4-32 日々
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夏が終わり秋が来た。この辺りでは秋は短いが過ごしやすい時期だ。
私は二十一歳になり、いい加減、戦場に立ち続けた。
ユナ隊とフミナ隊が配置されている基地は規模が大きくなり、名前が付けられた。ハヴァスという名前だ。
問題はいくつも持ち上がっていた。
ハヴァスという名前を得るのに必要だった規模の拡大に大量の人夫が動員されたが、その出所が二つに集中した。
片方はルスター王国で徴募された人夫で、つまりで出稼ぎ人の集団。
もう一つが、精霊教会が連れてきた男や女で、神官戦士でもなければ、信徒隊でもない、戦闘を前提としない連中だ。
どちらも等しく働き、基地は新しく土塁が複数、構築され、防御用の本格的な柵が一時的に作られ、次に防壁が建造された。
この工事期間中は、異常なほどの盛り上がりがあった。
兵士や傭兵だけではなく、人夫が大勢いたし、その人夫を相手に商売するものが大挙してやってきた。食料を売るもの、料理人などが、とても戦場とは思えないほど集まった。
そのうちのいくつかは最後まで居座り、傭兵隊と契約などもしたようだ。
「商売というのは機を見て敏なるものが、必ず成功するのです」
サーナーがいつかの補給の時に、嬉しそうに笑って言った。どうも彼は彼で、このハヴァスの狂乱に一枚噛んで儲けたようだ。神鉄騎士団と契約を結んでいても、それ一筋でサーナーが銭を回しているわけもない。
ハヴァスの完成後の大問題は駐屯する部隊の編成で、一時的なものとされながら信徒隊が六〇〇、配置されていた。構想の段階では総勢で一〇〇〇としてルスター王国軍が半数の五〇〇、残り半分の五〇〇は傭兵などで構築する計画だったようだが、実際に出来上がってみれば、ルスター王国軍にそこまでの余力は即座には用意できなかった。逆に、不愉快なことに精霊教会の人夫が大勢いたため、それを信徒隊に組み込めば五〇〇などは容易に精霊教会は用意できたのだった。
そうしてハヴァスの守備隊一〇〇〇はあっさりと成立し、防御が固められた。物資の流入も安定し、後方との連絡も確立された。
「補給って感じやねえっす」
ユナ隊に与えられた区画の幕舎の外で、私の横に来たファドゥーが声をかけてきた。
ハヴァスは魔物の領域にやや食い込んでいて、三方、場合によっては四方から攻められる。それが意味するところは、補給部隊は常に危険にさらされ、大勢の護衛を連れ歩くということだ。
私が口を挟む余地もなく、ハヴァスの補給は精霊教会がルスター王国の依頼を受けるという形で一つにまとめられていた。どの商人もまず精霊教会と交渉するようだ。
ファドゥーは私が無理を言って補給部隊に同行させたのだった。後方のイサッラとの往復だったが、半月以上が必要だった。
私が差し出した水筒を受け取り、水を飲みながらファドゥーが長旅の疲れを見せずに淡々と言葉にする。
「精霊教会は信徒隊を護衛にしているように見せかけてやすが、ありゃ訓練を積んだ兵士っす。腕章をつけて、軽装ですが、何かの時に別の存在になるかもしんねえ」
「神官戦士が化けている、ってこと?」
「そうっす。俺はもしかしたら逆かもしれん、と思いやした。信徒隊の精鋭で神官戦士団に見える、というんじゃなくて、神官戦士団に信徒隊の皮をかぶせているんじゃないか、っつうことです」
それはまた剣呑だな、と思ったけど、言わなくてもファドゥーには伝わったようだ。
「この基地にいる信徒隊六〇〇が、全部、最精鋭となると、安心して背中を預けることができるとするべきか、もしもの時に押し潰されると警戒しなくちゃいけねえか、ややこしいっすね」
「わかった、頭に入れておく」
「ロッタの奴はなんか言って来やしたか?」
私はファドゥーが後方へ行っている間に届いた秘密の書状について話した。物資に紛れ込まされていて、あの男にしては念の入ったことに物資を包んでいた布製の大きな包みの生地に、紙が縫いこまれていた。
「カガンが精霊教会の信徒隊に無霧傭兵隊を鞍替えさせる? 本気っすか?」
私の言葉をそっくりそのまま、ファドゥーが繰り返した。信じられない、という気持ちはわかるが、繰り返したところで事実が変わるわけがない。
