3-21 帰還
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土塁は人間と魔物の戦場において、だいぶ北に位置していた。
私とホーク、ガフォルたちは北上する中で方向を誤り、予定よりだいぶ西に進んでいて、その結果、必要以上に北上していたようだった。
土塁の守備部隊とともに北上し、小さな拠点に着き、そこからは荷馬車に乗り込むことができた。幌の中では誰もしゃべらない。負傷者がたまにうわ言をいうか、呻くか、それ以外は車輪が激しく地面を走る音、荷馬車そのものが苦しむように軋む音、幌が鳴くようにはためく音だけだった。
私は地図の情報が本隊に渡ったかということより、コルト、ジュン、イリュー、リツのことを考えていた。というより、それしか考えられなかった。
私たちがおそらく丸一日以上を北上したことを考えれば、彼らが私たちとはぐれた地点は、どう考えても魔物の勢力圏の奥地で、人間が存在する土地ではない。
誰かが彼らに気づいただろうか。あの大雨の中では狼煙を上げることはできない。どうにか火をつけたとしても、雨が激しければ煙を識別するのは難しい。
私たちが気づいた狼煙で他の分隊が救助に来たという可能性は、確率は限りなくゼロに近い。
つまり、四人の生存は絶望的だ。
絶望的でも、私は状況を最初から整理し直し、どこかに何かしらの可能性がないか、希望がないか、探し続けた。
見つからない。
でも何か、見落としているのではないか……。
馬車は丸三日、走り続けて、バットンの街に辿り着いた。そこまで自分たちが西側にいたと思うとやや驚きだ。遠回りのしすぎだった。
これなら、逆に雨のせいで周囲が見えなかったのが大きい要素になり、他の隊でもやはり迷った隊がいるかもしれない
迷ってしまえば延々と魔物の住む土地をさまようだけなのに、私はそんな誰かしらが、偶然にもコルトたちを助けてくれていないかと、都合のいいことを考えていた。
バットンに着くと、ホークはすぐに司令部に出かけて行った。今回の偵察任務の総指揮は紫紺騎士団だ。事前に馬で駆けさせた情報が届いでいるかを確認に行ったのだろう。
私は負傷者に付き添って療養所へ行き、コルト分隊のうちの二人がすでに助からないことを医者に告げられた。
「楽にさせてやるべきだが」
初老の医者の言葉に、上官の確認をとります、と私は応じた。
楽にさせる。
薬で眠るように死なせるということだ。
彼らを殺してしまうことはコルトのことを思うと、できなかった。
コルトが死ぬ気で守り抜いた部下を、あっさりと見捨てるなんて、とても、できない。
ガフォルとヴァフォルの兄弟は軽傷を負っていたが、命に別条はなく、手当してもらうと私のところへ挨拶に来た。
「俺たちは流れの傭兵ですけど、ジュンさんたちには恩がありますから、探してみます」
「ここから東へ移動しながら情報を集めます。コルトさんのことも聞いておきます」
私は彼らに礼を言って、連絡先を交換した。連絡先と言っても、神鉄騎士団の窓口と、いくつかの拠点の宿泊所だ。傭兵は常に移動するし、そもそも、手紙で連絡を取ることは稀だ。
二人には今回の件で神鉄騎士団から特別な報奨金が出ると、バットンに着いてすぐにホークが言っていた。二人はちょっと申し訳なさそうにしていたものだ。
偵察任務は後味が悪いものだった。
私は紫紺騎士団の前線司令部の一つである建物に向かおうとすると、出入り口から大股に出てきたホークが見えたので、彼女に駆け寄っていた。
ホークが笑みを見せる。仮面じみた笑みだ。
「情報は届いている。今度こそ本当の偵察隊が送り込まれる。先遣隊と言ってもいい。私たちの部隊で戻ってきた偵察隊は、今のところ全部で九つ。つまりは半分は死んだってことね。もちろん、各拠点での情報が出揃っていないから、あと一つか二つは増えるでしょう」
歩きながら、淡々とホークが言う。顔は笑っているのに、声は冷え切っていた。
「コルト分隊の帰還は、今のところ、確認されていないわ」
「バットンにはいない、ということですか?」
「ルッツェにもいないらしい。消息不明よ」
吐き捨てるような言葉を口にしても、ホークは笑顔だった。
笑いたくて笑っているのではなく、その表情で何かを押さえ込んでいるのは明白だった。
「ガフォルとヴァフォルの兄弟が、東へ向かいながら情報を探してくれるそうです」
「ああ、あの二人ね。報酬を渡していないのに、もう行ったの?」
「それだけコルトさんを真剣に探してくれる、ということだと思います」
「傭兵らしくない律儀さだこと」
ホークの笑みがちょっと和らぐ、これが本当の彼女の笑顔だ。
私は負傷していたコルト分隊の二人について話した。命が助からないらしい、と話すと、ホークが一度、目を閉じた。
「眠らせてあげましょう」
「私が伝えに行ってきましょうか」
「いえ、私が行きます。ウッドはどうしている?」
ホークの笑みが強気になる。コルトのことを考えるのはそれだけ重荷で、別のことを、本当に些細なことでも考えられる状況は必要だろう。
「彼は軽傷です。ジューナとオンバはまだ休んでいます」
「あなたも休みなさい、ユナ。これは命令です。休息を十分に取ったら、私たちも東へ向かいます」
表情に緊張したものを見せてから、私の肩を叩いて、ホークは一人で療養所の方へ歩いて行った。
コルトのことを諦めるなんてきっと彼女には無理だし、私にも困難だろう。
現実というものが、どうしても重くのしかかってくる。
助かるわけのない状況という奴がある。それは超人でもいない限り突破できない、絶対の死が約束された場所だ。
コルト、ジュン、イリュー、リツの四人だけで数日をかけて戦場を脱出するのは、あるいはあの四人、正確にはリツ以外の三人なら、できたかもしれない。
ただ何の支援もなければ、いずれは疲労に押しつぶされる。馬が潰れる可能性もある。何よりあの豪雨で、足場は悪く、寒さで体力は低下し、一番の問題は自分の現在地を割り出すのが非常に困難になった。
全ての要素が、敵になったようだった。
やはり助かるわけがない。
助かるわけがないのに、死んだと思えない自分が不思議だった。
私は宿泊所へ戻り、割り当てられた部屋で寝台に横になった。
眠りに落ち、いきなり部屋の戸が開いたので跳ね起きた。片手には寝台の横に並べていた槍がある。
立っているのは、ホークだった。
彼女が逆光になっているのは廊下が明るいからで、光がどこか橙色をしている。まだ夜で、灯りが灯されているらしい。
「どうしたんですか、ホークさん」
確認すると、ホークが何かを喉に詰まらせ、咳き込み、意識していることがありありと分かる感じで呼吸した。
「コルトが、生きているかもしれない」
……本当ですか?
ホークの詰まった言葉はよく聞き取れなかった。
(続く)




