1-18 話したい相手
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暖炉の火にあたりながら、俺はルッコに自分の身に起こったことを伝えた。
父はおらず、母と小作人として生きたこと。奇妙なファクトと、今になって見ると不自然なほど決然と俺を送り出した母の姿。
身の回りのものを全て奪われ、ハガ族の中の部族に拾われたこと。
西域の山脈に分け入り、雪の山に登ったところで雪崩に巻き込まれ、気づくと巨人がそばにいたこと。
その巨人が何故か俺を認めて、大怪我を治療したこと。
そして今、すぐそこまで俺を連れてきてくれたこと。
とにかく話すことは多かったし、俺はどこかで話をする相手を探していたようだ。言葉は次から次へと口から出て行った。
話しているうちに、認識も変わってきた。
話をする相手を探していたのではなく、ルッコに会って話をしよう、と決めていたのだ。
だからこうして目的の相手を前にして、俺は話している。興奮して、急かされるように。
ルッコはただ椅子に深く腰掛け、時折、視線を暖炉へ向け、あるいは足元を見て、ほとんど黙って聞いていた。実際には気が長い性格なんだろう。
途中で一度、休憩があった。
お茶でも出そうと言ってルッコが出してきたお茶は、驚くべきことに紅茶で、しかもミルクがついていた。牛も羊も、ヤギもいそうにない雪山の中で、どうやって調達したのか、それを訊ねることもできたけれど、何かが邪魔をして、その質問は飲み込んだ。
菓子も出てきたが、こちらは素朴なもので、麦の粉と砂糖を練ったものを焼いたようだ。焼きたてではないのは、どこか湿気っていてそうとわかる。
お茶を飲み、菓子を食べ、俺がまた話し、やっと話終わったところで「食事だな」とルッコが席を立った。
俺の話について、何か感想か意見を言うと思ったので、肩透かしだった。
ルッコは少し離れてから振り向くと「お前も来るんだ」と顔をしかめて、唸るように言う。なるほど、俺にも料理をさせるつもりなのか。
席を立って後についていくと、台所があり、かまどが二つ、すぐに見えた。やはり古い遺構、遺跡のそのままで生活しているらしい。
干した野菜と干した肉を、これくらいの味付けで煮て、米をこれくらい入れて炊け、そんなことを言って、ルッコ自身は別のところへ行ってしまったので、俺はまた何か、つっかえ棒を外されたような気持ちになった。
俺に何かを教えたり、確認するつもりはないのだろうか。
しかし食事を作らないわけにはいかないし、指示されたのだから、その通りにやるように努力するよりない。
何も言わなかった、ということは、何も止められなかった、と判断して、棚を漁って計量する道具を見つけ出した。それで言われたままに味をつけて炊き込んだ飯を用意できたのは、結局、指示されてから二時間後だった。
器も見つけ出して、それに鍋の中身を全部入れてリビングのようなところへ戻ると、椅子に座ったルッコの背中がまず見えた。
テーブルの上に器を置くと「ご苦労」と声があった。
乱暴な物言いだが、何かに集中しているようである。
「食べないのですか?」
椅子に回り込みながらそう訊ねた時には、自然とルッコが何かの書物を読んでいるのが見て取れた。ちらりと見たところでは、ボロボロの本に見える。端々が切れていて、そこだけが暖炉の火の反射で輪郭を目立たせていた。
俺の質問にも顔を上げず、「先に食べておけ」とルッコは言う。
はあ、と思わず声が漏れたが、それにもルッコは無言。
仕方ないと諦めて、俺は自分のための小皿を用意して、飯を食べ始めた。
調理の間に何度か味見をしたけれど、香辛料がよく効いていて、舌がピリピリする。しかし決して不味くはないし、食べ進めると体の芯が温まってきた。
ルッコが席を立ち、お茶を用意して、そのカップを片手にまた椅子に座って書物を眺めている。ページを繰る動作の間隔はだいぶ長い。
俺が料理を食べ終えても、ルッコはまだそのままだった。
じっと座って待っているけれど、何も動きがないので、やっぱり諦めて俺は自分の使った器を洗いに行った。
岩肌むき出しの壁から水が流れているところがあり、その水で器を洗う。米を炊くのにもここの水を使ったが、湧き水のようなもので、清水である。
食器を片付けて元の部屋へ戻ったところで、やっとルッコが俺の作った飯を食べているのを見た。
ルッコは匙を動かしながら、こちらを上目遣いにみる。
「お前のファクトは、リライト、だったな?」
咀嚼をしながらなので、モゴモゴとしているが質問はよく聞こえた。
「はい、そうです」
「精霊教会の司祭は、そのファクトを、オートクチュール・ファクトと言った?」
「はい」
そいつは間違いだ、と匙の上の飯を口に含み、口から出てきた匙がこちらに向けられる。
「すでに失われつつある記録だが、巨人と争ったものの中に、そういう使い手がいた記録はある」
「巨人と争ったというと……」
「八百年は前だ。魔物はまだ封じこめられていた時代だよ。巨人もまだ多く生きていた。まぁ、人間自体ももっと数が多かったんだが。巨人の攻勢に抵抗し、それを押し返し、逆襲するまでに人間の四割は死んだ」
何の話だ……?
とにかくだ、とルッコは次のひとすくいを匙で持ち上げる。
「言って見れば、記録からも失われたファクト、ロスト・ファクトなんだよ」
「えっと、それで、何か解決するのですか?」
「しないな」
ルッコが飯を口に含み、ゆっくりと噛んでいる。その間、俺は黙って彼を見ていた。ルッコもこちらを見ているので、端から見ていれば睨み合っているようでもあっただろう。
「私も少しは興味がある。そこでだ、しばらくお前と試行錯誤しようと思う。精霊教会も、だいぶ資料を散逸させているようだしな。お前の母親に文を届けるか?」
「それは、必要ありません」
「よく母親のことがわかっているじゃないか。今のはカマをかけたんだ。お前の母親は文に、返事はいらないと書いてきていた。もっとも文は一度しか来ていない。不安の表れで、今頃、もう諦めているだろう」
俺が怒るかどうか、試されているのかな。
目の前の男の言葉に、俺が真っ先に感じたのは、ここにはいない母への謝罪だった。
俺のことはもう忘れてもらうしかない。
二度と会うことはできないだろうし、別れはあのなんでもない朝、済ませている。
それでもいつか、どこかで、俺がどういう旅をしたか、それを伝えたいとは思う。
その時まで、俺の心の片隅では謝罪が続くだろう。
あるいは、いつまでも。
「飯を作る才能はあるらしい」ルッコがニヤッと不敵に笑った。「ファクトの才能もあればいいんだが」
努力します、と思わず答えていた。
ルッコはただ黙って、器を持ち上げると残っていた飯を勢い良くかき込んだ。
(続く)




