4-16 壊れた心
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ロォイはカンランと話をして、隊をここへ派遣したいと申し出た。
「補給は?」
人数より先に補給の状態を確認するあたりが、いかにも前線部隊の指揮官である。
「自分たちで賄える」
はっきりとロォイが答えたが顔の作りが芸術品じみているので、どこか偉大な存在からの宣告のようだった。もちろんそれは、神でも、精霊でもないけれど。
カンランは特に圧倒された様子もなく、次に後方との行き来のやり方について確認し、それはスラータの傭兵連合の手を借りる、とロォイは返事をした。
「いったい、どこがお前さんたちを雇っているんだ?」
「ルスター王国軍からの依頼だが、本隊ではなく、外部組織のようなものだ」
外部組織?
さすがにそれを聞き流す私でもカンランでもないが、視線を一瞬交わしただけで、同じことを考えているのがわかった。
よかろう、とカンランは頷き、ロォイは守備隊に加勢できる人数と補給に関する計画書を用意してくる、と離れていった。用意してくるというのは、一度、後方へ下がるということだろう。
カンランと二人だけになり、なんとなくお互い、こそこそと言葉を交わすことになった。
「外部組織というが、おそらく紺碧騎士団の援護のためじゃないかと思うんだが」
そう言うカンランに「私もそう思う」と答える声は、周りには聞こえなかっただろう。
「さすがにここだけで二〇人近く脱落して、ルスター王国軍も尻に火がついたんじゃないかしらね。まぁ、うちが信用されていないという見方もできる」
「全体で三〇〇騎という話だったから、他でも同等の損害が出ていると一二〇人は脱落しているとなる。しかし、まさかそんな馬鹿な話もないと思うが、仮にそれが現実になっていれば、尻に火がつくなんてもんじゃないぞ」
「仕方ないですよ。誰だって最初は素人です。兵士は元より指揮官も、軍人、政治家も、領主も」
ふざけた話だ、という一言で、カンランが総括してくれた。
まさしく、ふざけた話だった。
私は部下と一緒に紺碧騎士団に戦闘が何たるかを教育していったが、分かってきたことは、彼らはその場では戦いに集中し、生き延びることを第一に考え、仲間を助け、まともなように見えるということ。
それが戦場を離れて休息を取ってまたここへ戻ってくると、最初以上に怯え、震え、どうにもならなくなる。
それでもまた戦場に出せば、戦うのだけど、明らかに前よりも精神的に疲弊している。
一度ならず、魔物に突撃する兵士がおり、それで一人が脱落した。それとは別に一人は私が救出に行き、危うく私もろとも魔物の波に飲まれかけたのをイレイズのファクトで切り抜け、兵士を土塁の上に引っ張り上げることになった。
私が救った兵士は完全に放心状態で、頭の中は空っぽ、体に力が入らず、言葉もしゃべれない有様だった。
「どうするべきだと思う?」
私が戦場に一ヶ月も滞在している間に部下は入れ替わっていて、この時にはファドゥーが私の補助をしていた。
紺碧騎士団はついに三十人を割り、しかしエミリタ中隊長は平然と戦場で生活し、あまりにも状況と態度には格差があった。
兵士は死に、指揮官は何もせず、補給は完璧で、しかし増員はない。
この前進基地からさらに南に橋頭堡を作る計画もあり、カンランはまるで何にも気づいていないふりをして、亜人たちの部隊をその任務に当てていた。亜人の隊は二十名ほどが戦場で、十名はスラータで休む、という計画になっている。
「どうするべきって、何のことっすか」
薄めた酒の入った瓶を傾けながら、ファドゥーが確認してくる。
「紺碧騎士団を一度、全部、後方へ戻るべきじゃない?」
「そいつはエミリタさんに聞くべきっすよ」
「説得できる自信がない」
「あのおっさんを説得できる自信がある奴がいたら、顔を拝みてぇっす」
私は部下が手渡してきた瓶を受け取り、中身に口をつけてから、話題を亜人に変えた。
「さすがに人間とは違って、根性はありやすし、効率的にやってやす。カンランさんはどういうわけか連中を激戦地においてやすが、もっと粘り強いことをさせた方が良いんじゃねえっすか」
「かもしれないね。実力は分かってきたし」
「すげえ剣術を使いやすよ。一人一人が達人級です。伊達に長生きしているわけじゃねぇな、あれは」
ファドゥーが嬉しそうに笑う。彼は根っからの剣術好きである。スラータにいる時も、剣術を修めたという傭兵を捕まえては教えを乞うているのを何度か見たことがある。
カンランはわざと亜人に対して厳しいという姿勢を見せているし、傭兵、兵士の中にも亜人を毛嫌いする者は大勢いる。人間ではないという見方が多いのだ。確かに人間がどう頑張っても百年を生きるのが困難なのに対して、亜人は普通に数百年を生きる。
姿が似ているとしても、やっぱり別の生き物で、両者は同じ言語を使うにも関わらず、それだけでは融和が不可能な隔たりがあるということか。
思考に沈み込む寸前に、鉦が鳴り響いた。さっき後退したばかりだ。魔物の押し寄せる数が増えたことを知らせる鉦で、総員で防御に着くのが絶対だ。土塁だけではなく、柵にもいつも以上の人員が張り付く。
「で、戻すんですか?」
短剣を腰から抜いて歩き出しながら、ファドゥーが全く平然とした口調で訊ねてくる。
「戻したら、誰も戻ってこないかも」
私が冗談で返すと、ありそうっすね、とファドゥーは笑っていた。
この直後の戦闘で、紺碧騎士団はまた二人、脱落者を出した。一人は戦闘の途中で急に動けなくなり、助ける間もなく魔物に喰われた。
もう一人はより深刻で、魔物をどうにか跳ね返したという時に錯乱状態に陥り、味方の真ん中で剣を振り回し、どういう思考のなせる技か、自らの首筋を切り裂いた。
戦場というところは、あまりにもあっけなく人を壊す。
ただそれは、どこにいても、安全な場所にいても同じなのではないか。
いっぺんに根こそぎにされるか、少しずつ、そうと分からないうちにじわじわと破壊されるか、それだけの差ではないのか。
戦闘の後、死者が焼かれていくのを見ながら、私もどこかで自分が壊れているのを感じた。
コルト隊が全滅した時、私の中で何かが変わった。
精霊教会に向ける憎悪は、どう考えても人が抱え込める憎悪ではない。
私の心はどす黒く染まり、その闇で不愉快な連中を飲み込んでやりたい、めちゃくちゃにしたいと思っているのだ。
普段は冷静に、それに対処できる。
では、冷静さを失えば? 何かが心のタガを外す、張り詰めている糸を切ってしまえば、どうなるのだろう?
いつの間にか冬が来て、黒く染まっているように見える荒地にも、雪が舞い降りた。
紺碧騎士団は当初の半数に減った。ユナ隊の損耗は一人だけ。亜人は勇敢に戦い続けている。
クミンは前線と後方を行き来するが、エミリタは平然と戦場にい続けた。この男性の背後に、私は狂気の影を見るようになった。
終わることのない戦争。
消えることのない敵。
絶望しかない戦場には、本当に絶望しかないのだった。
(続く)




