5-21 儚さ
◆
哀れな信徒隊の若者は、頬にアザをこしらえて帰って行った。
「卑怯な傭兵め! 美人局など、恥を知れ! 天罰が下るぞ!」
そんな言葉を残したが、哀れみを誘わずにはおかない震えた声で、かん高く、か細すぎた。
改めて俺たち三人で一部屋に集合したが、イリューの部屋だった。若者が吊し上げられていたのもその部屋の前だ。
「イリューの部屋の番号を教えておいたのよ。うまくいったわね」
いけしゃあしゃあととジュンがいうのに、イリューは憮然としている。
美人局そのもののやり口だった。若者はジュンを訪ね、そこへイリューが戻ってくる。イリューに演技する気があったかどうかは知らないが、かろうじてその程度の演技力は残ってはいたのだろう。
それ以前に、誇り高い亜人の剣士が、自分の部屋で元の相棒と、見知らぬ若者がイチャイチャしていたら、怒りに燃えただろうが。
この場合、イリューの怒りは焦点がずれているとはいえ、正当なものというよりない。
「別に何もしてなくて、話していただけよ」
椅子に座っていうジュンに、イリューは舌打ちを返している。ジュンはまだ笑っていた。
「とにかく、分かったことはある。精霊教会のルッツェ教区への襲撃は夜だったけど、その夜、警備は手薄だった。襲撃者は門にいた警備の神官戦士をうまくやり過ごして侵入して、ルティアを襲った。それをルティアが撃退し、襲撃者はしかし行方不明」
「うまくやり過ごせるものか」
イリューが口を挟んだ。
「神官戦士はどうやらそれなりの手練れが揃っているようだ。亜人の傭兵が、連中が戦場で我が物顔をするのを嫌がっていたが、何も言えないということだ。実際、神官戦士団は傭兵と大差ない」
「つまりイリューは、警備が意図的に薄くなっていた、って言いたいのか?」
俺の問いかけに、他にあるか、と寝台に座っている長身の亜人が目を細める。
ジュンが続きを話す。
「ルティア司祭は無事で、すぐに司令部を移動して精霊教会の傭兵仕事には何の影響もなかった。負傷者がいたようではない、とあの若者は言っていたわね。警備の予定は襲撃の一週間は前から変更があったらしいから、イリューが言う通り、やっぱり警備には意図的な手抜きがあった」
「罠だった、ってこと?」
確認する俺に、さあね、とジュンはわずかに首を振り、イリューはそっぽを向いた。
「あなたの方では何か進展はあった?」
「俺は精霊教会の物資の流れをちょっと確認してみた。食料だよ。あまり大きな変化はないようだけど、詰めているものの数は増えているようだった。仕入れ量から考えて、ということだけど。あと、武具店の筋から新しい精霊教会が拠点とする建物を聞き出して、実際に行ってみたけど警備はなかなかだったな。隙が無さすぎる」
「今も警戒している、襲撃があると見ている、ってことになるのかな。でも、どこが?」
一つしかあるまい、と低い声をイリューが発したので、俺とジュンは視線を向けた。
亜人の表情は光が乏しい灯りの加減で、よく見えなかった。
「精霊教会と事を構えるのは、神鉄騎士団だ。ここは戦場になるかもしれないな」
そんな馬鹿な、と思わず俺は口にしたが、自分でも驚くほど頼りない声だった。
ラーンはユナを探していた。今、どこにいるのか。あの騎馬隊がルッツェに駆け込んでくる想像が、いやに鮮明に脳裏に浮かんだ。
「私たちにできることはない」
ジュンが話の向く先を変えた。
「とりあえず、フォウとサーナーを対面させる。そこからうまく、精霊教会に探りを入れて、ついでに神鉄騎士団も伺いましょう。どうやらここら一帯の兵站線が精霊教会に握られていて、規模の大きい商人たちは不満があるようだし」
俺が頷き、イリューは平然と無視。
