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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第三部 彼と彼女の再会と別れ
107/213

3-20 人ではないもの

     ◆



 顔を雨が打っている。

 体が濡れている。

 感覚がない。

 無意識に腕が動き、体を起こそうとした。

 けど、俺の体は胸から下がなくなっていた。

 悲鳴をあげる息が漏れたのは、喉からではなく、胸の内側でだった。

 発狂する、というのはこういうことか、と思った時、その声がした。

(我らの友人)

 頭がおかしくなっているのだから、何が聞こえても不思議ではない。

 死の寸前、死の間際なのだから、何が起こってもおかしくはない。

 ただ、俺は死ななかった。

(友人を救うのも、またよかろう)

 何かが擦りあわされるような音がして、それは地面の泥が震えているからだった。

 そしてその泥が流れ始めているのが見えた。

 そう、見えたのだ。

 体の大半を失っても、俺はそれを目で見ることができた。

 不自然なほど、鮮明な視界。

 ありえないほど、明瞭は思考。

 泥が流れ、渦を巻き、形を作り始める。

 見る見る間に巨大な腕、腕だけが出来上がり、その上の盛り上がりが拳に形を変える。

 それが薙ぎ払われた時、宙に舞い上がったのは無数の魔物だった。

 そうだ、ここは戦場で、魔物の支配圏の真ん中も真ん中だった。

 なんだ、と言ったのは、コルトか。

 俺の体にも変化が生じていた。

 地面の泥が俺の胸の断面に引きずられてくると、見る見る内臓となり、骨となり、肉となり、皮膚になった。

 つまり、俺の体は泥を材料に復元された。

(人は裸を嫌うのだったのだ)

 さらに泥が体を覆い、一瞬で奇妙な文様の浮かぶ、見たこともない形状の着物になった。

 恐る恐る体を動かすと、自分の体そのものだった。

 これはこれで気が狂いそうな現実だ。

 ただ、生きていることには生きている。

「どうなっている」

 コルトがすぐそばへ来て、俺と彼の周りの魔物を蹂躙し続ける巨大な一本の腕を見ている。

「えっと、まあ、その」

「お前の体も、なんなのだ?」

 そう問いかけるコルトが先ほどとは違う血の気の引いた顔をしていて、その手では斧がいつでも繰り出せるように待機している。

 俺が人ではない、と見ているのかもしれない。

 俺自身、こうなっては俺が人間とは思えなかった。

 答えに窮していると、そこへジュンとイリューもやってきた。泥の腕は盛大に飛沫を撒き散らしながら、二人を通した。

 ジュンは強張った顔をしている一方、イリューは好戦的な表情で、刀を構えている。

「不死者とは知らなかった。一度、手合わせしてみたかったのだ、そういう伝説の存在とな」

 そのイリューの言葉に「やめなさい」とジュンが静止する。美しすぎる亜人の剣士はまだ笑みを浮かべながら、静止を無視して足を踏み出し、今度はジュンも腕を伸ばしてそれを本当に止めた。

「議論している暇はない。リツ、その腕はあなたの意思で動いているの?」

 一番冷静なのはジュンのようだった。彼女の問いかけに、俺はまだ動き続けている巨腕を見る。

「俺の意思じゃなくて、独自の思考を持っています。巨人です」

「なら、ここからずっと護衛してもらえるのか、確認して」

 どうかな、と頭の中で念じると、後頭部のあたりで声がした。

(よかろう、目立たぬところまで送ってやろう)

「送ってくれる……」

 言葉が尻すぼみに消えたのは、地鳴りのようなものがして、足場が揺れ始めたからだ。ジュンは片膝をつき、コルトは斧の長柄で体を支えた。平然としているのはイリューだけだ。

 視点が上がった、と思ったが違う。

 まるで小さな台地が出来上がるように四人がいる場所の地面がせり上がったのだ。

(あまり快適でもなかろうが、我慢してくれ)

