5-14 後悔
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食事の後、自然と酒場に足が向いたが、ジュンは弟子の訓練の予定があると離れていき、イリューも亜人の地区に用があると、どこかへ消えた。
酒場の外の席で、日が暮れていくのを眺めながら、俺はヴァンと向かい合っていた。
「お前と酒を飲むのも久しぶりだ。いや、初めてかな」
ヴァンの手にはウェッザ産のぶどう酒があった。俺の手元にも同じものがあるけれど、口をつけると苦味ばかりが感じられた。そんな俺をヴァンは可笑しそうに見ている。
「何歳になった?」
「二十一です」
俺の言葉に、そうか、とどこか郷愁の含まれた声をヴァンは漏らした。
「お前とユナに会った時、不思議に感じたものだよ。お前は才能がありそうなのに、やる気がない。ユナは才能がある上に有り余るほどのやる気を持っていた。普通に考えれば、ユナの方が成功するはずだった。実際、成功したか」
「俺だって必死でしたよ。まぁ、ユナの後を追いかけたという感じは否めないですが」
くつくつとヴァンが笑い、ぶどう酒をわずかに飲んだ。
「しかしお前はお前で、よくやっているよ。できることをコツコツとな。体調に不調はないか?」
「今のところ、少しも平常のままです。生きた岩の助けを借りる場面もほとんどありません」
ヴァンは何度か頷いている。
生きた岩は今でも俺の中にあり、傷は擦り傷から致命傷に至るまで、完璧に治癒させてしまう。さらに体力の回復も早い。持久力に関しては、あまり変化はないままだ。
傭兵たちの中でも俺が常に無傷なのでおかしな噂が立っているようだが、そこは現実の戦場を知っている傭兵だ、まさか無傷で生還し続ける傭兵がいるなど、信じるわけもない。
結局、噂は噂のままになり、俺はイリューと方々を転々とするので、噂を確認しようという傭兵が接触してくることもない。
「ユナを助けたいか?」
いきなり、ヴァンがそう確認してきた。
食堂で話す中で俺の意図はヴァンに伝えていたし、それに対するジュンとイリューからの客観的な意見や指摘も出た。
人類を守り隊としては今回の件には不干渉、となっていた。
ただ俺があくまで個人として動く分には問題ないだろう、とヴァンが提案してくれた。イリューはもちろん、ジュンも難色を示したし、俺としてもその場で、自分の行動を決めることができなかった。
酒場でずっと、会話の間も、自分が何を選ぶべきか、考えていたのだ。
ユナを助けたいか。俺はどうしたいんだろう。
「見殺しにはできないよな」
グラスの中身を揺らしながら、ヴァンが小さな声で言う。
「幼馴染を見殺しにするような奴を仲間と思いたくないのが、正直なところさ。その点、イリューも、ジュンでさえも、どこか人間性を失っていると俺には見えた。救いたいものを必死になって救う。どれだけ危険でも、どれだけ困難でも、努力する。それが人ってものだろう」
かもしれません、と俺は答えた。
答えたまま、言葉を失ってしまった。
ヴァンは俺に人間らしい情を見せろと言っているのか。
それとも、傭兵には、戦場には、そんなものはないと教えたいのか。
人間性を失うことが、戦場に立つことの第一条件なら、生き残るのに必要な要素の筆頭なら、ジュンもイリューも一流ということだ。
そして俺は三流だ。
まだ俺が甘いのか。
甘えているのか。
「お前、さっき、泣きそうな顔をしていたな」
不意にヴァンがそう言って、こちらの顔を覗き込んでくる。その瞳がキラキラと光る。
「お前、なんだかんだで、ユナのこと、ずっと気にしていたな」
「それは、幼馴染ですから」
「それだけか?」
それだけではない気もする。
でも俺もユナも、長い間、離れたところにいた。
心が寄り添っていた、なんていう美談もない。
俺たちは全くバラバラになって、それぞれの日々を、それぞれの戦場で過ごしてきた。途中で道が重なったこともあったけど、それもほんの一時だ。
「ユナは、俺の中では特別ですよ。どうして、特別かはわかりませんけど」
あまり逃げるなよ、と言いながら、まだぶどう酒の入っている俺のグラスに、ヴァンがさらに赤い液体を注ぎ込む。
「あまり気にするな、リツ。別れは必ずやってくる。それも唐突にな。後悔しかないものさ。最後に残るのは後悔、死の間際に寄り添うのも、やっぱり後悔だ」
達観しているヴァンの言葉に、俺は返す言葉がなかった。
二人ともが黙って、夕日が遠くの稜線に落ちていく。光は筋のようになり、峰々の輪郭を浮き上がらせた。
「ヴァンさん、一つ、教えて下さい」
俺が言うと、彼はこちらをまっすぐに見た。
言葉にするには、勇気が必要だった。
「人は、憎しみや、怒りを、克服できると思いますか?」
少しの沈黙の後、それはな、とヴァンがちょっと口角を上げて言った。
「克服などはできんものだ。人は他人を憎むし、他人に怒りを感じる。だが、逃げることはできる。俺のようにな」
「ヴァンさんのように?」
「そう。気にくわない奴がいる場所から、できるだけ遠ざかる。そして忘れる。そうやって逃げていれば、いずれは憎しみも怒りも、遠くなる。もっとも、忘れるわけじゃない。見ないように、考えないようにするだけだ。だから、克服はできない、となる」
わかるような、わからないような、抽象的な表現だった。
もっと具体的に教えて欲しいと思っても、怒りも憎しみもそもそも曖昧で、あやふやなものなのだ。一瞬の気の迷いもあれば、考え抜かれた思考の場合もある。
周囲が薄暗くなっていく中でぶどう酒を飲んでいると、イリューが戻ってきた。
「イリュー、リツに稽古をつけてやっているよな」
ヴァンが声をかけると、不機嫌そうに「あんたの指示だからな」と応じている。
「じゃあ、今、目の前でやって見せてくれ」
「未熟者が酒を飲んだ状態で私の前に立つなど、自殺行為だ」
「だそうだが、どうかな、リツ」
どうやらヴァンは俺がどれだけの使い手になったか、知りたいようだ。
「やりますよ。酒は大して飲んじゃいないし」
愚か者め、とイリューは吐き捨てたが、すでに距離を取り、刀の柄に手を置いている。
俺はそばにある三本の剣から一振り、ホオズキを手に取り、鞘から抜いた。
酒場の外にいた客が何事かと見ている前で、俺はイリューと向かい合った。
何かがある、と剣を構えて気づいた。
イリューにではなく、ヴァンにだ。
ここで俺とイリューに刃を向け合わせる理由が、何かある。
何に気付かせたいのだろう。
無造作にイリューが突っ込んでくる。
俺の思考が完全に切り替わり、疑念は吹き飛んだ。
合理性と洞察、非合理と直感が場を支配し、刃が交錯する。
迷いは心から締め出されていった。
(続く)




