1-15 悪夢
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急に意識が覚醒した。
目の前には、光。ぼやけている。違う、吹雪だ。
俺はどこにいる?
寝かされている。
上には、岩。張り出していて、屋根のようになっている。
(起きたか)
低い声のようだが、声ではない。幾重にも反響した、風の唸りのようだった。
首をひねり、上体を起こそうとして、今度こそ俺は絶句した。
そこにいるのは、巨人だった。
巨人という生物は、おとぎ話で聞いていた。
大きさは家よりも巨大で、その体は岩石や鉱石でできているという話だった。
目の前にいるのは、その巨人としか思えなかった。
赤茶色の岩石の塊に見えるが、手足があり、今は足を畳み、腕を組んでこちらに顔のような部分を向けている。
顔のような、と表現するしかないのは、のっぺらぼうだからだ。
座ってかがんでいるはずの巨人ののっぺらぼうの顔の頭は、俺の身長の三倍くらいの高さにある。
逃げなくては。
反射的にそう思ったが、後ろへ這うしかない。足に力が入らない。腰が抜けたか。
岩同士が擦れ合う音がして、組まれていた腕が解け、その巨大すぎる手がこちらに伸びてくる。指の一本が俺の胴体の太さくらいあるのは、自然、恐怖を呼び起こした。
に、握り潰される!
剣は。
ない。
そうか、雪崩で、手からもぎ取られた。
短剣は、短剣は、ある。
反射的に引き抜いた。
岩の塊のような手がすぐそこ。
短剣に数字が重なって見えた。
数字は十五。もっと大きく。一〇〇、いや、二〇〇、いや、いや。
どうとでもなれ。
二〇〇〇だ!
数字がめまぐるしく変わり、一九九〇まで上る。
その時には俺の体は岩の五指に包まれかけていた。
短剣を本能的に、その人差し指に叩きつけた。
爆発が起きた。
そう、爆発だ。
何かが耳元をかすめて飛び去っていく。
(やるな)
巨人の響くような複雑な声。
人差し指はえぐれている。えぐれているが、吹き飛んではいない。
一方、俺の手元にあった短剣は刃が根元から砕け散っていて、そして、手の中で塵になって柄さえもがバラバラに消えた。
俺はついに岩の指に捕まえられて、軽々と持ち上げられた。
死んだ。
殺される。
(奇妙な技を使うものだな、少年)
巨人の頭の前に持ち上げられる。殺される。
岩の中に六つの光る宝石が見えた。のっぺらぼうではなかった。ギラギラと輝く粒自体が光を放っているのが理解できたが、しかしそれで絶望がどうなるものでもない。
ぎりっと締め上げられ、息が止まる。内臓が全部、口から出そうだ。
(名は?)
問いかけられても、答えられるか。
息ができないんだぞ。
(言え。名は)
ヤケクソだった。最後の息で「リツ」とだけ言ったが、それがために肺の中から空気はなくなり、俺は昏倒したのだった。
昏倒した、その次には夢を見ていた。見ていたが、俺は一人きりで、周囲は何も見えず、まあ、昏倒した後に内臓を撒き散らしてすり潰されるなら、苦しくなくていいか、と思っていた。
生きながらに潰されるのは、きっと痛いだろうし、苦しだろうし、正気でもいられないだろう。
もっとも、すぐに死ぬのなら正気じゃなくなってもいいはずだが。
そこまで考えたところで、体が揺れた。
揺れた?
急に意識が戻った。
俺はやっぱり寝ていて、上には張り出した岩盤があり、視線を横へ向けると吹雪が何もかもを覆い隠している。
そして巨人はいない。
なんだ、全ては夢か。
そう思った時、また地面が揺れた。もう一度、さらにもう一度、と繰り返され、しかも近づいてくる。
最悪だ、夢じゃない。
これは、足音だ。
起き上がろうとしたが、全身が痛む。雪崩だけのせいではないだろう。つまり、俺は巨人に握り潰されなかったものの、その寸前まで行って、なぜか巨人はそれをやめた。
やめてどうする?
吹雪の中から、ぬっと巨体が現れ、身をかがめて岩盤の下へ入ってきた。頭がつかえて、岩盤と擦れて岩のかけらが落ちた。巨人も怖いが、それよりも何かの拍子に張り出した岩が崩落すると俺が死ぬ。
巨人など、岩に埋まっても死にはしないだろう。
巨人の頭がこちらを見る。宝石が光っている。
(これを食え)
その言葉の後、目の前に何かが押し寄せてきた。巨人の手が押し出したのだが、最初、それが巨大すぎて何かわからなかった。
何かの木なのだが、冬のせいか葉は一枚もない。長くて太い幹ごと根っこが引っこ抜かれていて、その根にいくつもの膨らみがあるのが見えた。一つひとつが俺の頭くらいはあるだろう。
唖然としている俺に巨人が首を傾げる。
(食え。腹が減っているだろう)
食えも何も、食べられる根っこなのか知らないし、生で食べられるかも知らない。何より土まみれで、洗ってあるわけでもない。
「あ、ありがとう」
そう言って俺はとりあえず立とうとしたが、足が動かなかった。
やっと理解が及んだ。
腰が抜けているんじゃない。
動かそうとすると背筋を痺れが走り、それが一気に電流のように足先まで走っていく。痛みだけは強すぎるほど強いのに、感覚は曖昧で、力など少しも入らない。
みっともなく悲鳴をあげる俺に、巨人はじっと視線を注いでいる。
起き上がれない、でも、どうしてだ?
記憶を遡ると、巨人と邂逅する前、雪崩に巻き込まれた時、背中を強打した。
あれで体が壊れたか。
医学の知識はないが、背筋を走っている太い骨を痛めると、手足に痺れが出たり、動かなくなったりするのはわかっている。
こんなところで動けないとは。
起き上がれない俺に気付いたらしい巨人が、手を伸ばしてきた。
逃げることもできない。
ゴツゴツとした岩が俺の体に触れる。
(私の指に傷をつけた)
感情を読み取りづらい巨人の発音に、どこか柔らかいものがあった気がしたのは、気のせいだっただろうか。
(それを認めてやろう)
その声の後、俺はいきなり全身が硬直し、一瞬の後には肉という肉、骨という骨、血管という血管、神経という神経、何もかもが爆発したような痛みに、完全に意識を失っていた。
もう何度目かの気絶かは、わからなかった。
(続く)




