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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第三部 彼と彼女の再会と別れ
120/213

3-33 捨て駒


      ◆



 コルトはとりあえず、今、たった今、幕舎で起こった事態については「不幸な行き違い」と表現して、議論の脇へ置いた。

 精霊教会の面々が反論しなかったのは、今も血だまりを拡大させるだけで動こうとしない、彼らの仲間の存在があったからだろう。

 偵察任務における精霊教会の行動を、「司令部に報告した通りだと齟齬が出るはずだが」とコルトが切り出した時も彼らは全く反応せず、それからもただ聞くに徹していた。

 正確に表現するなら、彼らは完全に怯えていて、何かを口にすれば、首筋を掻き切られるのではないか、という想像をどうしても否定できない状態だった。

 コルトとホーク、私が幕舎を出るときには、精霊教会は本当のところを司令部に報告し、しかるべきものが責任を取る、ということが彼らとの約束となった。

 はっきりとは言わないが、コルトは終始、言外に「さもなければ物理的な暴力を行使する」という濃厚な気配を漂わせていた。

 その日の夕方までにコルトとホークは素早く根回しをして、精霊教会の立場を決定的なものにした。

 泥を塗られる、どころではなく、足場自体を崩壊させるようなやり口で、私は呆れこそしないが、そこまでやるか、と思わずにはいられなかった。

 まさにそれが完了した夕方には各傭兵団、傭兵隊、紫紺騎士団、その他のルスター王国軍の指揮官が顔を合わせる、次の大規模作戦の打ち合わせがあった。

 後で私はホークから聞いたけれど、精霊教会からも神官戦士の代表として助祭という立場の指揮官が出たようだが、悲惨な様相を呈した。

 精霊教会は最初、作戦からつま弾きにされ、いない存在にされた。

 それはそれで屈辱だっただろうが、その助祭が「我らの任務はないということですか」と最後の矜持で口にした瞬間、彼は自ら火薬に直接、火を押し当てる事態になった。

 導火線に火をつけるなどというまどろっこしい段階を踏まず、火薬は爆発した。ただし、無音で。

「精霊教会のやる気は相当なものだ」

 紫紺騎士団から出ていた三つの隊の隊長の一人が嬉しそうにそう口にしたという。

 この瞬間に、助祭は自分がどういう状態か、わかっただろう。

 精霊教会の神官戦士団から八十名ほどを出していただこう。

 前衛が良かろう。

 中央を手厚くしたいな。中央を受け持ってもらおう。

 これは最高の機会だぞ、助祭殿。敵に向かって先頭を行き、最初に敵に当たるのだ。

 なに、きみたちの間で武勲を取り合うまでもなく、魔物は数え切れないほどいる。武勲は立て放題だ。

 もしきみたちが危険な事態となれば、我々が両側と後方から、徹底した支援を行なおう。

 そんな言葉が交わされ、助祭は今にも腰を抜かさんばかりだったという。

 要略すれば、その場にいる全員が、精霊教会の戦力をほとんど使い捨てにする、という方向で一致しているということだ。

 その件についてホークは私に「因果応報などという感じでもないな」と平然と嘯いた。

 作戦は二日後に発動され、ルッツェからは総勢で七〇〇名が参加する。バットン、イサッラからも一〇〇〇名以上が出撃する。

 偵察で把握された魔物の群れを三方向から逆に圧し潰す、攻撃的な作戦だった。

 この戦場において、決死とか、玉砕sなどという言葉はほとんど聞かれない。それは余裕のある戦いや、相討ちを意図する戦法が採られない、という意味ではない。

 むしろ、誰もが決死だし、玉砕覚悟の攻撃そのものであり、殿などはほとんど生存は絶望的だ。

 この三〇〇〇名に達するような数の男や女の、どれだけが生き残れるのか。

 それを考え始めると、何もできないのが、現実だった。

 私はゆっくりと最後の休暇を過ごし、二日の間に二度、リツと食事をした。そして二度、リツとオー老人の稽古を見物した。

 槍を研ぎ直してもらい、剣も研いでもらった。さらに長い作戦になるので、予備の武器としてまともな剣を三本、調達した。

 食料に関しては全体で統一して支給されるので、個人や傭兵隊、傭兵団で確保する必要はない。補給を憂う必要がないのはありがたい作戦だが、それだけ命がけという意味でもある。

 私は食事の間に、コルトが襲われたときのことをリツに確認したけど、俺は寝ていた、とリツは答えた。血まみれだったはずだが、彼自身は傷一つないようだし、あるいはそばで誰かが切られて、血を頭からかぶるようなことになったのかもしれない。

