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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第三部 彼と彼女の再会と別れ
106/213

3-19 意味のある選択


     ◆



 後続が遅れている。

 そう言ったのはホークで、私はイレイズのファクトで後ろから迫ってくる魔物を次々と消しとばしていた。

 雨はもはや轟々と音を立て地面を打っており、ホークの声はかろうじて聞こえた程度だった。

 あまりにも雨の密度が高く、後続が見えないのは当たり前だった。

「前進するべきです!」

 そう叫んでいるのはオンバのようだ。この時は女性らしい声が引きつり、耳障りな高音になっていた。オンバの姿も影としか見えない。ジューナらしい影もある。輪郭でそうとわかる。

 しかしともすれば敵と誤認して攻撃しそうになり、私は雨が酷くなってから極端な集中を強いられていた。

 密集隊形、とホークが叫んでいる。

 雨の雫が目に入りそうになる。拭う暇もない。

 魔物。攻撃。粉砕。

 大きな影が見え、それは負傷者と落馬で足を痛めたウッドを抱えているオンバだった。ジューナもいる。こちらには意識が朦朧としている負傷者が二名。まだ生きているかはすぐにはわからない。動きがなかった。

 すぐそばに二人の兄弟の傭兵、ガフォルとヴァフォルもきた。

 ぬっと雨を割って現れた相手に槍を向け、それがホークだと遅れてわかる。

 イレイズを発動。

 ホークの背後にいた魔物の頭が忽然となくなる。

 私のすぐ横を見えない波動が走り抜け、背後で湿った音。

 お互いにお互いの背後を守ったようだ。

「後続は見えた?」

 次々と不可視の矢を放ちながら、ホークが確かめてくる。私も槍を振り回し、周囲の魔物を排除しながら答える。

「見えません。もうずっと見ていません」

「戻るべきかもしれない」

「負傷者を連れてですか?」

 反射的に口をついた言葉に、自分自身が驚いていた。

 私はコルトやジュン、イリュー、そしてリツを置き去りにしようと言っているのだ。

 負傷者を連れ帰れば、あるいは三名の重傷者を助けることができるかもしれない。

 しかしここで引き返せば、三個分隊、十五名が全滅する可能性がある。何より魔物の大群が形成されている位置の情報を持ち帰れない。

 ホークだけが来た道を戻る、というのも無理な話だ。仮にコルトたちがすでに破滅していれば、ホークは無駄死にだ。

 もっとも安全なのがコルトたち四人を置き去りにすることだと、考えざるをえない。

 そしてその選択が、もっとも多くの命を救い、意味のある選択だった。

 四つの命が失われてしまうことを無視すれば。

 無視できれば。

「私は戻る」

 珍しくホークの声は余裕がなかった。ひび割れているようにガサガサしている音だ。

「ダメです。ホークさんがいないと、私たちが危ない」

「ユナ、あなたがいる」

「二人なら無事に帰れます」

「コルトを放り出して?」

 やはりそこがホークの冷静さを奪い、判断を混乱させているようだ。

 しかし逆に私は冷淡すぎるのかもしれない。

 血も涙もない、という表現が今の自分には最適かもしれない。

「私たちは傭兵ですよ」

「だからこそ、仲間を大切にする」

「ここにいるのも仲間です」

 ガフォルとヴァフォルの兄弟は、私とホークの討ち漏らしを剣でなぎ払っている。魔物たちの数が減ることがない。周囲はいよいよ雨でぬかるみ、これ以上の時間をかけると足場が悪くなり、馬が難渋するかもしれない。

