5-13 理解者
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イサッラもいつの間にか発展している。
ただ、通りを歩いていると白い外套の精霊教会の神官戦士がちらほらといるのと、何も関係のないような店でも精霊教会の紋章がどこかしらに刻んであったりする。
「ここはルスター王国ではないわね」
食堂の一つの奥で、ジュンが声をひそめる。イリューが沈黙のまま料理が来るのを待っているが、視線は常に出入り口に向いていた。通りに面した扉と、調理室に通じる扉を、彼はじっと見ている。
「それくらい精霊教会に押されている?」
確認すると、「根こそぎね」という返事があった。
「ルスター王国はここら一帯を、精霊教会に寄進するかも。そもそもの支配者だった騎士家はとっくにいなくなっているし、誰も反対しない。むしろルスター王国としては戦場の一部を差し出せて、満足かもしれない」
「似た話は何度か聞いたよ。俺も考えたしね」
そう言ってはみたものの、こうしてイサッラの現状を見ると冗談めかしてもいられない。
本当に精霊教会の国がここに出来上がれば、傭兵はどうすればいいのか。ルスター王国や騎士家との契約が、今度は精霊教会との契約になるのだろうか。
料理が運ばれてきて、特に挨拶もなく、三人ともが手をつけた。
「オー老師は元気にしているのかな」
俺がさりげなく確認すると、生きてはいる、とジュンが顔をしかめる。
「酒をやめさせたけど、そのせいもあってか、大抵は眠っているよ。起きているのは一日に数時間くらい」
「老人の介護もやるとは、大変だな」
言ったのは俺ではなくイリューだ。冗談でもさすがに笑えない。
ただジュン本人は気にしていないようだ。
「老人の介護と若者への剣術指南の生活も、意外に私には合っているみたいね」
本音なんだろうけど、返す言葉が俺にはないし、イリューも同様のようだ。
ジュンは一年ほど前、戦闘の中で右足を負傷した。どうしてそんなことになったかといえば、よその傭兵隊の新人が下手を打ち、魔物に食われかけたところをジュンが割って入って救ったのだ。
正確には、救おうとして、失敗し、自分も重傷を負った。
俺とイリューはジュンを救出し、可能なかぎり早く医者に見せたが完治の見込みはないと言われた。実際、あれから一年が過ぎた今でも、ジュンは足を引きずっている。医者の見立ては間違っていなかったのだ。
奇跡が起きてジュンが完治する未来を俺は思い描いたりもしたが、現実はどこまでも現実で、揺らがなかった。
ジュンの決断は早かった。人類を守り隊に籍は残すが、戦場からは身を引く。どこかの傭兵隊で剣術の指南役として雇ってもらえるようにする、というのもジュンが言い出したことだ。
俺は反対できず、イリューも黙って受け入れた。
戦場にジュンを引っ張り出しても、ひとつ間違えばジュンは今度こそ死ぬし、俺やイリューも危ない。そういう危険をジュンはよく知っているし、知っていて危険を招き寄せるほどジュンは愚かではなかった。
そうしてジュンは戦場を去り、オー老師とともにイサッラに拠点を移した。
俺は今でもたまに、あの新入りの傭兵の顔を思い出す。
片腕を飛ばされ、絶叫し、歪んだ顔。
魔物が迫り、恐怖のあまり、恐慌状態で這いずる姿。
それをジュンに助けられ、泣き叫ぶ姿。
そして魔物に首を半分食いちぎられた瞬間の、呆気にとられた表情。
もしあの傭兵が今も生きていれば、俺はジュンの片足の代償をあの青年に求めただろうか。
でも、どんな形で?
あの青年が無事に生きていて、その足を切り落とすことでジュンの足が元通りになるなら、俺は彼の足を切り落とすのか。
きっと、そんなことはしない。
そういうことではない。報復には報復として意味はあるかもしれないが、報復の中には無意味な報復が無数にある。
ジュンが傭兵たちへの剣術指南をしているのは、自分のような人間が生まれないために、ということ以前に、傭兵一人一人が技術を高め、無様な死に方をしないためだろう。
他人のためにジュンはこれからを過ごす、ということか。
ジュン自身は誰かを育てることで救われるのか。それは俺にはわからなかった。想像も難しい。
沈黙を続けるわけにもいかず、俺はここまでで見聞きしたユナのことについて、話をした。イリューは黙々と食事を続け、どんどん酒瓶を開けていく。ジュンは少しずつ食事をしながら俺の話を聞いていた。
「ユナさんに復讐させたくない、というのが、リツの意見?」
少しだけ酒の入った杯を傾け、こちらをジュンが見やる。
「もちろん。ユナが生きているなら、それで十分だと俺は思っている。自分を殺すような復讐は、するべきではないよ」
「でもユナさんはきっと、そうしないといられないでしょうね」
もしその言葉がジュン以外の誰かから発せられたのなら、俺の対応も変わっただろう。
しかし言葉は間違いなく、ジュンから発せられたのだ。
ジュンは復讐を考えなかったのか。相手が死んでしまったから、復讐心は行き場がなく、消えてしまったのか。
俺はそうは思えないのだった。
きっとジュンはこの一年、ほんの少しの隙間もないほど、自分が戦場を去らざるをえなかった理由を検討し続けただろう。様々な要素が彼女の足を使い物にならなくさせたのは歴とした事実として消えることはない。
一つ一つを検証し、誰が悪いのか、誰が間違ったかを、考え続けたんじゃないか。
そしてきっと今も、それは続いている。
終わることのない苦悩の中で、ジュンは今、ユナの復讐に理解を示し、遠回しに俺を止めようとしている。
ユナではなく、俺をだ。
どう答えることもできなくなり、俺はわざと酒を少しずつ飲んだ。
ユナを救いたいはずの俺は、ユナの心を殺すことを目指しているのか。
「今日くらいは楽しく過ごせぬのか、お前たちは」
ボソッとイリューがつぶやき、まさにね、とジュンが相好を崩した。
会話は最近のジュンの日常になったが、その話は長くは続かなかった。外から一人の体格のいい男が入ってきて、こちらにやってきたのだ。
俺たち三人ともが、起立していた。
「みんな、久しぶりだな。元気かい」
男の低い声は巌のように感じられ、しかしいかにも自然で風のように吹き抜けた。
ヴァン・ウェラと俺が対面するが数年ぶりだが、全く変わっていなかった。
彼は落ち着いた眼差しで全員を見ると「ここでは何が美味いんだ?」と言いながら、そばの卓の空いている椅子を引っ張ってくると、それを激しく軋ませて腰を下ろした。イリュー、ジュンがそれに続いて腰を下ろす。
俺はなかなか座れなかった。
不思議そうにヴァンがこちらを見て、「座ればいいじゃないか、リツ」と声をかけてくる。
俺は昔のことを思っていた。
俺とユナは、この人に導かれたようなものだ。
最初のきっかけが、この人だった。
全ての栄光と挫折が、この人から始まった。
俺は目頭が熱くなったが、涙は堪えた。
席に着き、俺は店員に声をかけて、料理と酒を注文した。
イリューとジュンがヴァンと話し始めても、俺はなかなか落ち着かなかった。
料理がやってくる。酒もやってくる。
新しいグラスが来て、全員でそれを触れ合わせた。
涼しげな音に、やはり俺は、涙が流れそうだった。
何故だろう。
理由は、すぐにはわからなかった。
(続く)




