4-20 内紛
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戦場は非情なまま、変化しなかった。
毎日、魔物の死骸が焼かれ、人間の遺体が焼かれた。
吐き気もしないほど嗅ぎ慣れた匂い。
「非常にまずいっすね」
土塁を上がって安全地帯へ戻りながら、ファドゥーが短剣の刃を見ているふりをしながら、私に囁いた。私も槍の穂先を見るように視線を動かしていた。
ここのところ、信徒隊が周囲の傭兵を監視するそぶりを見せている。
仮に彼らが襲ってくるようなことがあれば、返り討ちにした上でお偉いさんの首を物理的に飛ばしてやるが、まさか素人が歴戦の傭兵に挑んでくるわけもない。
ただ、どこでどういう意見や評価が交換されているかわからず、傭兵の間にも不和が広がり始めていた。
つい半年前まで全員が同じ方向を見ていたはずが、今では横を見たり、後ろを見たり、せわしない。
土塁の頂点から降りていき、炊き出しの匂いに少しほっとする。
しかしその食料の半分は、精霊教会のクソッタレが集めたものだ。私がそれを食べないで済むのが救いだった。神鉄騎士団の補給線は機能して、自前の食料を食べている。
「無霧傭兵隊がカンランを疑い始めているそうっす。もしかしたら、解任されるかもしれやせん」
「ありそうなことね」
リーカとカリルは、実にいい仕事をしている。
まず精霊教会は、ルスター王国の各地で農民たちとつながり、彼らから寄進という形で様々なものを徴発させている。それは徴発というより、献上というべきかもしれない。
ルスター王国の方針の一つに、精霊教会への寄進には税を課さない、というものがある。
結果、農民の一部が盛大に精霊教会に寄進することが増えた。精霊教会は寄進された物資を集め、施しをするのだ。
不愉快なことに、精霊教会は信者の中から神官戦士になるものを募るだけではなく、寄進ができないものから信徒隊の一員になる男なり女なりを出させている。この人を差し出すことでも、施しを与える。
表立って言うことはないが、ものを納めるように、人を納めれば神と精霊が祝福してくれる、という理屈が見え隠れしていた。
虫酸の走る理屈である。
こうしてルスター王国の中から、精霊教会は実に効率的に物資と兵力を手に入れ、南方へ送る経路さえも構築した。
今、ユナ隊が配置されている基地への補給も、神鉄騎士団は大手だから成立するが、他の傭兵隊は精霊教会から物資を買うという形になっている。戦場で合法的に、精霊教会は銭を手に入れているのだ。
全てが不愉快だった。
だが、そもそものところを考えれば、傭兵などという商売を考え出した奴も、それはそれは、周りから異質に見え、周りを不愉快にもしただろう。
ユナ隊の者が集まる場所へ戻り、私が戦闘へ出ている間にスラータからこの基地へやってきた、新鮮な気力に溢れた隊員に引き継ぎの話をする。
「これを手渡すように、と」
下級将校で、現場の指揮者に昇格させるか考えている若い傭兵が言った。
礼を言って封書を受け取り、中身を検めた。
神鉄騎士団の情報収集を行う部署で、精霊教会とルスター王国のつながりを確認しているという任務の経過の報告と、ユナ隊への隊員の増員に関する報告に、ルスター王国の一部で穀物の値段が少しずつ上がっている、という見逃せない報告が添えられていた。
クソッタレの教会は本気でこの戦争を、ありとあらゆることに利用できる材料と勘違いしているらしい。
「増員が来る」
私は封書をしまいながら、食事を始めているファドゥーに言った。
「うちは今、二十八人っすからね。さすがに三十は欲しいところっす」
「五人来るみたい。もちろん、ちゃんと調練を受けている」
「どこぞの自殺部隊みたいな新人が来たら、俺は神鉄騎士団から足を洗いやす」
近くにいた傭兵たちが笑っているが、さすがに本気の明るい笑いとはいかない。
私たちも、あまりにも人の死を見すぎた。
人の死は、人の何かを狂わせる。その死が悲惨で、救いがないものであればあるほど、狂ってしまう。
