3-41 震え
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座り込んでいる自分を意識したのは、襟首を掴まれて、引っ張り上げられた後だった。
私を片手で釣り上げているのは、ジュンだった。
「無様なものじゃない。でも質問には答えてもらうわよ」
いつになく厳しく、いつになく鋭いジュンの言葉に、私はどう返事をすればいいか、わからなかった。
言葉を探そうとしても、その思考が空転して言葉にたどり着かない。
「コルトはどうなった? ホークは?」
詰問に、私は口を開け、しかし声は出ず、息が漏れ、それだけだった。
瞬間、頬に灼熱。
「答えなさい!」
頬を張られたと思った時にさらに二度、頬を打たれていた。
その痛みが私の心に力を与えたようだった。頬から全身に少しずつ痺れが走り、自分の体が自分のものに戻った。
「死にました」
「知っているわよ」
ジュンの手が振り上げられる。
私はどうにか言葉にした。
「ホークさんは負傷していて、動けませんでした。陣地からは荷車に乗せられて離脱しました。荷車は途中で魔物に攻撃されて、横転して、それで……」
それで、とジュンが発した声は、冷ややかで、鋭利だった。
私は心が血を流し始めているのを感じながら、言葉にした。
事実は変わらない。事実は隠せない。
「コルトさんは、ホークさんを助けるために魔物と戦い、そのまま、二人は置き去りになりました」
振り上げた手をそのままに、ジュンは私を見据え、そして細く長く、息を吐いた。
それだけで彼女は冷静さを取り戻したようだ。
襟首を解放されたが、足に力が入らず、膝をついてしまった。
「立ちなさい。あなたたちの団長が来ている。コルト隊について、あなたが報告するのよ」
「私が……?」
他にも人は大勢いるはずだ。
周囲を見た。
知っている顔は、二つしかない。その他の、周囲に座り込み、うずくまり、横になっている傭兵は知らない顔ばかりだった。
「コルト隊は壊滅した。あなたが一番まともで一番戦場を見ているから、あなたが会議に出席するのよ」
のろのろとしか回らない頭で、顔を上げ、ジュンを見た。
彼女の目は血走っているけれど、今はそこが少しだけ潤んでいた。
行くわよ、と彼女が身を翻す。
槍を。
すぐそばに私の槍があった。それを杖として立ち上がると、不思議と体に力が戻り、立つことも、歩くこともできる自分がいる。
ジュンの後を追いながら、周囲の傭兵たち、兵士たちを見た。
負傷していないものの方が少ないほど、誰も彼もが傷を負っている。ルッツェの拠点は今までに見たことがないほど暗い空気が立ち込め、生臭さと、胸が悪くなりそうな匂いが空気に濃厚に漂っていた。
血の匂いと、死体を焼く匂い。
ジュンは幕舎の一つに入り、私はそれに続いた。
遅れてすみません、とジュンは言ったけど、私は目礼するしかなかった。とてもまともな声が出そうではない。
幕舎の中には、薄汚れた鎧や具足の男たちがいて、その中の一人が神鉄騎士団の団長の紋章を胸につけている。ラーン・アシュリーだった。他は、紫紺騎士団の幹部、神威戦線の紋章が大きく染め抜かれた外套を着ている男がいて、この三人が上座と言える。
他は傭兵隊などの指揮官らしいが、ここにいるのは私を含めて十名だけだ。
「犠牲は途方も無いことになっている」
紫紺騎士団の紋章が鎧にある男が、低い声で言った。
「しかし、魔物の数は減らせたし、防衛線も突破されないでしょう」
神威戦線の男がそう応じるが、声には決して軽いものは無い。深刻で、眉間にも深い皺があった。
「精霊教会が諸悪の根源だけど、今は争う時では無いよね」
ラーンはその言葉の後、ちらっと私を見て続けた。
「精霊教会の神官戦士団は全滅したんだよ、ユナ。その意味するところはわかるね?」
全滅……?
説明したのは、紫紺騎士団の指揮官だった。
「彼らは魔物の群れを最後まで引きつけ、そこでバットン方面軍とイサッラ方面軍が魔物を包囲し、一体残らず打ち果たした。そのお陰で、我々はこうして一息つける」
嗜虐的な笑いが広がったが、あまり楽しい雰囲気でもなかった。
つまり、精霊教会の戦士たちは、味方を見捨てて罠にはめた報復を受けて、殲滅されたのか。
魔物と戦っているはずなのに、私たちはこうして人同士で争い、殺し合いさえしているのか。
私はそれからただ立って話を聞き、撤退戦の詳細について質問された時、うまく回らない舌で、苦労して目にしたことを言葉に置き換えた。
コルトとホークの戦死も私の口から彼らに伝えた。彼らも把握はしていたようで、最終確認のようだった。
会議はルッツェ方面軍が半分以下に減ったために、ルッツェを拠点として防衛戦を続ける兵士や傭兵のやりくりの話になり、紫紺騎士団はやや難色を示したが、神鉄騎士団と神威戦線から傭兵を回すことになった。
会議が終わり、ジュンは少しラーンと話をしていた。二人は知り合いなのだ。そう、コルトとホークとジュンも知り合い、友人のようだった。
立ち尽くしていた私の横を抜ける時、ジュンは軽く肩を叩いて、それだけで言葉はなく幕舎を出て行った。
ラーンが私の前に来る。
「こういう形で対面するとは思っていなかったよ、ユナ・レオンソード」
私が何も言わないでいると、ラーンは特に気にした様子もなく、続けた。
「コルト隊の生き残りは、全部で六名だ。隊は解散になる。そしてコルト隊に変わる隊を編成する」
私もそのうちの一人になる、ということか。
あれだけの地獄を見ても、私はまだ戦えるのか。
こうして立つことはできる。歩くこともできた。しかし、槍を構えることができるのか。
思考が緩慢に巡る私に構わず、ラーンが言った。
「新しい隊はお前が指揮するんだよ、ユナ。ユナ隊と呼ぶことになる」
「……私が、ですか」
声は頼りない弱さで、擦れていて聞き取りづらく、しかしラーンははっきりと頷いた。
私が、隊を率いる?
「無理とか、できないとか、そういうことは考えなくていい。今回の戦闘で、きみの手腕は見えた。そしてきみを認める傭兵も大勢いるだろう」
「無理です」
「無理ということは考えなくていいと言った。すぐに決定できることではないから、しばらく休んでいい。何か、食べ物を食べられるなら食べて、眠れるなら眠りなさい。いいね?」
腕を掴んで、ラーンが私を幕舎の外に連れ出した。
光が差している。
眩しい太陽の光。
その下には傷ついた男や女がいて、そしてこちらに視線を向けている。
私は目を伏せ、ラーンに連れられるがままに歩いた。
いつの間にか、槍を杖つかずに歩けた。
体の熱が急に意識され、ぶるりと体が震えた。
(続く)




