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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
12/213

1-12 奴隷の身分

      ◆



 季節は冬になった。

 俺はブルブルと震えながら、遊牧民族のハガ族の男たちに急かされるままに、彼らが使うテントのようなものを畳み、一つにまとめていた。

 ハガ族はルスター王国の領内ではないことだが、人を売買する。

 実際のところは人間同士を交換するのだが、稀に銭がやりとりされることがある。

 母から何度か聞かされたが、ハガ族は常に人間を大事にする。子どもはもちろん、若い者もいずれは子を産むし、老人も教育や育児で意味を持つ。

 その人間を大事にする感覚から、奴隷のような身分の者が大勢いる。

 他族のものがそうした立場になるが、もし才能や素質がその部族のものの目に止まれば、引き上げられ、一端の部族の男なり女になれる。そしてそこから出世していくのだ。

 俺がハガ族の部族の一つ、ウン族の男に拾われたのは、秋が深まった頃で、俺は銭もなく、着るものもないような有り様で、どうにか西域を目指していた。

 しかし小さな集落でどうしようもなくなり、立ち往生した。物乞いのような形で、通りの隅の方にうずくまることになった。

 その俺に声をかけたのが、ウン族の男、仲間たちからシロと呼ばれている男だった。

「見ない顔だな」

 それが最初の一言で、次には目の前に芋が転がり落ちてきた。

 シロが投げ捨てたものだが、俺はあまりにも空腹だった。だから芋を拾って、土がついているそれにためらいなくかじりついた。

 ガツガツと芋を食い終わった俺が顔を上げると、シロは冷ややかな目でこちらを見て、

「芋一つ分の働きはしてもらうぜ」

 と、言ったのだった。

 芋一つで体が動くようになるわけもない。まだ座り込んでいる俺を、シロの仲間が囲み、抱え上げられた。

 集落を出るときには、周囲には六人の男がおり、俺も含めて七人は、馬に乗って駆けるシロとその仲間の三人の後を走って追った。シロの仲間がもう一人いて、後ろから馬でついてくる。というより、俺と他の六人を逃げないように見張っているのだ。

 動けないはずの体に、少しずつ力が戻ったのは極限状態だからだろう。

 集落を離れ、原野のようなところへ出た。いつの間にか、西域の峰々がすぐそばで、原野もそれほど広いようには思えない。

 しかし来る日も来る日も走ったが、原野は原野だった。

 樹木はほとんどなく、草は秋のそれで茶色く枯れている。

 そんな中で夜、一人の男が逃げ出そうとした。したのだが、翌朝、その男は散々に打ちのめされて、ボロクズのように倒れこんでおり、シロが淡々とした声で言った。

「お前たちは今、俺の持ち物だ。だから俺が捨てると決めたら捨てる。壊すと決めたら壊す。わかったか?」

 打ち据えられて動けない男は、しかし強引に立たせられ、走らされた。何度も転び、倒れ、起き上がり、走り、転んだ。

 夕方になり、野営になったがその男はついにやってこなかった。後ろをついてくるシロの仲間は戻ってきたのにだ。

「飯はあるんだ」

 今は六人になったシロに買われた男たちで、質素な食事を囲んでいる時、一人が力なく呟いた。

「飯はあって、生きていられる。逃げることはない」

 誰も何も答えず、すぐに眠りについた。

 あの時からすでに数ヶ月が過ぎた。俺と一緒に原野を走り続けた五人は、もう一人もそばにいない。生きているのか、死んでいるのか、それもわからない。

 俺はシロのそばにいて、雑用をやらされる集団の一人になっていた。

 いろいろな男たちがいて、話をすることも多い。

 ハガ族はどういうわけか、生まれた時から性別が決まっているという。そしてファクトを持たない。

 だからハガ族の人間は、俺のような外の人間を「魔術師」とか「奇術師」などと呼ぶこともある。中には俺にファクトを見せてくれとせがむものもいた。

 しかしそんなことよりも、冬の寒さが問題だ。

 シロもわかっているはずだが、俺たち、奴隷のようなものは、大した着物も与えられない。俺より先に同じ仕事をしていたものたちは、何枚も着物を用意して重ね着しているが、俺にはそこまでの持ち物がない。

「できたか!」

 シロの部下の男の声がする。

 人が曳く荷車にハガ族で使われるテント、幕舎が積み上がっている。木製の複雑な形状の骨組みと分厚い布の山に分解されている。荷車一つがテント一つで、この中で十人は生活できる大きさのテントになる。

