4-36 救出
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駆けつけてきたのは、なるほど、と思わせる部隊だった。
重装備の鎧を身につけ、馬にも馬甲をつけ、一糸乱れぬ隊列で一直線にやってくる。魔物は全て騎兵槍で貫くか、馬の勢いのまま轢き殺していた。
私達の周囲を彼らが旋回すると、もう私達にやることはない。
一人の騎兵がこちらへやってきた。背が高くなく、細身。女だ。
「意外に元気そうですね、ユナさん」
私は答えようとしたが、声が出ない。胃液を吐き、咳き込み、どうにか槍を杖にして姿勢を維持する。
雑談する余地もないと悟ったクミンが部下に指示を出す。馬蹄の響きに負けない声だ。
周囲も地面が湿っているはずなのに空気に土が舞い上がって、余計に現状を認識しづらい。
唐突に何かが円陣の内側に来たと思うと、それは荷車だった。金属で厳重に補強されている。紺碧騎士団の装備か。
そう、助けに来たのは紺碧騎士団だった。
いったい、どこで何を聞きつけてここまでやってきたのだろう。ハヴァスでは彼らを見たことがなかった。
紺碧騎士団の男たちが動けないユナ隊のものを荷車に乗せていく。私は最後にそれに乗り、重装備の男が「この帯を放すなよ」と大声で耳元で怒鳴った。
その間にも別の男が水筒を配って回っている。その中身を飲んだユナ隊のものは嘔吐しているが、紺碧騎士団は気にしていないようだ。
私のところにも水筒が来た。
思い切って中身を飲むと、とんでもない味だ。刺激が強すぎるし、粘っこい。
たまらず嘔吐した私に、「中身を全部飲め!」とやはり紺碧騎士団の男が怒鳴る。
やけくそで私は中身を飲み干し、先ほど以上の不快感でいよいよ目が回ってきた。
荷車の上のものは帯を放すな、絶対にだ!
そんな声が何度も交わされると、笛が鳴り響き、円陣が形を変えた。
非常に滑らかの動きで隊列が形成され、荷車二台を完全に守る形で、動き出す。
どうやら北へ向かうらしい。
紺碧騎士団は完全に生まれ変わったようだった。とにかく、停滞することがないし、魔物を寄せ付けない。何重にも荷車を取り囲み、自分たちも細かな連携で脱落者を出さない。
時折、クミンの指示を出す声が聞こえたが、私は意識が朦朧としていて必死に荷車にあるベルトを握りしめていた。かなりの高速で走っているので、横にも縦にも揺れがひどい。横転しないか、不安になってきた。
その不安さえも、感覚の鈍磨には勝てないのだけど。
どれだけの距離を走ったのか、周囲が薄くなり、日が暮れたのだとわかった。
前方に篝火が見え、それが大きくなり、今度は闇ではなく光が、赤い光が私たちを取り囲んだ。
大勢の人の声がする。
「起きてる? それとも死んでいる?」
私の顔を覗き込んできたのはクミンだ。
「最悪な気分だけど、生きている」
そう応じて、起き上がる。そう、荷車はいつの間にか止まっていて、篝火の真ん中にした。
視線を巡らせると、私の部下が介抱されている。と言っても、二重に柵で囲まれた頼りない安全地帯でだ。いくつか物資の荷箱があり、それよりも馬が多いことが目を引く。
「まともな基地じゃないわね」
私がそういうと、基地じゃないですから、と素っ気なくクミンが言う。
「ここは訓練基地よ。実戦訓練の休息地」
何を言えばいいかわからない私に「これを飲みなさい」と水筒が手渡される。
また例の飲み物とは呼べないものか、とクミンを見てしまった。そんな私に「水よ」と素っ気なく返事があった。
水筒の中身は本当に水だった。久しぶりにまともな水を飲む。ほとんど一息に飲み干してしまった。
飲み終わってから、悪いことをしたかな、と思ったが、もう遅い。
相応の規模の基地でないと井戸を掘ることはできないし、魔物の領域に踏み込む時は水は運び込まれることが多い。そして大抵は沸かして飲むのだ。
ここに井戸があるわけもないし、川も遠い。きっと水筒の中身は、紺碧騎士団の運んできた水だろう。
「別に気にしないでいいわ、ユナさん。私たちも撤収しますから」
どうやらだいぶ気を使われているらしい。それもそうか、魔物の群れのど真ん中で死にかけていたのだ。それも味方に裏切られて。
「ここから北へ走って、川にぶつかったらやや東へ向かう。渡渉地点があって、そこを使ってさらに北へ。そう、休みを最低限にすれば六日ほどでスラータに入れるでしょう」
クミンの説明に、私は少し混乱した。
「六日でスラータ? 本当に?」
反射的に確認すると、クミンがちょっと不愉快そうな顔をした。
「あなた、自分が丸二日、荷馬車に揺られていたことを忘れたわけ?」
「一日じゃなく?」
「丸一日は、完全に気を失っていたわね」
言われてみると、私の服は派手に汚れている。急にそれに気づいて、恥ずかしいやら、みっともないやら。
戦場だからそんなことを気にしても仕方がないが、気にする余裕ができたわけだ。
身支度したければどうぞ、とクミンが言うので、言うとおりにした。替えの着物として、紺碧騎士団の服を借りてしまった。
私がそんなことをしている間にも、撤収の準備が続き、破棄するものが破棄され、必要なものが荷車につけられていく。どうやらユナ隊のもので動けるものには、馬が支給されるようだ。
「そちらに犠牲は出なかった?」
私は指示を飛ばし続けているクミンを捕まえて訊いてみた。彼女は心外という顔で「誰も犠牲は出ていない」と答え、また指示に戻った。
ほんの一時間ほどで、準備は整い、全員がその場を後にした。
はっきりとした数字はわからないが、紺碧騎士団は一〇〇騎はいそうだった。
私はまだ足に上手く力が入らず、荷馬車に乗せられることになった。ユナ隊で動けるのはほんの数人だけで、やはり裏切りは私たちの完全抹殺を狙ったようだった。
荷物とともに詰め込まれ、固定され、積載量の上限に近いようにも見えるが、それでも荷馬車は安定して走り続けた。
私はしばらく空を見ていた。
薄暗い空は黒い雲が切れ始め、日差しが何かの兆しのように周囲を照らし始めた。
日が暮れれば夜が夜として理解される。
守られていることによる安心が安心として理解される。
食料と水が配られる。さすがに水は少量だった。もうそれほどの量の備蓄がないのだろう。
日々が過ぎる。魔物の脅威があるはずなのに、紺碧騎士団に遺漏はなかった。一匹たりとも寄せ付けない。負傷者が出ても、器用に馬を走らせながら治療する。途中で馬が二頭、魔物にやられたが、すぐに決めれているらしい手順で、投げ出された兵士を別の兵士が引っ張り上げて本隊に戻ってくる。見事だった。
私の体調も徐々に回復した。あの最初に飲まされた、それ自体が毒かもしれないと思った吐くほどまずい水筒の水が、実際には解毒薬だったのだ。
川が見えてきた。空には青空が見えた。
日が差し始め、昼の熱を伝えてくる。もう冬も終わりか。
騎馬隊が走り続ける音の向こうで、水が流れる音がして、私は深く息を吸い込んだ。
生き延びた。
しかし、それで終わりにできないのだった。
渡渉地点に着いたようで、隊列が切り替わり、先頭から浅瀬を馬上のまま、渡り始めた。荷馬車は苦労するだろうと思いながら、紺碧騎士団の男たちが車輪を乗せるのための長い板を川に敷くのを、私は荷台の上から見ていた。
(続く)




