5-7 風の中で
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三人ともが座ることなく、俺とラーンはただ西の山脈の方を見ていた。
特に意味があるわけではなく、二人ともが視線の置き所に迷った形だった。イリューは平然と目を閉じ、腕組みをして動かない。
「そもそも、隊の一つが寝返るなど、あってはならないことだ」
ラーンが柔らかい口調で言ったが、どこか安定を欠いていた。
「精霊教会に否定的なのは神鉄騎士団だけではない。神威戦線も同じ思考をしている。しかしそれは集団の意思であって、個人の意思ではない。そして個人の意思から集団の意思を育てるのが得意なのが、精霊教会だ」
「俺に敗北宣言をしても意味はないですよ」
一応、指摘してみたが、ラーンは軽く頷いただけだった。
「否定しないということは、精霊教会は相当に大規模らしい」
「信仰という奴は、信条を変える力がある。フミナはそれに屈したし、つまりは僕の力が及ばなかったということだ。まだ身内には同じように思っている者がいるかもしれない。精霊教会の方が都合がいい、とね」
「だから、そんな自己批判は俺には関係ないですよ。ユナのことが知りたいだけです」
ラーンがやっとこちらを見た。
その瞳の光り方は、なんと表現できるだろう。
「謝罪の言葉はいりませんよ」
俺の方が先に口を開き、その一言でラーンの口を閉じさせることはできたが、別に満足感もない。余計に不愉快なだけだ。
「ユナは生きているんですか。それだけを教えてください」
少し黙って、ラーンがうつむき、連絡はつかない、と返事があった。
「連絡がつかないというのは、所在不明、ですか?」
「所在はおおよそ、把握されているよ」
不吉な表現だ。
イコルはユナ隊は壊滅したと言った。ラーンは所在は把握しているという。
生き残っているものは保護されたが、イコルの口からはそれを言えないとなると、神鉄騎士団が公に保護したわけではないし、生き残りが本隊に復帰したわけでもないということか。
そこまで推測すると、神鉄騎士団はユナ隊は全滅した、と形の上ではしたいわけか。
でも、なぜ?
沈黙の中で、ただ冷たい風が吹いていた。まだ春が来ていないと主張するような、強く、背筋を震わせるような風だった。
「企画部の女と会いました」
俺の方から状況を整理する気になった。ラーンから喋りづらいだろう。
「ユナ隊は壊滅、という話でしたが、あなたの様子だと、全滅ではない。生き残りを秘密裏に保護して、どうするつもりですか?」
「どうもしないよ。彼らに任せるべきだと思っている」
一つの事実が確定。全滅はしていない。
「なぜ、彼らに任せるのですか? 神鉄騎士団として、精霊教会に報復するべきではないですか?」
「それはできないんだ。ルスター王国、精霊教会の関係があり、我々は傭兵で、つまり、報酬などで折り合いがつけばどこに所属するのも自由だ」
さらに一つの事実が確定。ユナ隊はやはり、消滅したことにしたいのだ。もう一つ、ルスター王国と精霊教会には何らかの密約がある可能性も出てきた。
「俺とイリューも傭兵ですよ。しかも、本当に自由な、零細の傭兵です。それをどうして、神鉄騎士団がここまで執拗に足止めするのですか?」
「この件は極秘に近い。今、僕たちの方でもどうにか対処できないか、考えている」
対処か。それはおそらく、ユナ隊に関する対処だけではないだろう。
「どこに所属してもいいのが傭兵だ、とあなたは言ったが、それでも報復はするわけだ」
ラーンが微笑みを浮かべる。どうしても消せない諦念の上に、しかし確固たる意志が見えた。
「僕たちは傭兵の中でも、八大傭兵団の一つだ。しめしがつかないようなことは、できないよ」
フミナ隊は何が何でも神鉄騎士団で処理する、ということか。
それこそ、その役目はイコルたち、企画部の誰かしらがやるのだろう。
ただ、それがどういう形になるのかは俺には想像がつかなかった。まさか神鉄騎士団による報復です、と公言はできないだろうし、かといって、フミナ隊が揃って殺されたりすれば神鉄騎士団の関与は濃厚だし、今度は精霊教会が放っておかない気もする。
そのあたりに、この問題の難しさがありそうだ。
誰かが泥をかぶらないといけない。
神鉄騎士団か、精霊教会か、その両方か。
ラーンは泥を被る覚悟はあるようだが、そうか、俺とイリューを止めようとしているのは、泥のかぶり方を演出したいのかもしれない。要はカッコつけだ。
そうは思ったが、しかし何故、彼らは一気に事態を進めないんだろう。精霊教会に寝返ったフミナ隊の所在が不明なのか、精霊教会が厳重に護衛でも用意しているのか、それとももっと大胆にフミナ隊は姿を消したのか。
最後の展開は非常に不愉快というよりない。
フミナ隊は精霊教会に寝返ったように見せかけて、独立したか、もっと簡単に脱走したか、そのどちらかとなる。想像の上では、精霊教会が相応の銭をフミナ隊に、裏切りの対価として手渡したが、フミナ隊がそれを持ち逃げすることもあり得る。
精霊教会としては神鉄騎士団を争わずに弱体化させられるのだから、多少の銭にこだわらないという見方もできる。
推測は散漫で、極端に入り組んでいる。
権力闘争らしいといえば権力闘争らしい。俺やイリューがいるような戦場での小さな勝敗よりも、もっと大きな枠組みでの、勝敗のわからない闘争なのである。
「きみたちの出番はないんだよ、リツ、イリュー」
私は割り込む気はない、とイリューが腕組みのまま、目を閉じたまま言った。
ラーンは俺を見据えて、俺も睨み返した。
「幼馴染が気になるのはわかる。僕たちも、有能な仲間をむやみに失いたくはない」
「ひとつだけ、教えてくれ」
俺の言葉に、ラーンが顎を引く。
「ユナはあんた達のところへ戻るのか? あんたはどう思っている? 戻ってくるか、来ないか」
沈黙の後に「五分五分と見ている」とラーンは答えた。
五分五分とは、それはほとんど見通しが付いていないと同じだ。
誰もしゃべらず、無音の世界を風だけが鋭い音を立てて吹き続けていた。空では雲が引き裂かれ、しかし青空は少しも見えなかった。
僕は行くよ、とラーンが言って、そのまま丘を降りて行った。
ラーンは俺たちにどうしろとはっきり言わなかった。これはするな、という警告もなかった。
離れていろとも、近寄るな、とも。
いや、態度はそれを如実だったか。
態度なんて、知ったものか。
ラーンの小さくなっていく背中と、その向こうで騎馬隊の男たちが馬に飛び乗っていく様子を、この時の俺はただ眺めているしかなかった。
ひときわ強い風が吹き、俺はそれに紛れ込ませるように、ため息とも言えない、細い息を吐いた。
(続く)




