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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
199/213

5-28 生きているものには

      ◆



 ルッツェの精霊教会への焼き討ちは、二日で完全に鎮火した。

 神鉄騎士団は精霊教会の古い本部、仮の本部、さらに信仰の場だった教会も、揃えて焼きはらい、この三箇所はすべてが灰に変わった。さらに延焼した周囲の建物も無数に焼けていた。

 精霊教会の関係者は総数がわからないほど殺され、こちらは三日をかけてすべてが骨になるように焼かれた。

 ルッツェはすでに実質的に精霊教会の統治下になっていたが、事態が精霊教会に恐怖を与えたためだろう、ルスター王国から役人が来ることになり、その前には八大傭兵団の一つの神威戦線を中心に統治、防衛が図られた。

 その防衛部隊が真っ先にやったことは神鉄騎士団の追跡であり、同時にルッツェの安全の確保になった。

 しかし神鉄騎士団のものは影も形もなく、一人残らず姿を消していた。

 この段階になってわかったのは、神鉄騎士団の死者はいないか、いたとしても遺体は回収されていた。この襲撃は間違いなく神鉄騎士団の作戦だったが、それを示す物的証拠はないことになる。

 もっとも、神鉄騎士団は自分たちの存在を隠しているわけではないので、物的証拠云々は大きな意味を持たない。彼らが仮に死者を出して、それを回収したとすれば、それは仲間の遺体をルッツェに置き去りにするのを避けたかった、それだけのことだろう。

 この襲撃から三日の段階でも、ルッツェにいたものは精霊教会につながりがなくとも、神鉄騎士団を否定する意見が大半で、そんなところに神鉄騎士団のものの遺体が残っていれば、おそらく丁寧には扱われなかったはずだ。

 そういう全てを、俺はぼんやりと見ていた。

 枯れ井戸から、ほぼ白骨化された遺体が回収された。一緒に回収されたのは朽ちかけた着物で、真っ黒い反物でできていた。

 その遺体の身元を証明するものは何もないが、俺にはもちろん、イリューにもそれがユナだとわかった。

 わずかに肉が残っている遺体は、俺とイリューで灰にして、骨を集めた。

 ルッツェで想像を絶する惨劇が起こっているのと対照的に、俺とイリューは二人だけで一人分の骨を小さな壺に収めた。

 精霊教会の者たちには満足な葬儀もなければ弔いもないのに、俺はユナをこうして前にして、でも、何を思えばいいんだろう。

「ジュンから封書が来ている」

 俺は宿の部屋で、骨壷を前にして椅子に座っていた。

 目の前の卓の上に封書が差し込まれる。顔を上げて見るとイリューが不機嫌そのものの顔でこちらを睨んでいる。

「貴様まで死んだような顔をするな」

「そんな顔をしているかな」

 いきなり、頬を殴られた。歯が折れて口からを飛び、血飛沫が床を汚す。

 転がっていた歯も血も、すぐに消えていく。

 生きた岩は俺を死なせてはくれない。

 起き上がろうとしたが、即座にイリューの蹴りが俺の胸を打ち、もんどり打った体が卓を吹っ飛ばし、床に骨壷が転がった。小さな骨が床に散らばる。

 起き上がる間も与えずに、何度か俺を蹴り続けてから、イリューが距離を取った。

 仰向けからうつ伏せになり、俺はゆっくりと息を吐いた。自然と呼吸が乱れ、それがすぐに整う。

 全身が痛むが、死ぬほどではない。

 どれだけの痛みなら俺は死ねるのか。

「死ねないものというのは、痛みも感じないのか? 腕を切り落としても、足を切り落としてもか? 腹を裂いても、喉を裂いても、生きていられるか、是非とも試したいものだ」

 声はするが、イリューが刀を抜いていない、柄に手すら置いていないことはわかっていた。

 今、イリューは俺に死ぬことよりも辛い仕打ちをしている。

 それもわかっている。

 涙が滲み、すぐに雫が床に落ちた。

「くだらぬ。人の感傷など、何になるというのだ」

 俺は上体を起こし、イリューを見た。

 絶対零度の、殺伐とした表情。

 そう、感傷は何も生まない。きっと怒りや憎しみが、正しいものにつながらないように。

 感傷とは後悔であり、懺悔だが、そこで行き止まりだ。

 後悔しても過去は変えられず、懺悔しても何も変わりはしない。

 俺は一度、深く息を吸って、ゆっくりと、細く、長く、吐いた。

 どこかで終わりにしないといけない。

 もう三日が過ぎている。

 死者を悼むには短すぎるだろうか。地獄を忘れるには、間違いなく短すぎる。

 死者は死者としてどこかへ去り、俺は生者としてまだこの地上に生きていた。

 生きているものが死者に何ができるのか、それは兵士も傭兵も、あるいはそれ以外のすべてのものも、考えることだろう。

 俺は自分が何もできないのを今、はっきりと理解した。

 今までの戦場でも、きっとその兆候はあった。

 生きているものは死者には何もしてやれない。

 だから生きているものは苦しむのだろう。

 立ち上がって、俺は椅子と卓を元に戻し、床に落ちていた封書を拾い上げた。

 視線は床に転がり、中身をこぼしている骨壷へ向いた。

 動いたのは俺ではなく、イリューだった。片膝をついて長身をかがめると、彼は素早くそれさえも優美な指で優雅な動作で骨を拾った。そして骨壷を卓の上に置いた。

「死者のことを忘れるな」

 それだけ言って、亜人は部屋を出て行った。

 背中が扉の向こうへ消え、俺はもう一度、骨壷を見た。

 それはそれだけの物体に過ぎない。

 ユナではない。

 俺は封書を開け、中身を検めた。

 すでにイサッラにいるジュンにもルッツェの惨劇について情報が届いているようだ。こちらからも書簡を送ったが、日付からしてまだ彼女の元へは届いていない。

 彼女の文の内容は、神鉄騎士団が一斉に東へ移動し、そのままルスター王国を離れるような動きをしていることと、紺碧騎士団がひとかたまりになり、そのままやはりルスター王国を離脱している、その二つの情報が書かれていた。

 俺とイリューの無事を案じている文章もあり、自分も可能な限り早くルッツェに戻る、と書かれていた。

 こちらから送った書状に関しては、おそらく無駄になるだろう。

 ジュンがここへ来てやれることがどれだけあるか、俺は考えたが、きっとやれることはない。

 神鉄騎士団は精霊教会から長く長く、追撃を受けるだろう。この国ではなく、どこの国にいたとしても、精霊教会の長い手は彼らを追い続ける。ルスター王国から出たのは、単に敵中に孤立するのを避けただけだ。

 そこまでしてラーンは、神鉄騎士団は、精霊教会を叩いた。

 事態はすでに人間同士の紛争であり、俺やジュンのような弱小、零細の傭兵隊にできることはない。一人や二人で、状況を変えるのは不可能なのが、現状だった。

 俺は封書を元どおりにして、椅子から立ち上がった。

 生きていると、腹が減る。ここ二日、ほとんど水しか口にしていないとなれば、尚更だ。

 ユナはあの枯れ井戸の底で、飢えて、渇いて、死んでいっただろう。動けなくなり、ただ意識が曖昧になり、そのまま消えていった。

 浅ましいじゃないか。腹を空かせる俺の、なんて浅ましいこと。

 それでもやっぱり、俺は生きていて、ユナはすでに死んでいる。

 生きなければいけない。

 生きているものには、生きる義務がある。

 どのような未来を迎えるにせよ。

 刀を掴んで、俺は部屋を出た。




(続く)

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