部屋の扉がいきなり叩かれ、反射的に俺は腰の刀の柄に手を置いていた。ジュンは油断のない視線で、俺に無言のまま指示を飛ばす。音もなく立ち上がり、扉の横に立つ。入ってくるものには見えない位置だ。
ジュンが今度はわざと音を立てて、扉を開ける。
「こんにちは、ジュン」
その声に、緊張していたのが一転、ジュンの顔に満面の笑みが浮かぶ。
「フォウ! なに、もう来たの?」
入ってきたのは恰幅のいい初老の男性で、髪の毛にはだいぶ白いものが混ざっている。
しかし間違いなく、フォウ・カンスだった。
俺が体の力を抜いて彼の視界に入ると、不敵な笑みが向けられる。
「襲撃者は壁越しにあなたを刺しているよ、リツ」
「それは頭に入ってますって。お久しぶりです」
「良い鍔飾りが手に入りそうなんだが、きみが買うかな、それともイリューかな」
話を聞こう、とイリューが立ち上がった。
俺にだけ見えたかはわからないが、イリューの手は帯に隠してある短剣に触れていた。本当に小さな投剣だが、イリューが本気で投げれば人を一人倒すのには十分だ。
イリューと俺、フォウで鍔飾りについて説明と質問のやりとりがあり、絵図も見せてもらった。
「二〇〇年前くらいの亜人の芸術家の作品だ。作者は鯨翁という名で、作品につけられた名前は「霧牡丹」だが、イリューは知っているかな」
複雑な彫りによって美しい文様が描き出された鍔、その絵が描かれた紙を手に取っていたイリューが「親父が話していた」と応じる。イリューの父親はまだ存命だったはずで、おそらく年齢は四〇〇ほどではないだろうか。詳しくは聞かないが、長老格らしい。
「これがどこで手に入った? 闇市場か?」
イリューの問いかけに「亜人の収集家の遺産整理だよ」とフォウがあっさりと答える。
俺が口出しする間もなく、イリューとフォウの間で値段が決められ、あっさりとイリューが買うことになった。奴の刀には、薔薇の七番という名前の異常な高値の、芸術品でもある鍔があるが、この際、それには触れないでおいてやろう。
芸術品を戦場に持ち込むことに難色を示すものは、一般人には多い傾向にある。
逆に傭兵たちは芸術品をこそ戦場へ持ち込む。験を担いでいる側面もあるが、命の儚さのようなものを芸術の儚さに重ねるのかもしれない。
ジュンが宿のものからお茶をもらってきて、全員分を用意した。卓は一つで、椅子が二脚しかないので、自然と足の悪いジュンと年配のフォウが座り、俺はイリューと並んで寝台に腰掛けた。
サーナーと会うことについてフォウはあっさりと受け入れ、ジュンはサーナーの部下とは今日、連絡を取ったことを伝えた。俺と別れた後にやったのだろう。
「サーナーはおそらく四日後には来ると思うと言っていた。でもまさか、私もフォウがここにこんなに早く来るとは思わなかったから、失敗したわね」
「別にいいさ。私にも休息は必要だ。最近、酒の消費が減っているがオーの奴はついに動けなくなったかな?」
その冗談に、笑えませんよ、と答えながら、ジュンはそれでも笑っていた。フォウも笑みを見せ、ちょっとだけ息を吐いた。ため息というほどではないが、しかし、どこか疲労を感じさせる息の吐き方だった。
「みんな年をとるものだ。私も、ジュンも、リツもね。私やオーは、そろそろ、身を引く頃だろう」
この言葉に返事をできるものはいなかった。
俺とフォウが初めて会ってからでも、短くない時間が過ぎた。
「人間の哀愁という奴は、理解できぬ」
イリューがそう言って、すっと寝台から立ち上がった。そして俺の方を睨むと「稽古をつけてやる」と短く言った。フォウが即座に「見てみたいな」と言ったので、自然、四人揃って宿を出た。
すでに日は暮れかかり、方々で明かりが灯っていた。
今日もまた、終わろうとしている。
世界が終わるわけでもないのに、薄闇はその日の終わり以上のものを含んでいる気がした。
(続く)




