3-30 不明
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剣が閃き、首筋を抉られた。
うめき声が自然と漏れ、体から力が抜ける。
倒れたところへ、今度は心臓へ一撃。
もし普通の人間なら最初の一撃で死んでいるし、心臓までやられるとさすがに俺も死を覚悟した。
俺を殺した気になった黒衣の男は全く無造作に剣を引き抜き、荷車の中に入った。
入ったが、すぐに飛び出てきた。
と見えたが違う、背中から地面に落ち、転がり、動かなくなる。胸には短剣が根元まで刺さっていた。
この時には周囲で人が激しく動き回り、連続して刃と刃がぶつかり合う火花が散る。
俺の視界もはっきりしてきた。襲撃者は揃いの黒い装束を着ていて、刃にさえ黒い塗料を塗っているので極端に闇に同化している。
荷馬車の幌の中から平然と降りてきたのはコルトで、俺の横にかがみ込むと「生きているか?」と声をかけてきた。全身血まみれの俺に言う言葉ではないけれど、生きていた。
「ここで死んだふりをしています。あまり目立ちたくないので」
「そうか」
「眠気がすごかったですけど、コルトさんにはそういうのはないんですか?」
傭兵を馬鹿にするな、と笑みを見せると、コルトはすっと立ち上がって倒れている男の剣を拾い上げる。
瞬間、胸に短剣を刺された男が跳ね起きたが、次には今度こそ首を飛ばされて倒れ込んだ。
薄闇の中でも俺には状況が把握できてきた。
どこかの集団が総勢で二十名ほどで襲撃してきている。それに対処しているのはジュンとイリューだ。ガフォルとヴァフォルの姿はすぐには見えなかったが、一人が地面に寝転がっているのがわかった。ヴァフォルは歩哨だったはず。ならあれはガフォルか。
生きているか、死んでいるかはわからない。
そもそも、どこの誰が襲撃している?
コルトが生きていることに不都合を感じる誰かがいるのか。それとも別の意図だろうか。
思考を巡らせ、コルトが知っていることを推測し、検証する。
偵察任務における戦場の限られた部分を、彼は知っている。コルト分隊が壊滅した場面だ。
そこで誰かしらが何か、コルトに見られたのか。
精霊教会か? 彼らがまともに戦わないことを、コルトが知っていると思ったのか。
つまり、口封じ?
なら、だいぶ手が込んでいる。ヴァフォルに食料を渡したものが精霊教会に通じていて、そこに薬を仕込んであったのか。俺やガフォル、ヴァフォルはその薬にやられたが、なぜかコルトとジュン、イリューは平然としている。それは精霊教会の手違いか。
黒衣の暗殺者が次々と倒れている。
誰も一言も声を発さず、ただ刃がひたすら空気を切り裂き、肉を断ち、骨を砕き、命を抹消していく。
どれくらいが過ぎたか、小さく笛が吹かれた時、黒衣の男たちは一斉にどこかに消えた。
月明かりの下、倒れている襲撃者は十を超えている。
恐る恐る起き上がって、俺は自分の体の状態を確認した。血まみれ、というか、さっきまで死体でした、という有様だ。ただ、血液を一時的に大量に失ったせいか、薬の影響は薄れていた。
口の中に溜まっていた血を吐き出して、周囲を警戒しているジュン、イリュー、コルトの方へ歩み寄った。
「ガフォルは?」
俺が低い声で確認すると、イリューが鼻を鳴らした。
「首筋を裂かれて生きていられるのはお前だけだ」
じっと見ると、なるほど、ガフォルは首にパックリと傷口があり、すでに血の流れもなくなっている。ヴァフォルは、と周囲を見ると、仰向けに倒れている。
俺はそっとそちらへ進む。
「ここに留まっても良いことはなさそうだけど」
ジュンがそう言って、コルトの方をチラッと見たようだ。
「急いでルッツェへ向かう、となると、奴らも鼻白むかな」
コルトは冗談めかしているが、声には怒りが滲んでいた。
俺は倒れているヴァフォルに近づいて、胸が赤く染まり、すでに息は絶えているのを確認した。
「ここで一晩中、人間相手に戦うのも面白いかもしれんな。人間を切るのもたまにはよかろう」
イリューの声にもやっぱり怒りがあった。
魔物と戦うのが目的のはずの傭兵が、人間を切るのは間違っている。
俺の中にも憤りはあった。
とりあえずの襲撃がないと決めて、四人で襲撃者の身元を確認した。
身分を証明するようなものはない。武器も平凡、黒衣もよくあるもので具足にも特徴はない。
仮に闇の暗殺組織だと、場合によっては刺青などで所属がわかることもある。軍隊でも、指揮官の好みか、あるいは伝統で同じように体に揃いの刺青を入れることがあると聞いている。
それらが一切ないのは、身元を決して明かさないという姿勢なのだろう。
さらに言えば、死体の中でも致命傷を受けていないようなものが何人かいたが、一人として息をしていないのはある種、異常だった。
そんな奇妙な死に方をしている黒衣のものは、表情が歪んでいて、おそらく毒薬を飲んだのだろうと推測できる。
決して自分の身元を明かさないために、自決したということになる。
「極めて不愉快だけど、どうしようもないわね」
ジュンがいつの間にか俺の背後に立っていた。俺は狂相のまま死んでいる男のそばに屈み込んでいたのだった。
立ち上がった俺の背中を、ジュンが強く叩く。
「先へ行きましょう。ルッツェへ行けば、何かがわかる」
イリューとコルトもやってきて、荷馬車を引いていた二頭の馬が無事なので、それぞれに二人ずつ乗ることになった。
一頭にはコルトとジュン、一頭にはイリューと俺だった。
イリューが心底から嫌そうな顔をしたが、手綱を俺に任せることはなかった。
「薬がどうして効かなかったのか、教えてもらえますか」
馬が駆け出してしばらくして問いかけるとイリューは吐き捨てるように言った。
「傭兵をやっていると、毒などで不覚をとらなくなる。魔物の血を浴び、瘴気を浴び、腐敗した死骸に塗れ、そういうものが全身の傷から体内に入る。お前はまだだろうが、そういうことで死ぬ奴もいるし動けなくなる奴もいる」
「耐性があった、ということですか」
「俺たちを襲った連中は生温い、ということだ。即死する毒を混ぜれば良かったのだ」
過激なことを言うイリューは、まだ怒りが収まらないようなので、俺は口を閉じることにした。
しばらくして、今度はイリューが口を開いたが、それは俺へ向けた言葉ではなかった。
「人間はなぜ、同類で殺し合おうとするのか。同じ土地に生き、同じ言語を喋り、同じ価値観を持つ、同じ種族ではないか。このままでは人間は魔物を倒す前に、人間同士で殺し合い、あっけなく消え去るのだろうな」
俺が答えるべき言葉を見つけ出せないでいると、戯言だ、とイリューが言った。
今度こそ、沈黙がやってきた。
馬は駆け続ける。周囲は徐々に明るんで来て、まだ誰も起きだしていない集落をいくつか抜けた。
丘の上に駆け上がると、二つ先の丘の上にルッツェが見えた。
すでに周囲は日が昇り、影が長く伸びていた。
ジュンとコルトが先を走り始める。イリューも馬腹を蹴る。
まるで敵地に行くようだ、と俺は思っていた。
思ったが、言葉にはしなかった。
イリューが戯言と表現した事実が、のしかかってくるような気がした。
(続く)




