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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
195/213

5-24 悪鬼

       ◆



 沈黙の中で、ルティアが机の引き出しを開け、細く長い葉巻を取り出した。

 マッチも出てきて、彼は素早く葉巻に火をつけた。

 煙を細く吐き出し、ルティアがその葉巻をこちらに向ける。

「リツ、きみもあの地獄を見たのだろう」

「あの地獄……?」

「魔物の大群を奇襲し、これの機先を制する作戦。例の大惨事だよ」

 コルト隊が全滅したときのことだ。

「あんた、自分が何を言っているか、わかっているのか」

 思わず声が漏れていた。一歩、足を踏み出し、同時に僅かにハディが剣を抜いた。

 構うものか。

「あれは精霊教会の裏切りで失敗したんだぞ、誰のせいであの惨劇が起こったと思っている」

「あの時、精霊教会は間違った。それは認めよう。ただ、きみたちも私たちに報復した。私たちは確かに悲劇を招き入れた。しかしきみたちも、悲劇を生み出した」

 この男は、何を言おうとしている?

「精霊教会の神官戦士団の主力は、魔物共々、傭兵たちに突き倒され、全滅した。私が生き延びたのは運が良かったからとしか言えない。あれは地獄だった。人が魔物を殺し、魔物が人を殺すという地獄ではない。人が人を殺す地獄だ」

「少なくとも、あんたたちがその地獄を見たのは、あんたたちが地獄を作ったからだろう」

「その通り。地獄は一度、生まれてしまえば、全てを飲み込む。私は私の仲間が作った地獄に、やはり飲み込まれているのだ」

 まともな話をしようぜ、と俺は話題を打ち切った。

「ユナを知っているな? 神鉄騎士団の隊長の一人だ。あんたを襲撃したはずだ」

「それを知ってどうする?」

「知りたいだけだ」

「答えは、肯定だ。ユナは確かに私を襲った。そして敗れた」

 息が口から漏れた。誰が聞いても、震えているのがわかっただろう。

 刹那。

 俺は踏み込み、腰の刀を抜いた。

 ハディが動くが遅い。

 俺の一撃が対象を一刀両断にした後、横手からのハディの剣を返す一撃で叩き折ってやった。

 轟音が消えた後、そこには真っ二つにあった机があり、天井には折れた剣が突き刺さり、ハディは尻餅をついていた。

 変化がないのはサーナーと、ルティア。

「何故、フミナを裏切らせた」

 俺の問いかけに、口元に葉巻を運んでから、煙とともに答えが返される。

「神鉄騎士団の弱体化が一つの狙い。それはとりあえず、達成された。もう一つの理由があるが、それはこれから、現実になる」

 もう一つ、理由がある?

 どんな理由だ。想像しろ。精霊教会の利益になり、誰かしらが損をする。

 神鉄騎士団がユナ隊の壊滅、フミナ隊の裏切りで、精霊教会と衝突することが狙いか。

 しかしそれで、誰が得をする?

 どんな得がある?

 ルティアが言葉を続ける。

「ユナ隊はいずれ、我々にとって邪魔になると思った。あまりにも力を持ちすぎたのだ。そしてこれが精霊教会に敵対するのは、火を見るより明らかだった。フミナ隊を確実にこちらにつけるために、フミナ隊には裏切りものの刻印を押す必要もあった。ユナ隊は都合が良かったのさ」

「あんたは、傭兵がいくら倒れでも少しも気にしないということか? 彼らは権力なんて求めていない。ただ自分にできることをやっているだけだ。あんたたちは権力だののために必死かもしれないが、傭兵は日々に必死なんだぞ」

「それは知っている。私も戦場に立っていた身だ。しかし、どこかで誰かが仕組みを作る必要がある」

 仕組みだと?

 俺が刀を握り直しても、ルティアは全く動揺しなかった。

「ルッツェを中心に、新教会領が作られる。新しい国と言ってもいい。戦場の中にできる国だ。これが機能すれば、大陸中部には平穏が訪れ、人間は持ち直せる。戦場は我々が引き受け、彼らは生産を引き受ける。そういう仕組みだ」

「あんたは、その仕組みとやらのために犠牲が出ても構わないと?」

「未来において多くの人間を救える。私たちの試みは、今と過去における犠牲を未来の礎石にすることだ。それともリツくん、きみは意味もなく大勢が死ぬことを肯定するのか? それが誰にも顧みられず、ただ忘れ去られることを」

 答えることは簡単だ。

 無意味な死、何にもならない死を受け入れることなど、できるわけがない。

 ただ、ルティアのいう仕組みとやらのために死ぬのは違う。

「愚かなのは、私だろう」

 ルティアが葉巻をじっと見据えながら言った。

「私は地獄を生き延びて、悪鬼というものに成り下がった。どこまでも悪意を育み、どこまでも憎悪を拡散する。この戦場をより暗く、救いないものにして、そのことによって人間に安息の時を与える。最後には何も残らないだろう。魔物に蹂躙され守るべきだったものと共に滅びるか、お前のようなまっすぐな男が、いずれ私の作った地獄を変えていく。それでも今は、地獄が必要だ。より悪意を、より憎悪を、私は求める」

 返すべき言葉は無数にある。

 それより前に、この男を切ってしまえば、それで終わりにできるのではないか。

「ユナという存在がきみをここへ招いたとすれば」

 すっとルティアが視線を上げた。

 その瞳にあるのは、なんだろう。

 嘲弄の愉悦のその向こうには、虚無があるのではないか。

「誰かしらが私をきみに切らせようと考えたのだろう。私を切るか? それとも、切らないか?」

 誰かしらが、切らせようとした。

 頭に浮かんだのは、フォウだった。彼が商売のために、俺をここへ押し出した? ありえなくはない。精霊教会が混乱し、新教会領の構想が破綻すれば、商売する環境が大きく変わる。

 ただ、フォウがそんな強引なことをするか。

 俺は体の力を一度抜いて、刀を鞘に戻した。

 壁際まで下り、息を詰めていたハディが息を吐くのが聞こえる。

「私を切らないのか、リツ」

 ルティアのわかりきった問いかけに、俺は答えずに背を向けた。

 ドアを開くと廊下に白い外套を着て、剣を抜いた男たちが待ち構えていた。

 視線でひと撫ですると、それだけで全員が息を飲み、わずかに後退して間合いを取った。

 押しのけるわけでもなく、俺はただ歩を進めた。男たちが道を作り、そのまま俺は階段を降りて、建物も出て、通りに立った。

 振り返る。

 建物の二階部分の窓に人影がある。

 ルティア。

 表情は笑っている。その意味を理解する気にはなれなかった。

 俺もまた地獄に捕らわれていて、ルティアとこれ以上、接しているとその地獄に沈み込みそうだった。

 俺は背中を向けて、建物の前を離れた。

 罵声が口ついて出そうになり、どうにか飲み込んだ。

 しかし、ユナ隊を破滅させたもう一つの理由とは、なんだ?

 そしてユナはどこにいる?




(続く)

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