「本気でしょうけど、これであの基地は精霊教会のものになるかもしれない。そしていずれは、ここ、ハヴァスを作ったように、あそこにも前進基地を作るかもね」
ぞっとしねえっす、とファドゥーが唸る。
「あそこなら、土塁を強化するところから始めたここよりは楽でしょうよ。ついでに今は、ここから側面援護できる」
「魔物の領域を突っ切って、ですか? そりゃほとんど、援護するはずなのに命がけっすよ」
「昔から命がけの任務はあったわよ」
そうっすけどねえ、と言ってから、もう一度、勢いよくファドゥーが水筒を煽った。
地図の上で見ればハヴァスからあの基地までは、おおよそ東西で一直線で、まっすぐ進めばいいはずだ。起伏はあるが、大きな山もないし、幅の広い川もない。馬で移動すれば、どうだろう、四日、五日、その程度の距離か。
もちろん、その行軍をするとなると魔物の領域を突っ切るわけで、途中で簡単に補給を受けられないし、援護も期待できない。
そうなると、このハヴァスからの側面援護は無意味どころか危険しかなく、消耗が約束された戦術ということは自明である。
ただ、自明であってもそれが起こりえない、と断言できないのがこの戦争の難解さだった。
この敗北が約束された作戦が現実になる矛盾は、過去にもあった。
コルト隊が全滅した作戦もその一つだ。少ない犠牲で成果を出す、という計画だったし、失敗したのは味方の背信によるものだが、それでも犠牲は許容されるという前提はあった。
この戦争を無傷で勝てないのは、誰もが同じ価値観として共有している。
しかし、だからと言って犠牲を容認していいかは、難しいところだ。
「ロッタの奴は他に何か言ってやしたか?」
「幾つかの傭兵隊が、そのまま神官戦士団の分隊になったそうよ。指揮官は助祭で、その上には司祭がいる」
「アミナ助祭と、ルティア司祭っすか」
「本当にこの辺りは教会領になるかもね」
こんなところに住みたかねえ、とファドゥーが冗談を言ったが、私はひっそりと笑うしかできなかった。
戦闘は日々、終わりなく続く。
基地の周囲には防御用の低い土塁がいくつもあり、空堀もある。機動的に歩兵部隊が駆け回り、複雑な連携で魔物を寄せ付けないように戦闘を継続する。
場合によってはイサッラから前進した隊と連携して、南北で挟み込んで魔物を打ち払うこともある。
補給を精霊教会に頼ることで情報的に孤立するのは避けたかった私は、サーナーに頼んで細々とでも独自の補給線を残していた。フミナも自力でやっているようだ。
そのサーナーの手の者の連絡で、イサッラからは徐々に魔物の脅威が取り除かれている、という通報が来た。ルスター王国の中ではそれを機に、イサッラの規模を拡大する動きがあるようだ。ルッツェのようにいずれはなるのだろう。
淡々と戦闘の日々が続き、飢えることも乾くこともなく、人間同士の衝突もなく、魔物はひっきりなしにやってきては倒され、死骸が燃やされ、雨が強くなったり弱くなったりしながら降り続け、つまり、世界はまた膠着した。
私にその情報がもたらされた時、すでに秋は過ぎ去り冬になって空気は冷え込み始めていた。
「神官戦士団が三〇〇?」
その話を持ってきたのはフミナ自身だった。
ユナ隊とフミナ隊はほとんど統一され、フミナは私を立てることが多くなっていた。私自身が信用されている以上に、コルト隊の生き残りとしての経験値を尊重してくれているようだ。
私が声を上げると、フミナは少し顎を引いた。
「ここにいる信徒隊六五〇に、神官戦士団三〇〇が加わるそうよ。つまり守備はほとんど全て精霊教会が受け持つ。今、ここにいる傭兵はさらに南進する戦力とするってことらしい」
私は幕舎の外で部下と稽古をしていたので、薄着だったが、少し背筋が震えそうになった。
南へ進み、背後には精霊教会がいるというのは、恐怖こそないが懸念材料であり、どこか不吉である。
「神鉄騎士団の本隊は今後について検討している」
言いながら、フミナがこちらに書状を差し出してきた。受け取り、目を通す。今後については検討中、とだけ触れられていた。
「ここが引き時かもね、私たちも」
フミナの言葉にどう応えるか、正直、迷った。
新しい戦場を、探すべきかもしれなかった。
ここにはもう私や仲間たちを必要とする要素は、なくなりつつあった。
(続く)