 考えている時間はもうほとんど残されていない。

「この場にいるものはあなたに任せます、ユナ」

 ホークの顔を見れなかった。魔物を視認してファクトの力で粉砕しているからだ。

 ただ、今はそれがありがたかった。

 ホークの声が明らかに震え、涙交じりだったからだ。

 ありがたいと思いながら、私は反対した。全てが混乱している。

「いけません。ホークさんが指揮してください」

「私は、戻る」

「ダメです!」

 手綱を引いて、ホークのすぐ横に寄せ、手を伸ばしていた。

 襟首を掴む私を、ホークは豪雨の中でもくしゃくしゃの顔で見た。

「ホークさん、あなたが、コルト隊の副長です」

 私は槍も降らず、周囲の魔物の気配をイレイズで制圧していく。この時、ガフォルもヴァフォルも、ウッドたちもこちらを見ていた。

 雨の音がしていた。

 魔物たちが鳴き声を無数に響かせていた。

 それなのにこの時だけは、全てが沈黙した気がした。

「前へ進むしかありません」

 私の言葉は冷ややかで、しかし取り繕う気もなかったし、後ろめたくもなかった。

 ここで動きを止めて、十分は過ぎている。南から気配が近づいてくる様子はない。はぐれて北進しているのでなければ、コルトたちはもうやって来ない。

 ここに留まれば、全滅する。

「行きましょう」

 私の言葉にホークは目を閉じ、俯き、深呼吸した。

 顔を上げた時、その表情は人形のようだったけど、声ははっきりと人間だった。

「先へ進みます。急ぎましょう」

 襟首を掴んでいた手を離すと、ホークは無意識にだろう、襟元を正して、弓を握り直して魔物を射始めた。

 六騎はひたすら雨の中を進んだ。三人を乗せる馬はすぐに体力が尽きる。歩かせるしかない場面も増えた。土砂降りの雨のせいで地面は泥濘と化し、歩くと頻繁に泥に足を取られそうになる。

 途中でガフォルの使っていた剣が折れ、予備ももうないというところで、ウッドが自分の剣を彼に与えた。実にのどかなことに、この決死の戦場でこの二人の間には友情らしきものが芽生えたようだが、そんなものも生き残らなければこの時だけのことになる。

 馬の喘ぎ方がいかにも危険になってきた。

 夜になっても雨が降り続ける。長い長い行軍。

 馬に乗り、歩き、そうして夜を明かしたはずが周囲は明るくならなかった。雨の勢いは変わらず、空は真っ黒い雲に隙間なく覆われていた。

 日付の感覚は消え、頭にあるのは魔物を倒すこと、生き延びることだけになった。

 不意に遠くに光が差したのが見えた時の気持ちは、どう表現すればいいだろう。

 一筋の光が差す辺りに見えるのは、間違いなく土塁だった。

 帰ってきた、と思った時には体に力が蘇っていた。

 全員で声を掛け合い、先を急いだ。

 雨が止み、そして、光の元へ出た。

 大掛かりな土塁を守備していたのはルスター王国軍の兵士たちで、私たちを見て最初は真っ青な顔をし、次にその顔を紅潮させた。

 どれくらいぶりか、安全と言える領域に私たちは入った。

 どこからか水が運ばれてきて、私たちはありがたく、というより、慎ましく、それを受け取った。私も水の瓶を受け取った手がさすがに震えたし、喉もうまく水を飲み込めなかった。

 ここはバットンの南に位置するところで、何隊か、偵察任務から帰還した部隊を受け入れているようだった。

 これを本隊に届けてくれ、とガフォルがジュンから受け取っていた地図を手渡したが、すぐにヴァフォルが「何枚かに書き写して、絶対に届くしたほうが良い」と助言した。兵士たちは紙とペンを用意して作業を始めた。

 それを見ながら、粥のようなものが配られ、冷え切ってはいるが消化は良さそうだと思いながら、器から直接、少しずつ腹に入れた。さすがに今、固形物は体が受け付けなかっただろう。

 ホークはずっと黙っていた。

 私は許可を得て、土塁の上に上がった。守備する兵士たちが、下にいる魔物が上がってこようとするのを長い槍で突き倒している。矢を使うのは無駄な消耗、というわけだ。

 私は魔物も兵士も無視して、南を見た。

 まだ雨が降っているようで、煙っていて何も見えない。

 魔物はいる。

 しかし、人の姿はなかった。



(続く)

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