 台地が形を変える。

 隆起と沈下が複雑に連続した後には、俺たちは巨体な掌の上にいて、それは泥の巨人の胸の前にある。高さは十メートルはあるだろう。

 掌の淵から下を見ると、魔物はとてもこちらに届かない。

 頭上を振り仰ぐと、巨大な顔がある、目や鼻、口、耳などはない。のっぺらぼうのところに、三つの輝石があり、キラキラと瞬いていた。

 合図もなく、巨人が歩き出した。魔物が巻き込まれ、跳ね飛ばされ、踏み潰された。

「こいつはいい」

 そう言ったのはコルトで、ただ、その顔が土気色になっている。まさか高さに怯えているわけではない。その具足の脇腹の切れ目から下がどす黒くなっていた。

 いけない、と呟き、ジュンが駆け寄ると、無理やりに座らせて具足を切り裂いた。

 奥にある傷口が俺にも見えた。イリューは眉間にシワを寄せている。ジュンはもう医療用の道具を取り出し、治療を始めている。しかし針も糸も煮沸していないし、仮の処置だ。何もしないよりはマシという感じではなく、仮の処置をしないとコルトの命はないだろう。

「可能な限り、急いで欲しいんだけど。安全な範囲で」

 歩き続ける巨人の頭の方に声をかけると、かすかに頷かれた。

 足場、巨人の掌が揺れる。指が曲げられ、四人を包み込むようにした時には、巨体が足を速め、早足のようになった。

 加減してくれているようだけど、振動がすごい。

 ジュンはその揺れの中でもコルトの傷口を大雑把に縫い合わせて、布を当ててきつく縛り上げる、という技を披露したけど、誰もそれを賞賛する余地はなかった。

 イリューは座り込んで目を閉じ、揺れに身を任せている。俺は指の一本にしがみついている。そして処置されたコルトはついに意識を失っていた。

 魔物の心配のない異境領域というのは不思議なものだった。視点が高いこともあってか、まるでここのところ、自分が駆け回って泥と血と臓物にまみれていた戦場とは思えなかった。

 どこまでも続く原野。

 人の手の入っていない、魔物たちの世界。

 雨で全身が濡れそぼっている。

 誰も何も言わない。ただ巨人は足を進め、地響きと共に大量の泥を跳ね上げながら、俺たちを運んでいる。

 居心地が悪いが、どうしようも無い。

 いつの間にか雨が止んでいた。

 ゆっくりと巨人が足を緩める。

(この辺りでいいだろうか)

 俺の頭の中で言いながら、巨人がゆっくりと膝をつき、掌を地面に下げた。

 俺にも土塁のようなものが遠くに見えていた。馬なら半日ほどだろう。

 巨人も俺たちに、というか、俺に縁があって助けたが人間たちには目撃されたくない、ということらしい。

「ありがとう、助かった」

 ジュンと渋々といった様子のイリューが、両側からコルトを支えて地面に降りた。俺もそれに続く。

「名前を聞いていない。俺は、リツ」

 ちょっと俺も参っていたのだろう、巨人に確認していた。

(我が名はアルタリア。しばらくここで、我が友人を助けるとしよう)

「助かったよ。フォルゴラは元気かな」

(何も変わりはない。我らは人のように移ろうこともないのだ、我が友人)

 それもそうか。人間は長くても一〇〇年しか生きないけど、巨人は一〇〇〇年は生きる。

 ジュンとイリューがこちらを見ているので、俺は巨人に手を振って彼らに駆け寄った。

 巨人が立ち上がり、周囲の魔物を駆逐し始めた。

「リツ。赤い狼煙を上げて。ここからなら遠くに見えた土塁からでも見える。あるだけ燃やして」

 俺は素早く言われた通りにした。

 そして背後を巨人に任せ、四人で歩き出した。

 少しずつ離れていくものの巨人の足が地面を踏みしめると、激しく揺れるので、足を取られそうになる。しかし足を止めるわけにはいかない。

 交代して、とジュンが言ったので、俺がコルトの巨体を支えた。お、重い。

 ジュンがライトニングスピードのファクトを使って、近づいてくる魔物を倒していく。

 こんなことなら、馬も連れて来ればよかった。

 足元はしっかりしている。雨の気配は確実に薄れている。

 徐々に明るくなっていく中を俺たちは進んでいく。

 いつの間にかイリューとジュンが入れ替わり、今度はイリューが魔物を退け始める。

 俺たちはただ真っ直ぐに北を目指した。

 騎馬隊が見えたのは日が完全に暮れた後で、見えたのは彼らの持っている松明の群れだった。

 助かった、と思うと体から力が抜けそうになるが、そんなことをするとコルトを投げ出してしまう。

 足に力を込めて、さらに歩を進めた。




(続く)

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