 精霊教会は極めて静かで、全く普段通りだった。

 周りにいる傭兵たちの親玉が結託して、自分たちをほとんど死に兵にしようとしている、などと思っているようではなかった。

 何も聞かされていないのか、それとも神官戦士ともなれば、その程度のことでは怒ったりしないし、平静でいられるのだろうか。

 もしそうだとしたら、精霊教会は正気の人間の集団ではないな。

 二日はあっという間に過ぎ、進発の日は雲ひとつない青空だった。

 先鋒として精霊教会の一〇〇騎が出て行き、すぐに後続の紫紺騎士団、ルスター王国軍と続いていく。それから傭兵団の連合部隊で、この中に私は含まれている。リツがジュンとイリューと一緒に混ざっているのは最後尾を来る傭兵連合だ。

 この順番はまとまりで計算され、傭兵連合は烏合の衆とまではいかなくてもバラバラの組織の集まりなので、潰走する可能性が最も高いと自他共に認めていた。傭兵連合と神鉄騎士団でも、その性質は全く違うのだ。

 私はその日、リツと話をすることも顔を見ることもできず、隊列に加わり、ルッツェを離れた。

 馬に乗って進む戦場は、普段よりも騒々しく、周りをよく見る余裕があった。普段は自分や仲間に魔物が寄ってくるのを跳ね除けないといけないが、集団が大きすぎて、私のところへ来るまでに外側の傭兵が魔物を倒してくれる。

 私たちの戦場は、何故か緑がほとんどなく、あるとしても濁っているような黒ずんだ草葉をしている。木の幹もどこか薄暗い。空は真っ黒い雲に埋め尽くされ、今も霧雨が降っているが、全てがどこか澱んでいた。

 土塁を幾つか越え、塹壕を渡り、空堀も抜け、そんなことを幾度も繰り返した。

 休止を挟んで、丸四日の移動が計画されていた。食料も馬上で食べる。降りるのは馬を休ませる時で、休止は人のためというより馬のためだった。

 結局は数が増えて八〇〇名を超えている隊は、形の上では二つに分かれていた。もし魔物が何らかのやり方で押し寄せた時、全体が一つで包囲されるより、二つが包囲された方がやりようがある、ということのようだ。

 ただ、それほどの魔物が押し寄せれば、私たちの一部は恐慌状態になるのは間違いない。歴戦の傭兵でも難しいだろう。魔物がまるで波となって、自殺志願そのものでがむしゃらに押し寄せてくるのに、平然と対処できる傭兵はそうはいないはずだ。

 日が沈み、上り、沈み、という日々の後、二隊が一つになり、陣を組んだ。

 周囲にいる魔物を追い払い、あっという間に即席の土塁が構築され、ひたすら運んできた材木で柵が組まれ、建てられた。逆茂木さえもある。

 弓矢が支給され、また中距離、遠距離に効果のあるファクトを持つ傭兵が守備につく。

 指揮官たちが集まり、先行していた偵察部隊が状況を伝え、今後について議論されたようだ。すでに夜で、その点は計画より陣を組むのがやや遅れたが、予定から大きな逸脱はないだろう。

 他の方面軍はどうなったかはすぐにはわからない。

 会議に参加する立場でもない私は、コルト隊の他の面々とどうにか雲間の星を見たり、ここまでの目印や遠い山並みの様子で、現在地点を割り出し、地図と照らし合わせていた。

 ジュンたちが偵察で見たという魔物の群れが集結していた地点は、ここから馬で二日はかかりそうだ。やはり予定を少し外れてるが、ここからさらに前進し、魔物の群れに奇襲を仕掛けることになるのか。

 この陣地には物資が備蓄され、徐々に整備されて橋頭堡となるはずだが、まだ何もない。

 コルトとホークが戻ってきたのは夜更けで、コルト隊の半数は歩哨に立っていた。あまりにも多人数なので、歩哨だけでも五〇名以上が警戒している。

 私は休もうとして目をつむって、しかし眠らずにじっとしていた。

 そっとすぐ横に誰かが座ってきた。かすかな匂いでホークとわかった。

「どうも向こうはこちらに突き進んできている」

 ひっそりとした声は、陣地が静まり返っていても私にだけしか聞こえなかっただろう。

「そうですか」

 私も篝火が燃え、爆ぜる音に紛れるような声で答えた。

 ホークがすぐに立ち上がり、どこかへ消えた。

 計画通りにはいかない、か。

 まだ陣地には緊張こそあれ、戦闘時の抑えの効かない攻撃性は存在しなかった。

 それもきっと、明日までだ。




(続く)

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