3-37 終わらない夜の中で
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具合はどうだ、とコルトが言った。
「問題ありません」
私は答えながら、自分の声の強張りを意識した。
陣地の中で、篝火はこれでもかと燃やされている。
そこらじゅうに傭兵たちが座り込み、負傷したものは治療を受け、そうでないものは休んでいる。
周囲には魔物の鳴き声と気配が濃厚で、今も戦っているものがいる。
陣地を一度出た私たちは、後続の精霊教会の神官戦士団を受け入れようとした。第二陣にたどり着くより早いタイミングで、さしもの精霊教会の連中もさすがに尻尾を巻いたか、と思った次に、事態は予想外の展開を見せた。
神官戦士団が私たちの最後尾に襲いかかり、馬を狙い始めた。
最初、傭兵たちは何が起こったか把握できず、馬から落ちたものは状況を知る前に神官戦士団の馬に轢殺されたか、魔物に食い殺された。
傷を受けた影響で暴れる馬が続出し、第三陣はあっという間に崩壊した。
精霊教会の戦士たちへ反撃する間もなかった。彼らはほとんど第三陣を蹴散らすようにして、北東方面へ消えた。迂回して、激戦で時間がかかったふりをして本隊に戻るのかもしれなかった。
それを追撃する余裕がなかったのは、第三陣の傭兵たちは仲間を助ける必要があり、同時に、馬のないものをどこにかして守らないといけなかったからだ。
決断はすぐだった。
一度は捨てた橋頭堡、陣地へ戻る。
あの一度は捨てた陣地が最も防御力がある。物資も脱出の時点で持ち出せなかったもの、余ったものが置き去りにされているのだ。
しかし敵中に戻るのに変わりはない。
コルトもホークも、他のコルト隊のものも、神鉄騎士団も、神威戦線も、揃って重大な犠牲者を出しながら陣地へ駆け戻った。
兵の数からして、二重の土塁と柵の全てを守ることはできない。
外側は破棄して、内側の一枚で守備することになった。
北へ伝令を走らせることは決定されたが、夜明けを待つしかなかった。周囲は闇に閉ざされ、雲が厚く月明かりなどもない。松明を持って走れば魔物達を引き寄せるだけで、さらに言えば、夜の闇の中では人間の連携は魔物の数に対抗できない。
夜明けまでは生き延びる必要があった。
陣に辿り着くまでに、コルト隊は七名の犠牲者を出し、負傷者は六名を出した。
六名には含まれないが、コルトも手傷を負い、私も負傷していた。ホークは暴れた馬が彼女の馬にぶつかった衝撃で投げ出され、片足と肩を骨折していた。今は応急処置しかできず、負傷者がまとめられているところにいる。
夜のうちに負傷者の手当てをし、負傷者を運ぶための馬に曳かせる荷車が作られ、さらに魔物が陣地を飲み込まないための戦闘が継続し、誰も休む間などなかった。
今ほど夜の闇が重苦しいこともなかった。
行くぞ、とコルトが立ち上がり、無事な方の右手で斧を手に取り、軽く振った。上腕を切り裂かれている左腕の様子も確かめ、歩き出す彼に私もついていく。
「まさか連中があんなことをするとはな」
並ぶ篝火の間を抜けながら、コルトが皮肉げに言う。
「精霊教会のもの、というだけで甘く見ていたかな。どう思う、ユナ」
「誰もが人ということです。ただ、私たちが人であるが故に、もしかしたら魔物に滅ぼされる前に、人間に滅ぼされるかもしれない、と思いました」
「かもしれんな。今はそれを否定するのは難しい」
柵のところには疲れた表情の傭兵たちがいた。気力、戦意は失っていないようだが、それは魔物に向けられているというよりは、精霊教会に向けられた怒りから来るようだった。
コルトも特にそれには何も言わない。今はどんなところから出発しているにせよ、精神力が問われていた。恐怖や絶望で脱落するものが生まれると、純粋に私たちの戦力が減り、防御は破綻し、破滅に一直線に転がり込む。
柵の隙間を抜け、土塁に上がった。
コルトが声をかけたのは、神威騎士団の指揮官の一人で、やはり他の傭兵と同様に疲れているようだ。
土塁の上にも篝火があり、斜面を駆け上がってくる魔物はよく見えた。傭兵たちがそれを無造作に切ったり突いたりして、防御を固めていた。
「本隊は戻ってくるかな」
防御指揮官の言葉に、五分五分だ、とコルトが応じる。
「この危険地帯に戻ってくるのは、損しかない。ただ、損をしてでも俺たちを助けるのが、傭兵の流儀だ」
「犠牲者を増やすことになるのは、心苦しいよ」
「なら俺たちがここで全滅するかね」
「それも良かろうよ、コルト。そもそも俺たちは魔物を倒すためにいるんだ。倒せる限りの魔物を倒し、連中を道連れにして死ぬ。悪くないな」
冗談のようだが、コルトはほとんど反応しなかった。
二人ともが北の方角を見ている。
何も見えない。闇がわだかまり、遠近感が成立しないほど一面ののっぺりとした暗黒だった。
「明日が勝負かな」
神威騎士団の男がそう言ってから、こちらを見た。
「槍を持っている女傭兵、顔に傷があるのを見ると、お前がユナという娘か」
「はい、そうです」
私のことを知っているのに驚いたけれど、同じ傭兵同士なのだから情報交換くらいはされるだろう。
「イレイズとかいう強力なファクトを使うようだな。期待しているよ」
「はい、死力を尽くします」
「死ぬ必要はないぞ」
そう言ったところで、下で悲鳴が上がり、傭兵の一人が魔物に倒されるところだった。
防御に穴ができるのを防ぐため、私たち三人が駆けつけ、魔物を押し返す。転んで動けなくなっていた傭兵は、そのまま魔物の群れの方へ引きずられていき、長く長く、悲鳴が周囲に響き渡った。
こんな調子で、明日まで生き延びることができるのか。
夜が更けていく。短い休憩、非常事態の鉦、跳ね起き、状況を把握し、戦い、休み、また鉦。
終わることのない夜というのは、この夜のことかと思った。どれだけの時間が過ぎても、光が差さないような錯覚。
それでも少しずつ空の色が漆黒から濃紺に変わっていき、その時、声が響いた。
「味方が来たぞ!」
誰が叫んだのかは知らない。そしてそれを聞いたものは負傷で動けないか、疲労で動けないか、戦闘で手が離せず、つまり、喜ぶこともできず、笑うこともできず、それぞれの形でただ聞いただけだった。
私も魔物を相手に戦っていた。
槍の切れ味はもう望むべくもなく、魔物を殴り倒し、粉砕し、イレイズが痕跡さえも消すように魔物を吹き飛ばした。
この戦闘が終わるのか。
味方が来たとして、生きて帰れるのか。
希望の光は射したはずなのに、私にはそれを希望とは受け取れなかった。
心が荒むというのは、こういうことか。
心が壊れるとは、こういうことだろうか。
力いっぱいに魔物を突き倒し、イレイズが爆散させる。
次の魔物が来る。
そして、次の次の魔物が。
次の次の次の次の次の。
次の魔物の次の魔物。
次が終わらない。
(続く)




