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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第四部 地獄に向かい、地獄に消える
170/213

4-41 罪人

      ◆



 駆け続けた。

 北へ。ルッツェへ。

 最後の地へ。

 守備隊と出くわしても突っ切った。私はドロドロに汚れ、みすぼらしく、きっと鬼のような形相をしていただろう。

 やがて守備隊に追いつかれ、私の馬は足を折り、そうして男たちに確保された。

「ここはどこ?」

 両側から抱え上げられた私の問いかけに、守備隊の兵士が「ルッツェのすぐそばだ」とそれだけでも恫喝といっていい口調で答えた。

 思わず笑みが浮かんだ。

 すぐそばまで来ているのだ。

 兵士が不思議そうに私を見て、しかし素早く手を縛り上げると、馬に抱え上げた。

 そう、この守備隊は兵士だった。ルスター王国の紋章が具足に縫い取られている。たぶん、騎馬隊の一部だろう。馬の乗り方に練度を感じるし、私を追い込んだ手法も見事と言うしかない。

 日が暮れる前に、私はルッツェにたどり着いていた。正確には、連行されたのだけど。

 ルッツェの外に作られた野営地に入り、私は体を洗うように言われ、次に服が用意された。

 それで十分だ。

 私は全身を念入りに洗い、何度も何度も冷水を浴びてから、丁寧に水を拭ってから着物を変えた。

 私が女だったからだろう、そばで見張っているものはおらず、離れた場所で兵士が数人、遠巻きにしていた。だから容易に野営地を脱出できた。体を綺麗にしている間に日が暮れ、篝火が焚かれていても夜の闇は十分すぎるほど私を隠した。

 ルッツェの街は厳重に守られていて、夜間の出入りは緊急時以外はできない。

 しかし守られていると言っても、たかが壁だ。

 こっそりと警戒している歩哨をやり過ごし、空堀に静かに降り、逆茂木の間をどうにか抜ければ、そこには防壁がある。木で作られているが、頑丈なのは私にもわかっている。

 呼吸を整え、イレイズを発動した。

 かすかな音とともに、壁に穴が空いた。人が一人通るには十分である。

 そろそろ私が消えたことで騒ぎになるだろう。

 それでもルッツェの内側に入れた。入ってみると意外に喧騒がある。さすがに最前線ではないし、普通の街のようなものなのだと、やっと理解が追いついた。

 呑気なものだ。

 何も知らないのだ。あの地獄の空気も、ここにいれば知ることもなく、覚えている必要もない。

 通りを小走りで抜け、精霊教会の支部に向かった。建物が見える。警備のものが二人、門のところに立っている。

 ここに来るまで、どうにか隠し持ち続けていた腕章を腕につけた。

 そうして堂々と私は正面から精霊教会の建物に向かった。警備のものがこちらを見るが、私は少し慌てている演技をして、「すみません、通してください」と声をかけた。それで通されるわけもないが、前置きは必要だ。

 止められたところで「ソニラ助祭について、報告しなくてはいけません」と言いながら押し通ろうとすると、二人は混乱したようだった。

「ルティア司祭に直接報告しなくては。時間がありません、通してください」

 警備の二人が視線を交わし、それで私は通された。二人はそのままその場に残った。

 なんだ? 何かがおかしい。

 しかし今、それを考えている余裕はない。

 建物の玄関を勢いよく開け、吹き抜けをちらっと見上げて誰もいないのを確認し、階段を駆け上がる。人の気配はする。夜でも仕事はあるのだ。外からも明かりでそれはわかっていた。

 緊張はしない。私は冷静だ。

 以前、通された部屋の前まで来て、ドアをノックする。

 返事があった。

 ルティアの声。

 容赦することはない。

 私は扉をイレイズのファクトで消し飛ばし、中に飛び込んだ。

 飛び込み、見回す。

 いない。

 誰もいない。

 混乱しながらもう一度、部屋を確認した。

 誰もいない。

 隠れてもいない。

 返事があったはずだ。

 なんだ? これは、罠か……?

 何かが私の腕を掴み、次には捻りあげられている。

 床を蹴りつけ、拘束を脱しようとするが、更に腕を捻られる。

 床に肩から叩きつけられ、やっと相手を視認できる位置に頭がきた。

 視線を送り、混乱はより深まる。

 私を組み伏せている相手は、いない。

 私の腕を極めて、背中にのしかかっている感触と重さはある。

 姿がない。

 透明化、インビジブルのファクトか!

 私はがむしゃらにイレイズを解き放った。

 壁や天井に穴が開き、構造物が撒き散らされる。椅子が吹っ飛び、デスクは二つになり、明かりが消える。大量の書類が舞い上がり、引き裂かれる。

 拘束が解けた。立ち上がり、周囲を確認。

 天井の大穴から月明かりが差し込んでいる。

 薄暗い室内に、やはり私以外に人はいない。

「乗り込んでくると思っていたよ」

 声がした。声の主は見えないが、声の位置はわかる。

 そして足音がし、床に散らばる壁や天井だったものが、かすかに動くのがわかった。

 さっと体を逃がそうとしたが、拳のようなものが私の頬を捉え、姿勢が乱れたところに胸の中心を打たれ、こめかみを尖ったものが撃ち抜いた。その蹴りで一瞬、意識が途絶える。

 私は気付くと膝をつき、無意識に立ち上がろうとして、しかしゆらゆらと揺らめいていた。

 足に力が入らない。腕も上がらない。呼吸が不完全で、息を吸うたびに激痛が走る。

「その程度の使い手とは、情けないな、ユナ隊長」

 声はルティアのもの。

 しかし、どこにいる?

 前触れもなく手首を掴まれ、引きずられる。足を払われ、頭から床に落ちる。

 手首を掴んでいる手に私は触れた。

 血飛沫が散り、私は頭と肩から床に落ち、転がり、体に染み込んだ動作で立ち上がろうとして、失敗した。

 視界が滲み、歪み続ける。平衡感覚がおかしい。

 目の前では、何もない空間から血が滴っている。いや、その血の流れは消え、虚空からポツポツと床に血が落ちている、まるで空気が血を流しているような光景が現れた。

 ふざけたことを、と言ったのは誰だったか。

 私はこの一瞬に全てを駆けた。

 壁一面を消し飛ばす、渾身のイレイズ。

 轟音とともに壁が消し飛び、天井が崩れ始める。

 その中をすり抜けて、それがきた。

 目の前。

 見えない。防御しようとした。

 額の真ん中を何かが打った。尖っているのは肘か。

 あまりの衝撃に体が頭に引きずられるように跳ね、後頭部が床にぶつかる。

 全身の感覚があやふやになり、痛みも痺れも感じない代わりに、まるで自分が浮遊しているような感覚があった。

 建物の一部が崩落する音の中で、私は襟首を掴まれ、引きずり上げられた。

「罪人にふさわしい場所を用意するよ、ユナ」

 罪人。

 姿を見せない本当の罪人は、今、どんな顔をしているのか。

 目の前にいるはずの男に手を伸ばそうとするが、手は緩慢にしか動かない。

 体が振り回された、と思った時には側頭部が壁にめり込み、今度こそ私は昏倒した。



(続く)

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