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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第四部 地獄に向かい、地獄に消える
158/213

4-29 恨み


      ◆



 戦場から引き上げて土塁を超えると、前に白い外套を羽織った女性が立っていた。左右に腕章をつけた信徒隊の男を連れている。

 あれが指揮官です、と下級将校がすぐ後ろで私に耳打ちした。

 斜面を下り、彼女の前へ立つとソニラとはまるで違う、自然な笑みが私に向けられる。しかしその笑みは自然であろうと、どこか狂気じみていた。

 この戦場で笑うということは、どこまでいっても狂気を伴うのだ。

「こんにちは、ユナさん。わたくし、精霊教会の助祭のアミナと申します」

「こちらこそ、よろしく」

 握手でもするのかと思ったが、そんなことはなかった。

 私が軽く頭を下げて横を抜けようとすると「ソニラが迷惑をおかけしました」とアミナが大きくも小さくもない声で言った。

 思わず足を止めると、彼女は笑みを変えていないまま、こちらを見ている。

「ソニラは一つ東側の基地に配置換えになりました。ルティア司祭による懲罰ですよ、ユナさん。これで少しは安心していただけましたか?」

 この女は全てを知っているらしい。

「安心したいところだけど、信徒隊が大きな顔をしていちゃ気は許せないかな」

 そうやり返す私に、アミナは口元を隠しながら笑い声をあげた。

「敵は魔物ですよ? 人間ではありません」

「私はそうとは思っていない」

「不穏ですね、ユナさんは。まさか神鉄騎士団はルスター王国を奪ったりするのかしら」

 つくづく、不愉快な女じゃないか。

 これが神と精霊に仕えている女となると、神と精霊も見境がないということだ。きっと誰でもいいのだろう。

「さっき、信徒隊の戦いを見た」

 こちらから水を向けてやると、アミナは悠然と頷いている。

「少しずつですが、戦いというものがわかってきました。いずれ、精兵になるものもいるでしょう」

「そのために錯乱した奴を突き殺しているんじゃね」

 先ほどの戦闘であった場面だった。

 信徒隊の一員の十代だろう少年が恐慌状態になり、戦場を放りだそうとした。

 その瞬間、そばにいた信徒隊の男が少年を剣で突き殺したのだ。

 悲惨だった。非情でもある。人間のすることではない。

 私の指摘した場面は、アミナも見ていたはずだ。

 じっと観察していたが、アミナは少しも動揺せず、自然な笑みをそのまま変えなかった。くそったれの精霊教会の奴らが得意とする、作り物の笑みって奴だ。ソニラよりアミナの方が上手いってことか。

「あのままでは周りに被害が出ました。仕方ありません。ここは戦場です」

「傭兵のような物言いをしますね、アミナさん。神と精霊に仕えるものが、勝手に人を殺していいのですか」

「神も精霊も、寛容な存在です。お許しになってくれます」

 やれやれ、不愉快な理屈じゃないか。理屈にすらなっていない。

「いずれ、恨みを買うわよ」

「神と精霊のためです。私は何でも受け入れます」

 今度こそ彼女のそばを離れた。

 神鉄騎士団ユナ隊が集まっている地区へ行くと、すでに炊き出しが始まっていた。

 待っていたカリルが「不機嫌そうですね」と真っ先に言った。誤魔化すように頬を撫でながら、私は答える。

「精霊教会の不愉快な女と会った。アミナという助祭で、信徒隊を指揮している」

 信徒隊の数は? とついてきた下級将校へ質問すると「ざっと一五〇です」という返事だった。当初の三倍か。よそでも同じことが起こっているとすると、補給線の統一はこの極端な増員と関係があるのかもしれない。

 精霊教会の兵站は独自のもので、それが今、実戦部隊の数に合わなくなっているということがあるとも思えない。精霊教会は寄付で穀物を手に入れるし、寄進で銭なども手に入る。兵站に不安はないだろう。

 では、全てを乗っ取るのだろうか。

 まずは前線の基地を一つずつ精霊教会の管理下に置いていく。そうして新しく教会領を作っていく? 魔物と人間の世界の境界線をまたぐように?

 もしそんなことを考えているとすれば、精霊教会は冒険家の集まりか、破滅したがっている自殺志願者の集まりだろう。

「物資の盗難はさすがにないですけどね」

 下級将校の言葉に、傭兵たちが忍笑いを漏らす。その程度にはまだ隊には余裕があるのだ。

 例えば、精霊教会がごっそりと裏切ってこちらを潰しに来る、それも物資を絶つなどという生温い方法ではなく、実際的に潰しに来る、ということはないと思っている。

 あったとしても、神鉄騎士団の傭兵がそう簡単に負けることもない。そうも思っている。

 油断だろうか。慢心だろうか。

 しかし敵は魔物のはずだ。

 人間ではなく。

 食事が終わって休息に入ると、一人の傭兵が近づいてきた。名前は知っているが、下級将校でもない。

「隊長、実は、お耳に入れたい事が」

 促すと、彼は一層、声を小さくした。

「無霧傭兵隊に、精霊教会の牧師が接触していたんです。あれはきっと、信者になるように誘っていたと思います」

「牧師? それで、何か特別なことがあったの?」

「知りません」

 私が顔をしかめてみせると、傭兵がちょっと慌てた。

「俺が本気で調べたわけではありませんよ。ただ、そんな場面を見ただけで。カンランさんはとても精霊教会に近づく人ではないけど、カガンさんはどうかなと、そう思っただけで」

 言いたいことはわかってきた。

 この傭兵も、精霊教会が基地を乗っ取る可能性を想定したんだろう。ただの好奇心旺盛な人間でなければ。

 名前は、そう、ロッタだ。

「ロッタ、あなたが無霧傭兵隊を調べなさい。知り合いの一人でもいるでしょう」

 私の言葉に、彼はあわあわとうろたえ、どうにか役目を回避しようとして、自分にはできないと抗弁した。したが、最後には諦めることになるのは自明だった。

「いいわね、ロッタ。あなたの任務は重要よ」

「間者の真似事なんて、荷が重いですよ」

「自分で言い出したことには責任を持ちなさい。期限は三日です。銭が必要なら直接、私に相談に来なさい。うまくやるのよ」

 ぱちぱちと瞬きして「銭ですか?」と掠れた声でロッタが言った。私は真面目に頷いて見せる。

「使い方はひとつじゃないわ。うまくやるのよ。わかったわね?」

 しばらく無言で考え込んでから、やってみます、とロッタは離れていった。私は彼が無霧傭兵隊の連中がいる方へ進んでいくのを、見送った。

 地面に寝転がり、しばらく薄暗くなっていく空を見ていた。また夜がやってくる。

 あの不愉快な女と狂信者どもを好き勝手にさせてたまるか。

 部下のためにも、他の傭兵のためにも。

 コルトやホーク、今はいないもののためにも。



(続く)

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