 俺たちは返事をして、すぐに荷車を曳き始める。後ろから押すものもいる。

 動き出すと、寒さは少しずつ薄れていった。体の芯が熱くなり、体は震えを忘れる。

 冬になるとハガ族は南下するが、どうやら山脈地帯の裾野を巡っているらしい。移動は一ヶ月に一度ほどだ。南へ行くと少しだが草が残っていたりもする。

 移動は日中で、幕舎がないので、その間はウン族のものも野営する。

 それは移動をして三日目のことだった。

 何が起こったのかは、詳細にはわからない。移動している最中の荷車の列の中ほどで、「魔物だ!」という声が起こった。

 あとは悲鳴と叫び声、激しい物音。人が、一緒に連れてこられている馬や牛、羊が、一斉に動く事で生じた地鳴りのような音が重なり合った。

 俺は荷車を曳いていたが、隣にいた仲間は逃げ出している。もちろん俺も、荷車を放り出した。

 シロはどうした。どこにいる。

 聞き慣れない鳴き声がして、振り返ると、不自然な生物がこちらへ急降下してきた。

 人間に近いが、顔は鳥のようで、腕の代わりに翼がある。大きさは人間の倍はある。

 俺が身を投げ出すと、ちょうど隣にいたウン族の男がその巨大な嘴に挟まれ、悲鳴の尾を引きながら異形とともに宙に舞い上がり、俺が見ている前で、一飲みにされた。

 同じ魔物が見たところ、四体はいる。他にも別の魔物がいるらしい。

 ウン族のものがひたすら走るので、俺も走ったが、すぐに息が上がった。荷車を運んだせいで、体力が万全ではない。

 足がもつれる。

 倒れこんだ次には、反射的に振り返っていた。

 こちらへあの鳥人間が突っ込んでくる。

 手が自然と動いた。

 腰には決して手放さなかった短剣がある。シロもそれは取り上げなかったのだ。

 一閃。

 横に体を逃して転がる俺の横で、鈍く重い音ともに鳥人間が墜落した。片腕、いや、翼の一枚が根元で断ち切られてすっ飛んでいた。

 必死だった。

 短剣を手に鳥人間に飛びかかる。

 それでも大きさは俺の二倍はある。重さも相当なものだ。

 組み伏せるというより、押さえつけ、その間に短剣は何度もその体を滅多刺しにした。

 やがて魔物は動かなくなり、そして俺の体の下で、まるっきり塵の塊になり、輪郭を失った。

 まだ悲鳴は上がっていると思ったが、悲鳴ではなく、掛け声だ。

 俺は短剣を下げたまま、ぼんやりとそれを見ていた。

 ウン族の男たちが周囲を馬で駆け回っているが、もう魔物の姿はない。馬を与えられていないものも、再び集まってきていた。

 馬上の男が一人、こちらへやってくる。シロだ。

「意外にやるな」

 その声とともに、シロが馬から降りた。

「一人で魔物を倒す男は、そういるものじゃない」

 ポンと肩を叩かれそうになった時、反射的に短剣を構えていて、シロもさっと間合いを取ると油断なく腰の剣の柄に手を置いた。

 向かい合ったのはほんの半瞬で、俺は短剣を下げ、息を吐いた。

 指が強く短剣を掴んでいて、動かなかった。

 それにシロも気づいたのだろう、俺に歩み寄り、無理やりに指を開かせた。短剣が地面に落ち、素早くシロがそれを鞘に戻した。

「飯は食えそうか。今日は酒も出るぞ」

 どう答えればいいのか、わからなかった。

 しかし時間は過ぎていく。仲間たちが戻ってきて、幕舎こそ張られないものの、いくつも焚き火が作られ、羊が二頭、解体された。

 俺はウン族の男たちに連れられて焚き火の一つのそばに座るように言われ、座るやいなや左右に座る男たちが手渡しで食器をよこす。杯も来た。杯にはすぐにハガ族が作る濁り酒が注がれた。

「戦士たちへの感謝として」

 音頭をとったのはこのウン族の長老の一人で、シロより一つ上の立場の初老の男だった。

 しわがれたその声に合わせて、俺と一緒に焚き火を囲んでいた五人の男が、さっと杯を掲げると、一息に中身を飲み干した。俺も仕方なく杯を煽ったが、喉が焼けて、咳き込んでしまった。周囲ではドッと笑いが起きる。

 肉が運ばれてきて、生のものもあれば、焼かれたものもある。生の肉は新鮮なんだろうが、あまりにも血の匂いが濃くて、俺は食べることができなかった。

 それでもなんとか食事をしているうちに、今、俺と一緒に焚き火を囲んでいるのが、先ほどの魔物の襲撃において、魔物を倒したものたちだとわかってきた。

 魔物を倒したものに、褒美としてこれだけの酒と料理なのだ。

 ウン族に、というよりシロに拾われて、魔物の襲撃は初めてだった。物理的に移動してきた出現ではなく、顕現と呼ばれる、湧き出るような魔物だったのだとやっとわかってきた。いくら南下したと言っても、戦場はまだ遠い。

 宴も終わり、肉もあらかた食べ尽くされた。

「お前、名前はなんと言ったかな」

 シロが俺に問いかけてきた。

「リツです」

「ああ、そうだった、リツだ。お前、馬には乗れるか?」

 どういう誘いかわからないほど、俺も察しが悪くはない。

 しかし自分を高く売りすぎるのは損だろうと、即座に計算もできた。

「少しは」

 嬉しそうにシロが相好を崩す。

「じゃあ、明日から調練しろ。荷車には関わらなくていい。しかし馬の調練は十日だけだ。十日で他と遜色なく乗りこなせるようになれ。もしそうなれなければ、また荷車だ」

 どう答えることもできなかった。

 自分が認められたのか、それとも、ただ使えるから使うというだけなのか。

 俺はまだ、シロの持ち物なのだろうか。

 良いな、と念を押して、シロは焚き火のそばを離れた。

 俺は一人で、焚き木が爆ぜるのを見ていた。



(続く)

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