5-4 接触
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いきなり行き詰まりだ、とイリューが酒の入った小瓶を弄びながら言う。
俺とイリューは神鉄騎士団のバットン支部を出て、そのすぐそばにある酒場で卓を挟んで向かい合っていた。
俺は視線をイリューがくるくると回す瓶から、酒場の入り口に向け直した。
誰かが入ってくればすぐわかる席を選んだのだ。
「こんなところで神鉄騎士団の傭兵を待ち伏せて、それでどうなる?」
店員が簡単な料理を運んできたのを摘みながら、イリューがぼそぼそと喋る。手元には肉の腸詰があった。酒瓶はいつの間にか開封されていた。
「まあ、誰かがラーンの居場所を知っているかもしれない。そこしか今のところ、道筋がない」
「ラーンというのは、俺の勘違いでなければ神鉄騎士団の総隊長だったはずだ。つまり、てっぺんのてっぺんに、お前はぶつかるつもりか?」
「それが一番楽じゃないかな」
「てっぺんに辿り着くのに手間がかかる。手間しかない」
腸詰を豪快に食べているイリューを横目に、俺はじっと入り口を見ていた。
と、若い女性が一人、入ってきた。例の受付や窓口にいた女性とは違う。体格は細身だが、足の運びが独特だ。
それよりも、腰に剣を佩いているので、受付嬢や事務員ではない。
俺が椅子から腰を浮かそうとして中止したのは、女性の方からこちらへやってきたからだ。
座り直して待ち構えると、女性は俺の前に立ち、ちらっとイリューを見てから、俺を真っ直ぐに見た。これは非常に珍しい。大抵の女性は俺をちらっと見てから、イリューを凝視しようとして、失敗する。
俺に視線を向け続けるだけで、希少な存在だ。
その上、笑みまで浮かべるとは。人の良さそうな、柔らかい奴を。
「あなたがリツ? ユナを探しているの?」
声も涼しげで、あまり傭兵らしくないが、探りを入れるために「俺がリツだよ」と手を差し出す。戦場では指ぬきの手袋をつけたりするが、今は外している。彼女もだ。
さっと彼女の華奢な手が俺の手を取るが、間違い無く、剣を使い慣ているものの固い掌の感触があった。
「私はイコルよ。よろしく。そちらにいる亜人の方は?」
礼儀として問いかけているようだが、イリューは無視して腸詰を口に突っ込んでいた。口の周りが脂で光っていたが、それが奴をだらしなく見せたりしないのは何か間違っている。
「彼はイリューだ。俺の師匠みたいなもの」
相棒、などと紹介すると後で何を言われるかわからなかったので、俺は勝手に言葉を選んだ。師匠と言ってもそれほどかけ離れてはいないが、オー老師ほど俺の相手をイリューがすることはない。
よろしく、とイコルが手を差し出すと、イリューは雑に手を掴み、すぐに放した。イコルの手が脂で汚れたようだったので、俺は手ぬぐいを差し出した。ありがとう、と天使の微笑みで彼女が受け取る。
彼女が椅子に腰掛け、店員が寄ってきたのにお茶を頼んでいる。イリューは堂々と飲酒しているが、どうも俺は自分の分の酒の小瓶を開けるわけにもいかないようだ。
「ユナ隊のことは、噂にでもなっているの?」
そう問いかけられて、一部でね、と答えておく。
「どれくらいの噂? ぜひ、知っておきたいわ」
「どれくらいって、俺は遭難したということと、おおよその位置しか知らない。本当に遭難したのか、それも疑っていた。しかしどうも、おたくのところのダーナさんが教えてくれた情報を加味すると、実際は抜き差しならない事態らしい。やっとそれがわかったところかな」
あの人も困ったものね、とイコルは微笑んでいる。
さすがに俺も警戒した。天使かもしれないが、死の天使という可能性もある。
「俺たちは知っちゃいけないことを、聞いちゃったのかな」
どうにか口調を作っておどけてみせるが、イコルの態度に変化はなかった。
「いずれはみんなが知ることになるわ。フミナ隊の裏切りは、神鉄騎士団の汚点だしね。どうやっても拭えない汚点」
「それは俺にはどうでもいい。ユナはどうなった? ユナ隊は、そのフミナ隊とやらの裏切りで、魔物の群れの中に置き去りにされたのか?」
あの大惨事のように、と口にしそうになり、どうにか飲み込んだ。
俺たちは一体、何をしているんだ?
魔物と戦っているはずだ。
人間を守っているはずだ。
その文明、生活、命を。
人間の全てを。
なのに俺たちは、人間同士で争い、潰し合っている。
「ユナ隊は壊滅しかけたけど、生き残っているものもいる」
その言葉はイコルの口から出たもので、俺は目を細めた。
そんな怖い顔をしないで、とイコルは笑っているがとても俺は表情を変える余裕はなかった。
「救出したのか? どこにいる?」
「正直、それを伝えていいか、私は迷っているし、それはラーンも同じよ」
ここでラーンの名前が出てくるか。
「イコルさん、あんたがどういう立場か、俺はまだ聞いていなかったよ。どこに所属している? ダーナさんの部下っていう感じでもないし、ダーナさんの上司っていう感じでもない」
何気ない仕草で、イコルが確かに頷いた。
「私はラーンの補佐をしている。つまり、総隊長補佐という身分だけど、表向きには企画部の部長よ」
企画部? 残念ながら、俺は傭兵団の内部事情にそこまで詳しくない。戦場で企画部などという名称が出てきたこともない。
いや、待てよ、どこかで聞いたことがある。あまり心躍る話じゃなかった。
いつだ……? どこで……?
イリューが急に身を乗り出してきた。
「秘密工作部が何をしている?」
その低い声に、俺はやっと記憶が繋がった。
神鉄騎士団の企画部は表向きは作戦立案を受け持っているはずだが、裏向きには内外への秘密工作を一手に引き受けているのだ。
俺とイリューの視線を受けても、イコルは平然と微笑みを維持していた。
(続く)




