1-17 別れの痛み
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日が暮れると周囲は真っ暗になった。
日を起こせれば、と思ったが、火打ち石さえも喪失していた。
(寒かろう)
そういったフォルゴラが、腕を伸ばし、俺を囲むように肘を曲げた。
それだけでだいぶ暖が取れるのだから、不思議なものだ。
いつの間にかうつらうつらし、気づくと夜は明けていた。日が昇っているはずだが、外はまだ轟々と吹雪が唸っている。
木の球根をとりあえず一つ、腹に収め、念のために二つを引きちぎって、引きずって外へ出た。
先に待っていたフォルゴラが俺に手を伸ばし、そっと握りこむと肩に乗せてくれた。
巨人と言っても全く生物的な滑らかさがないので、肩にある不規則な出っ張りの隙間に球根を押し込み、俺も一つの出っ張りにしがみついた。
(いくぞ)
ゆっくりとフォルゴラが立ち上がり、いきなり視点が高くなったのでちょっと混乱する俺である。
巨体は吹雪を物ともせずに進み始める。巨大なのだが、そうとは思えないほど非常に機敏だ。全力疾走されたら、さすがにしがみついてもいられないだろう。
俺が雪にまみれていたからだろう、途中でフォルゴラの片手が俺を覆うようにして、雪を遠ざけてくれた。
半日ほど進んだところで、「あそこがお前が登っていた峰だぞ」とフォルゴラが言った。言われても俺の視力では激しい雪の幕の向こうに霞んで、よく見えない。
そう思った途端に、不意にはっきり見えるようになるのだから、訳がわからないが、生きた岩とやらは俺をまるで人間じゃなくしてしまったらしい。
フォルゴラは歩き続ける。俺は彼の肩の上で、球根を一つ食べた。
日が暮れてくるのが、周囲が薄暗くなるのでわかった。巨人は歩き続ける。
(我らが人と関わるのを、愚かだと思うか)
急にフォルゴラが言った。
「愚か? どうしてですか?」
(人間よりも頑丈で、全く違う時間を生きる我らが人と関わるのは、残酷だろう)
「別に、そうとも思わないけど」
そう言ってから、ちょっと言葉を探した。
「俺は少なくとも、フォルゴラのおかげで生きているわけだし」
(いつか、私を恨むかもしれない)
いや、ついさっきもちょっと恨んではいたけど。そこまで深刻ではないし、忘れておこう。
(いつか、と表現しても、人間にとっては例えば人生の半分でも、私にとっては明日のようなものだ)
その巨人の言葉に、この岩の塊は、明日にも人間が去っていくということを恐れているのではないか、と思えた。気のせいだろうか。
どんな存在でも、意思を持つものには共通する感覚があるのかもしれなかった。
別れは、どんな形であれ、辛いのだ。
俺の中の、父や母、シロ、そしてユナとの別れのように。
もうフォルゴラは何も言わず、俺も黙って、定間隔の揺れに身を委ねていた。
周囲は真っ暗になり、月も出ない。そしてやがて明るさが戻ってきて、それが朝の存在をささやかに主張した。
まだ巨人は歩き続ける。
(着いたぞ)
低い音に、俺は前方に目を凝らした。
吹雪の向こうに、崖がある。そこに穴がいくつかあるように見えたが、違う、崖がくり抜かれて何かが建造されているのだ。
(遥か昔、巨人と人が争った時代の遺構だ。ここにルッコ・トライアドがいる)
ゆっくりと巨人が膝を折り、俺は腕を伝って地面に降りたが、雪が深い。ほとんど腰までいっぺんに埋まった。
雪崩に巻き込まれる前もこんな有様だったが、しかしそう思うと、フォルゴラに運んでもらったのは全てにおいて都合が良かった。
(待っていろ)
フォルゴラがそう言うと俺の横を抜ける。足が巻き上げた雪が俺に覆い被さってくる。
次には巨人が妙な動きで雪を踏み固めていき、崖の下までに押しつぶされた雪の道ができた。
「ありがとう」
礼を言う俺に、気にするな、と巨人は答えた。
(いずれ、また会おう。その時を楽しみにしている)
やっぱりどこか巨人の声は悲痛なものがこもっている。
「絶対に、また会いに行くよ。いや、会いに行きます」
(私に対しての口調に気を使う必要はない。そうだろう、我が友)
「かもしれないな」
俺は巨人の横を抜ける時、その足に拳をぶつけた。
巨人の手が俺の頭をかすめるように通り過ぎ、思わず俺が身をかがめると、フォルゴラが地鳴りような音で笑った。
俺は一度、手を振って崖の方へ歩いていく。
崖には階段が彫ってあり、そこで上へ上がれるようだ。
高い位置までくると、巨人が去っていくその背中が見えた。
やはりどこか切なげだが、俺にできることはない。
階段を上がりながら、人の気配を探したが、すぐには見つからない。
「誰だ?」
急な声がしたのは、壁に彫られた穴を覗きこんでいたところで、穴の奥に明かりが見えたのだ。
その明かりに影が差しかと思うと、一人の男性が進み出てきた。
精霊教会の僧服のようなものを着ているのがわかった。
「ルッコ・トライアドさんですか? 俺は、その」
感極まるというほどではないが、やっとここまで来たと思うと、胸にこみ上げてくるものがある。
「俺は、ルン・グザの息子で、リツ・グザと言います」
「ルン? 奴は死んだはずだが」
男が首を傾げかけて、その動きが止まる。
「アン・グザから書状が来ている。息子のリツはここにいるか、という文だった」
「アンは、俺の母です。俺がその、リツです」
「文の内容では、冬が厳しくなる前に辿り着いているはずだ、とあった。つまり二ヶ月以上、遅れている。この雪の中で、どうやって生き延びた? どうやってここまで来た?」
それは答えづらい質問だった。身ぐるみをはがされたところから話すべきだろうか。
「長い話になりますけど……」
「私はこれでも気が長い男だが、要点をまず言え」
気の長い男の発言じゃないな。
「巨人に、助けられました」
ほう、と男は低い声で言い、「よかろう」と身振りで俺を招いた。
「話を聞こう」
どうやら俺は、受け入れてもらえられたらしい。
これはどこまでも、フォルゴラに感謝だな。
穴の奥へ行くと、リビングのような場所だった。暖炉があるが、レンガを積んだようなものではない。壁そのものに暖炉が作られていて、継ぎ目が一つもない。
明かりと火の暖かさを前にすると、何か、生き返ったような気がした。
(続く)




