表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第五部 影を追いかけて
176/213

3-5 憤怒


      ◆



 もう少し飲む? と聞かれて、俺は卓の上の自分の酒の小瓶を持ち上げて見せた。これがあるよ、という意味だが、通じなかったらしい。

 イコルに視線を向けられたイリューは堂々と頷いた。大した肝の太さと言える。

 店員が近づいてきて、イコルが平然と「ウェッザセントラルの九十九年の麦があったわよね」と店員に確認した。さすがに俺もぎょっとしたが、店員は無言で頷き、丁寧に「料理はどうしますか」と聞き返してきた。これにはイリューが「一番高い奴を持ってこい」と応じていた。

 全てがおかしい。

 イリューの注文はともかく、ウェッザセントラルとは、ウェッザ王国の国営醸造所で、ここで取れる麦酒は名品と名高い。最悪なことに九十九年ものはその中でも逸品で、ボトル一つで五〇万イェンはする。

 少しすると、店員が平然とグラスを三つ持ってきて、それぞれに薄い琥珀色の液体を注いだ。さすがに店員が瓶を置いていくことはなかった。

 イコルがすっとグラスを持ち上げ、イリューがそれに応じる。俺もグラスを持ち上げたが、ちょっと手が震えそうだ。液体の形をした大金と言っていい。

 料理が来るまでの暇つぶしのように、イリューが問いかけた。

「企画部が動くのは、裏切りを予知していたのだな」

 酒の味を確認するような素振りの後、イコルが頷く。

「これでも私たちにも仕事があり、その仕事をこなす能力がある。フミナ隊が精霊教会に鞍替えするのは知っていた。それもあって、ユナ隊に難しい任務を公にせずに課した」

「フミナ隊を連れ出す? そして始末する?」

「そうなるはずだったけど、失敗だった」

 料理が運ばれてきた。何が来るかと思ったら、明らかに川魚ではない大ぶりの魚の切り身だった。焼いてあるわけではない、刺身という奴だ。鮮度が命のはずで、こんな内陸でどうやって手に入れたのか。生簀でもあるのか。

 刺身を口に運んでから、イコルが言葉を続ける。

「フミナ隊を刺激して、ユナ隊との共同作戦の場で、ついにフミナ隊が決断すると踏んでいた。実際、フミナ隊は決断したけど、フミナ隊は少し辛抱し、結果としてユナ隊が大打撃をこうむった」

「火薬庫で火遊びをして、手違いで全てがすっ飛んでしまいました、と言っているのか」

 やや怒気を帯びだイリューにも、イコルは平然としている。

 そう、イリューは怒っているのだ。珍しいことに。

「言い逃れはできないし、しないわ。とにかく、動かせる協力者を動かしていたけど、ユナ隊は壊滅した」

「生き残りはいるんだよな? さっきそう言っていた。違うか?」

 俺の方から確認したが、言葉と本心は全く別だった。

 俺はユナが生きているかだけを、知りたかったのだ。

「リツさん、これは神鉄騎士団の内部の問題で、企画部が動いているということを考えてみて。あなたが割り込む余地はない。そして、あまり自由に動いて欲しくもない」

「俺とイリューが動くことで、精霊教会が何かに勘づくと?」

「いいえ、精霊教会もそこまで間抜けではないわ。ちゃんと状況を把握している。今は神鉄騎士団と精霊教会の化かし合いの最中なの。どこに落ち着くかはわからないけど、とにかく、ユナ隊は私たちがどうにかする」

 魚の切り身を咀嚼していたイリューが急に立ち上がった。

「わかってくれたようね」

 イコルが言い終わった瞬間、イリューが手元のグラスの中身を彼女の顔にぶちまけた。

「私は人間が嫌いだが、同族の命で遊ぶ人間ほど不愉快なものはない」

 そう言うとイリューはグラスを床に叩きつけて粉々に割ると、足早に酒場を出て行った。

 酒場はシンとしていたが、それだけではない。

 酒を飲んで、しゃべり、笑い合っていた男や女の半分以上が、明らかに身構えていた。中には剣の柄に手を置いたものもいる。

 この酒場自体が、神鉄騎士団か、その企画部の縄張りか。

 イコルは何事もなかったように、丁寧な仕草で自分の手ぬぐいで酒を拭っていた。

「意外に熱い人なのね」

 そう言われても、俺もやや困惑していた。ここまでイリューが感情を見せるのも珍しい。感情というか、常に苛立っていて怒りの気配を纏っているが、今の感情はもっと鋭いものだった。

「まぁ、亜人にも感情があるってことだ」

 俺は卓の上にある魚の切り身を箸で口へ運ぶ。うん、悪くない。

 悪くないが、イコルの奢りじゃなければ、もっと美味かっただろう。

「とにかく、あなたたちにこの話をしたのは」

 そこまでイコルが言ったところで、俺は素早くグラスを掴んでやった。

 今度こそ周囲にいる男の一人が立ち上がった。

 笑みを浮かべてイコルを見てやる。

「有能な部下を持っているな」

「からかうのはやめてちょうだい、リツさん。私たちは協力できるはずよ」

「ならユナについて教えてくれ。正直、気になって夜も眠れない」

 くだらない表現だったが、案の定、通じることはなかった。

 今度はイコルが席を立ち、「警告はしておいたわよ」と穏やかに笑って見せたが、こういう種類の笑みを浮かべる連中は、大概が悪党だ。

 そして悪党はこの世界に大勢いる。

 どうも、とグラスを掲げて見せると、俺を無視してそのままイコルは広間を出て行った。

 酒をゆっくりと飲み、刺身を咀嚼するが、さて、どうしたものか。

 あのイコルの様子だと、ユナは生きている。

 生きているが、厳しい状態にあるようだ。

 自由の身なのか、拘束されているのか、負傷しているのか、それとももっと別種の、追い詰められた状態なのか。

 壊滅、という言葉をイコルは使った。

 ユナが部下を失って平然としていられるとは思えない。コルトが死んだ時もそうだった。

 どこかでユナを見つけて、引き止めるべきだ。説得などにこだわらず、無理やりにでも。

 刺身の最後を口に入れ、麦酒で流し込み、開栓して少しも飲んでいない酒の小瓶を手に店を出たが、例のイコルの部下たちは皮膚がピリピリするほど睨みつけてくる。

 俺がタダ飯を食うのが気に食わないのかもしれない、と思っておくことにしよう。

 バットンで定宿にしている建物へ向かう時には、すでに日が暮れかかっていた。イリューをなだめるのが難事になりそうだが、今は俺しかいない。ジュンがいれば少しは変わるのだけど。

 とにかく、俺たちは西へ行くとしよう。

 イコルの警告など、知ったことか。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