1-16 我が友
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目が覚めた。
またここだ。
岩盤の張り出しの下て俺は寝ている。巨人は、いた。
外へ通じるところで座り込み、こちらに背中を向けている。
どうとでもなれ、と上体を起こそうとした。
起こそうとして、体の状態が普通に戻っていることに気づいた。手足のどこにも異常はない。電気が走ることもない。
立ち上がってみると、普段通りだった。
俺の気配に気づいたようで、緩慢に岩でできた体を軋ませながら、巨人が振り返った。
(体はどうだ、我が友)
我が友?
どう答えればいいか、すぐにはわからない。ただ、威圧的な巨大な存在を前に、迷っている余裕もない。
「まあ、どうも、戻ったらしい、いや、戻りました」
(なら良い)
巨人が完全に向き直り、いつかのようにあぐらをかいた。
(ここまで何をしにやってきたのだ、リツよ)
何で俺の名前を、と思ったが、そうか、俺の方から言ったのだ。
「人を、訪ねてきた」
(深き谷へか?)
「そういう奇人なんだ、違う、奇人のようです」
低い音がしたが、それが徐々に大きくなる。体がビリビリと震える。巨人が笑っているらしい。
(ここらに人で住んでいるものは、ほんの少しだぞ。皆、我らが友だ)
ほんの少し? 一人じゃないのか?
俺が困惑しているのに、ゆっくりと巨人が頭の位置を下げた。
(刀というものを打つ職人がいる。我らの知恵を借りたいというものたちだ。どの人間も、奇人と呼べるだろう)
はあ、としか言えない。
なるほど西域に分け入った人間でも、生きているものはいるのだ。
(お前が探しているものの名は?)
その質問に、少し記憶を整理する必要があった。あの小さな家、レオンソード騎士領を離れて、多くのことがありすぎた。
名前は……。
「ルッコ・トライアド、です」
ふむ、と巨人が言ったようだが、まるで地響きだった。
(あの者を訪ねてきたにしては、回り道をしたものよ)
「知っているのか? あ、いや、知っているのですか?」
(友の一人だ)
そう言ってから、巨人の手が唐突に地面を打った。体が少し浮き上がるほどの振動で、やはり天井の崩落が怖い。
しかも巨人は何度もをそれを続ける。なんだ、何をしている?
(これを見よ)
巨人が手の動きを止め、太い指で地面を示す。
見ると、地面の上で細かい粒の石が複雑な文様になっている。最初、それが何を意味するか、わからなかった。
ただよく見れば、それは地図だった。
立体的な地図で、大陸中部の西域が表現されている。
(ここが今、いるところだ。深き谷の入り口になる)
巨人が指先で触れたのは、いくつもの山脈に囲まれている窪地だった。
「俺はどうして、ここへ?」
そうなのだ、そもそもそれが、問題だ。
巨人は平然と答えた。
(大規模な雪崩があった。たまたま私はその場に居合わせた。そこでお前を見つけた。それで助けた)
巨人が人を助ける?
ありえないことだ、とは言えないのは、俺が助かっている事実があるからだ。
だけどそれより、巨人と人の交流は断絶しているはずで、それで、つまり、そもそも巨人が人と接触することがありえない。
でも俺は助かっていて、えっと、どういうことだ?
(どうせ死ぬと思ったが、生き延びた。そして私に傷をつけた)
傷? 短剣の一撃のことか。
今も巨人の指にはえぐれた部分が見えた。
「普通、傷をつけられたら、怒るんじゃ……?」
(巨人を傷つけるものなど、そうはいない)
とんでもないことを言われてしまった。
巨人を傷つけたのは俺で、しかし、自覚がない。
(人間の持つファクトというものも面白いものだ)
そんな唸り声の後、腹が減っていないか、確認された。
ずっと何も食べていないが、食事よりも何か、自分のことを考え直すべきではないか。
(その木の根には、汁気がある。凍ることもない。食べてみろ)
巨人が勧めてくるので、迷ったが、空間の奥に突っ込まれている例の木に歩み寄り、手で根の玉、球根を一つをちぎろうとした。
するとあっさりと引きちぎることができたが、何かおかしい。
俺が掴んだ根の太さは、俺の腕くらいある。枯れているわけでもなく、まだ生の木なのにこんなに簡単に引きちぎれるものだろうか。
それでも一応、球根を持って元の場所へ戻る。抱えているが、足取りが乱れないのが逆に体感として不自然だった。
巨人が外から雪の塊を引っ張り込んだので、俺はその雪を使って球根の泥を落とした。綺麗になると白い表面が露わになり、意外に美味そうだ。
いただきます、と一応、声にしてからかじりついた。
硬いかと思ったが、柔らかい。汁が溢れて、唇の端から滴った。
袖で口元を拭って食べていくと、手が止まらなくなった。
一つを食べ終わると、もうそれだけで腹一杯になった。よくひと抱えの球根が体に入ったものだ。
腹が満ちて、気持ちに余裕ができた。
「あなたの名前を聞いていないのだけど」
巨人はこちらを見下ろしながら、堂々と答えた。
(我が名はフォルゴラだ。若き巨人なのでな、ここにいる)
若き、などというけれど、巨人の年齢というのは、人間とはまるでスケールが違うに決まっている。
(明日には、ルッコの元へ向かうとしよう)
頷きかけて、確認することがもう一つあるのだと、思い至った。
非常に重要なことだ。
「俺は重傷だったはずだけど、今は何ともない。フォルゴラが何かをしたのか?」
そうだ、と平然と巨人は応じた。
(「生きた岩」をお前に定着させた)
生きた岩?
「それは、どういうもの?」
(巨人を巨人たらしめるものだ)
……安堵が一瞬ですっ飛んだ。
「人間にそれを定着させるのって、普通じゃないよな、違う、普通じゃないですよね?」
(長い歴史では前例もあろうが、ここ数百年ではお前だけだ、リツ。安心しろ、決して危険ではない。少し人本来より頑丈になるだけのことだ)
……なんか、いつの間にか俺は普通じゃなくなったらしい。
「元に戻せって言ったらどうなる?」
(元に戻す? 人が地に還るように、岩もまた土に還る。元に戻せば、お前は土になるだろう)
何か、事前に意思を確認してほしかった。
こうなってはどうしようもない。
(気にするな、我が友。見た目は人のままだ)
人じゃなくなったら、大問題だ。
(続く)




