕とユナの稽古場で、そこだけは地面から小石の一つも無くなっている。草が生えることもなく、地肌がむき出しになっていた。

 そばに立っている木は幹に皮がなくなっている場所があって、そこは僕かユナが棒で打っている場所だ。

「わっ」

 ユナの棒が鼻先をかすめて、姿勢が乱れる。

 飛び上がったユナが棒に全身の力を込めて打ち込んでくる。

 両手で棒を横にして受け止めたけど、僕の棒が折れた。

「ぐえ」

 ついでにユナが落ちてきて、地面との間に挟まれた。

「ああ、ごめん」

 意外に見た目より軽いユナが立ち上がり、僕に手を貸して立ち上がらせる。

「面白いことをしているな」

 いきなりの声に、僕とユナは音がしそうなほど早く、声のした方を見た。

 奇妙な男が立っていた。

 旅装だが、薄汚れている。しかし腰には長剣が見えた。具足の類はない。傍らの地面に小さな荷物を置いていた。

 見知らぬ顔で、この辺りの集落にいるものの顔はほとんど全部知っているから、本当に旅人だろうか。

「どちら様?」

 警戒した声でユナが問いかけると、「旅のもので、リウという」と人の良さそうな笑みを見せて、リウと名乗った男が進み出てくる。

「子どもにしては面白い筋の剣術だな」

 言いながらリウが腰の剣を抜いたので、さすがに僕も身を硬くした。棒は折られてしまっている。ユナは反射的にだろう、棒を構えていた。

「良いか、よく見ていろよ、子どもたち」

 急に男が姿勢を低くして、さっと剣を振った。

 そこからは圧巻だった。

 舞を踊るように体が躍動し、複雑な軌跡で刃が翻る。

 舞踊のようで、違う。

 剣術の型だ。

 息もつかせぬ動きの連続に、僕も、ユナも、見入っていた。

 どれくらいそうしていたかピタリとリウの動きが止まり、「すごい」とユナが呟いた。

 剣を鞘に戻したリウがこちらに向けた笑みは、しかしどこか情けなさそうな感じで、それが動きの冴えと正反対で、印象に残った。

「こんな曲芸で食っていけるといいんだが、そうもいかなくてね、泊まる場所もない」

 どうやらどこかで宿を取らせて欲しい、ということのようだった。

 僕は母と二人暮らしで、都合が良かった。ユナはいい屋敷に住んでいるが、彼女の両親がリウをどう見るかは、ユナだけでは判断できないところがあったという事情もある。

 ユナと短く相談して、結局、僕と母が住む家にリウを連れて行った。

 家では、母が夕食の支度を終えて、ちょっとした稼ぎになるハンカチへの刺繍をしていた。

 リウを見ると目を丸くして、ちらっと僕を責めるような視線を向けたので、失敗したかな、と悟らざるをえなかった。

 でもそこは大人だけあって、母はリウを招き入れて、食事を出した。いつも通りの質素なものなので、母さんが僕を睨んだのはそのせいかな、と僕は想像した。

 母とリウが何か難しい話をしている間に、僕は食事を終え、自分の分の食器を片付け、こっそりと外へ出た。

 住んでいるのは家といっても小さな平屋で、裏手にある空間も本当に狭い。

 でも僕が棒を振るくらいの余裕はある。

 訓練用の棒があって、それはユナとの稽古で使うものよりも重い木で作ってあった。

 僕はその棒を毎晩、三百回は素振りするようにしていた。

 特に意味はない。

 意味があるとすれば、あの五歳になる前のなんでもない一日の、ユナの問いかけがまだ響いているからかもしれなかった。

 僕が何になれるのか。

 小作人として、田畑と向かい合って、人生を終えるのか。

 それとも別の選択肢があるのか。

 別の選択肢、と考えるだけで、具体的なものはない。

 少なくとも、棒を振っている間は、自分がするべき選択や、選択可能な限られた選択肢は、考えずに済んだ。

 夜の闇の中、三百回を振り終わった。

 棒を下げて家の方に向き直ると、リウが一人で突っ立っているのがかすかな光の中に浮き上がって見えて驚いた。ちょっとだけそんな自分が恥ずかしい。夜の暗さに感謝した。

「お母さんが、毎日、棒を振っていると言っていた」

 リウの言葉に、自分がさらに恥ずかしくなり、急に自分がひどくみっともなく思えた。

 なれるはずもないものに憧れていると思われると、どこか自分がいたたまれない。

 夢を見ていると思われただろうか。

 叶わない夢を、何も知らずに見ていると。

「稽古をつけてあげることにしよう」

 いつの間にか顔を俯けていた僕は、そのリウの言葉に顔を上げた。

 知らぬ間に月が出ていて、その光の中で、リウが相好を崩している。

「意外に筋がありそうだぞ、少年。名前は、リツ、だったかな」

「は、はい」

 筋がありそう? 冗談だろうか。それとも、からかわれている、おだてられているのか。

「とりあえずは明日だ。あの女の子も呼ぶといい」

 こんな風にして、僕はこの奇妙なリウと名乗る男性の薫陶を受けることになった。

 翌日の夕方、僕とユナにリウは稽古をつけてくれた。

 基本的な構え、振り方、足の捌き。それらの応用と、返しのテクニック。

 手取り足取りとはまさにこのことで、日が暮れてもリウは僕たちに指導をしてくれた。

 彼がレオンソード騎士領に滞在したのは二週間ほどで、僕とユナはその間、一日の休みもなく、指導を受けた。雨が降っても、リウは「時間はないぞ」と外へ出たのだ。こうなっては僕とユナが、雨だから、などと言ってはいられない。

 リウは出立する日に、僕とユナに、基礎的な体力を作ることと、基礎を反復することを確認した。僕もユナも、ただ頷いた。

「お前たちには意外に才能があると僕は見ているよ。どう転ぶにせよ、技は才能だけじゃ花を咲かせることはない。稽古、努力、経験、色々あるが、とにかく、続けることだ。いいな?」

 はい! と僕とユナは声を揃えて言った。

 リウは嬉しそうに笑い、レオンソード騎士領から去っていった。

 十歳の僕とユナは、初めて、本当の剣士を見たことになる。

 その上、指導さえも受けた。

 人生の岐路を一つ、僕たちは通過したのだと、いつからか思い返すようになった。



(続く)

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