4-11 復讐心
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食事は夕日が差す前の時間帯で、しかしラーンはほとんど食べなかった。
「調練の予定を変えるわけにもいかなくてね」
と、彼は朗らかに笑っていた。
将校の大半は席を外していて、ラーンの副官と将校が二人、同席していた。この二人は事務担当者で、この食事の場においては私とカリルと同じ、食事という行為を正しく体現するだけの立場だった。
「夜襲と聞きましたが、実際には夜間行軍ですか?」
私が確認すると、水の入った器を手にラーンが頷く。
「夜襲はさすがに魔物が強い。ただ夜間の移動が迅速になれば、いくつかの事態に即応できる」
いくつかの事態。
否応なく、あの場面を思い出させる言葉だった。
きっとラーンも意識しているんだろう。
コルト隊が孤立した時、少しでも早く救援があれば生き延びることができたものは大勢いるはずだ。本当に早ければ、誰も死ななかったかもしれない。
それが私の思い描く、空想上の都合のいい形だとしてもどうしても考えてしまう。
あの時には全てが悪い方へ向かっていた。
戦力はなく、大勢が負傷し、敵中に孤立し、攻撃は止むことはなく、救援はない。
そのどれか一つが解消されたところで、打撃は受けたし、おおよそ破滅しただろう。
コルト隊は、敗れるべくして敗れ、壊滅するべくして壊滅した。
ただ最初にその破滅を招き入れたのは、人間だった。
精霊教会。
あのクソッタレ集団が、意趣返しにコルト隊を罠にはめた。
「今でも許していないみたいだね」
ラーンの静かな声が、私が暗い感情に支配された思考を続けるのを柔らかく停止させた。
「まあ、精霊教会と戦うことになったら、普段の五倍は働くでしょうね」
「五倍? きみはいつも戦場で、五十体は魔物を倒すと聞いているよ。人間を二五〇人も倒せるとなると、少し数が足りないが一騎当千だな」
「一人で精霊教会を壊滅させたい気持ちです」
強気だね、とラーンは微笑んだ。
その顔に真剣な色が差すのを、私は見逃さなかった。
「精霊教会が、またルスター王国で活動しようとする動きがある。どこも相手にしないが、巧妙にルスター王国にいる信者の間で人を集め、自警団を結成している。それもいくつも」
「健気ですね」
私の言葉は、その単語とは裏腹に冷え冷えとしていた。
自警団? 素人の集まりなどが、魔物を相手に何ができるのか。ましてや、私に対して?
「自警団が一つになり、それで一応の戦士団にするんだろう。ルスター王国の南部では精霊教会は完全に爪弾きにされ、今でも補給線を形成することさえ困難なはずなんだけど、しかしそこが怖いところだ。信徒が物資を運ぶ可能性がある」
「なら信徒を近寄らせなければいいだけです」
「秘密裏にやっている、ということさ」
私はちょうど手に取っていた器を握り潰していた。木製だったがバラバラに砕けた。手についている水を払いながら、私はラーンを見る。
「あのクソッタレ教会の信徒どもが、手渡しでもして物資を運んでいるのですか。摘発すればいい。剣を手に追い散らしてもいい」
「待ちなよ、ユナ。彼らは普通の民だ。悪意はない。ただ神と精霊にすがっているだけだ」
「私たちの仲間が、彼らの薄汚い手段で殺されたのですよ、ラーンさん」
「僕たちも精霊教会を罠にはめて、魔物の死骸と混ぜ合わせてやった。そうだろ?」
思わずため息が漏れた。
私の怒りはきっと、死ぬまで消えないだろう。それこそ、精霊教会の痕跡がこの世界から、完全に抹消でもされない限り。
とにかく、とラーンが声を少し潜めた。
「精霊教会には注意して、警戒しておこう。何が起こるかはまだ見えない。ついでに言うと、僕が今、本隊に課している調練は、そういう事態に即応するためではないよ。まだそこまで危険とは見ていない。将校と各隊長が頭に入れておけばいいという段階なんだ。だからきみにも話した」
食事が再開され、将校たちが私とカリルに現時点でのルスター王国における神鉄騎士団の戦力配置の最新情報を教えてくれた。ユナ隊がコルト隊の二の舞になることはなさそうだ。ユナ隊も、他の隊へ救援に向かえる位置にある。
馬の配置も確認された。神鉄騎士団には少数の騎馬隊があるが、多くの隊は場合によって騎馬隊になったり、歩兵隊になったりする。魔物と相対する戦場では特に馬が怯えて役に立たないため、歩兵として働くことが多い。
傭兵が一人、声をかけて幕舎に入ってきて、調練の支度が整ったことを告げた。
ラーンが席を立ったので、私も席を立って、彼と幕舎を出た。将校二人と副官、カリルにはさっとラーンが身振りでついてこないように伝えた。
二人で夕日の中に出て、どちらからともなく、息を吐いた。
「不愉快なのはわかる。しかし今は、少しでも戦力が欲しい。使える戦力が、という意味だけどね」
「私は」
声がどうしても強張った。
「連中を許す気もないですし、味方とも思っていません」
「しかし、戦列を並べるかもしれない」
「並べたくありません」
私の強情を崩せないとわかったのだろう、ラーンは「いつかは、と思っていればいいよ」と私の肩を叩き、幕舎の中に声をかけた。
私とカリルが並んで見ている前で、日が暮れていく平野を消えゆく光を目指すように騎馬隊が駆けていき、すぐに歩兵が続いた。
数は決して大軍ではないが、気配には調練とは思えない気迫があった。
しばらく私はそれを見送り、彼らが見えなくなってからは山並みの向こうに日が沈んでいくのを最後まで眺めた。
ふっつりと光が消えて、周囲は闇に包まれていった。
幕舎に戻り、がめつく食事の最後を急いで腹に詰め込み、私とカリルは馬で夜の街道を突っ走った。明かりなどなく、それぞれに小さな松明を手にしていた。
夜明けが近づいても、私の心は晴れることはない。
怒りと憎悪は、私の心に染み付いている。
それが正しいとか、間違っているとか、そういうことではなく、私の中にある復讐心は、ある種の交換なのだ。
奪われたから、奪いかえす。
それだけの、簡単な理屈なのだ。
誰にも、理解されなくても。
(続く)