私がコルト隊の最後を見た時に、激しく歪んだように。
「補給についてはなんと?」
そばにいた傭兵の質問に、「何もないから、いつも通りでしょう」と私は答えたが、この件が即座に問題になるとは私には想像もできなかった。
翌日、翌々日はいつも通りの戦闘に次ぐ戦闘。魔物たちの相手をしているうちに日が昇り、日が暮れ、真っ暗の夜が明けて薄暗い朝が来る。
その話を真っ先に伝えてきたのは、平の傭兵で、しかし神鉄騎士団で長く傭兵をやっている男だった。
「他の傭兵隊の物資の一部が、行方不明です」
何気ない口調だったので、危うく無意識に放っておけと言いそうになり、理解が遅れてやってきた時には、不吉なものが頭の中に漂っていた。
「行方不明というのは、帳簿と合わない、という意味じゃないよね?」
「こんな戦場で帳簿をつけているのはうちくらいです。盗まれた、という噂が広まってます」
「自作自演でも最悪だけど、そうじゃないなら輪をかけて最悪だわ。うちの物資の管理を厳密にしておいて」
物資の管理は戦闘をしていない隊の一部が、交代でやっている。帳簿をつけるのも、見張るのも厳密だ。
その次の日、私の耳にも物資がどこかへ消えているという話があった。例の話し合いの場にもいた、傭兵隊の指揮官が教えてくれた。
「うちの傭兵に、物資をかすめ取る奴なんかいない。常識だ」
「それは他の傭兵も同じです。ルスター王国軍も」
私がそう言い返すと、指揮官は眉をひそめて声量を落とした。
「ユナさんは、精霊教会が掠め取っていると?」
「掠めとる理由はないですよ。捨てているんじゃないですか?」
捨てている、と呟いて、その指揮官は愕然としていた。
私はこれからの計画について話をして、指揮官にはできるだけ少数にだけその話を伝えておくように、頼み込んだ。
それから数日の間に、物資の盗難は全体に響き渡る問題となり、傭兵隊の幾つかが、精霊教会に物資を譲ってもらえないかと交渉を始めた。精霊教会の補給は頻繁なのだ。
最初こそ、指揮しているソニラは困っているような気配を漂わせたが、物資を譲り、傭兵たちは一息ついた。
この時には神鉄騎士団の物資も一部が消えるようになり、ピリピリとしていた。
「うちも頼まないと、飢えますよ」
傭兵が二人、そう私に進言してきたが、放っておいた。
物資の行方不明を聞いてから一週間、それだけの時間であっという間に基地の物資はほとんど全て、精霊教会が用意する形になってしまった。
「本当によろしいのですか、援助せずに」
神鉄騎士団で固まって、ほとんど水のような粥をすすっているところへ、ソニラがやってきて声をかけてきたが、彼はいつもの薄気味の悪い笑みを浮かべていて心配しているようではない。
「お構いなく」
私はボソッと答えておいた。今は会話で余計な体力を消費したくない。
ソニラは他の傭兵にも声をかけていたが、そこはさすがにユナ隊の結束で、半分以上は返事をせずに無視して、答えるものも一言しか発しなかった。帰れ、それだけだ。
その日の夜、私が戦闘から戻ると、基地の中央の広場に人が集まり、激しい声がやりとりされていた。
近づいていくと、傭兵たちがいっぺんに道を開け、私はそこを悠然と歩いた。
「どういうことか、説明して」
私は広場の真ん中で両手足を縛られて転がっている三人の男を見て、次にその脇に立つファドゥーを見た。
説明を聞かなくてもわかっているが、まぁ、何が起こっているか、はっきりとさせるのも必要だろう。
「この者たちが、我々の物資を盗もうとしやしたんで、捕縛しやした」
取り囲んでいる傭兵たちが口を閉じ、まるで音が消えたように静かになった。
篝火の中で、私は三人の男の顔を見て、服装を見た。
確認するまでもない。
「信徒隊の一員だな?」
答えようとしない。
私の手の中で槍が回転し、一人の耳元でピタリと止まる。悲鳴が上がった。みっともない悲鳴だ。
「何を騒いでいるのです」
声がして、また人垣が割れると、悠然と白い外套をなびかせてソニラが歩いてきた。
私は槍を、無様にも動けない男から遠ざけてやり、肩に担いだ。
(続く)




