3-17 緊急事態
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全く最悪なこと。どこのどいつなのか。
ぶつぶつとホークが愚痴をこぼしながら先頭を駆けている。
私と他三人のコルト隊からの傭兵は、無言で彼女について行っていた。正確にはホークの馬術は相当なもので、ともすると距離が開きそうになる。
両翼はウッドとジューナという二人で、真ん中にオンバという女性の傭兵、最後方が私だった。
ホーク隊は魔物の集合地点を探り出すことができず、南進からやや西進した。そこで北に進む向きを変えるか、私以外の四人で議論になっていた。もちろん足は止めずに西へ進みながら、魔物を撃退しながらだ。
私が意見を求められなかったのは純粋に経験不足だからで、私自身も自分が有意義な提案ができるとは思えなかった。
魔物の密度はやはり薄いとホークたちが話していたから、魔物の集団が形成されているのは間違いないはずが、痕跡すらも見つからなかったのは何故か、と彼らは検討していた。
しかし答えが出るより前に、事態は動き出した。
西へ進み続けて日が高くなった時、オンバがまず緑の狼煙に気づいた。だいぶ後方、つまりやや東寄りの地点らしい。
緑の狼煙は、任務の達成を意味して、あとは各自で必死に逃げ帰るだけになることを意味している。ただ赤い狼煙には注意しないといけない。特に、緑の狼煙を上げた隊を保護するのは絶対だし、守りきれない時も情報だけは誰かしらが持ち帰るのが、最悪の形での任務達成となる。
だから私たちは北上を開始しながら、東側に注意を払っていた。
それを見つけたのは、ウッドで「あれを見ろ」と彼は自分たちの右手側を指差した。
赤い狼煙が上がっている。それも二本、だろうか。だいぶ風に散らされているから見逃しそうだ。
煙は広く拡散していて、遠近を測りづらい。目を凝らして観察して、どちらかといえば色が残っている方が奥で、霞んで背景に同化するほどに薄い膜が手前にあるように見える、気がする。
手前の狼煙が先に上がり、その向こうに見えるのは先の狼煙に呼応した狼煙だろうか。
ホークの判断は早かった。
五人で北上を中止し、南東よりやや東寄りを目指して駆け出した。
魔物は周囲にうようよいる。北上する時はそれほどでもなかったが、東進を始めると魔物の壁は厚くなった。馬で突っ切って行っても、追いすがって来る。私がそれを槍とイレイズのファクトでなぎ払い、防ぐ。
赤い狼煙はすぐに消えてしまった。ただ、さらに東寄りで赤い狼煙が上がっている。
こういう時、通信手段の不備が頭に浮かぶ。
先に消えた狼煙二つは、どうなったのか。全滅したのか、逃走に成功したのか。
今、見えている遠くの狼煙は、新しい危機的状況なのか、それともさっきの狼煙とつながっているのか。
ぶつぶつとホークが愚痴をこぼしながら、丘をいくつも越えていく。
それが見えた時、かすかにホークが息を飲み、次に馬を疾駆させ始めた。
私にもそれが見えた。
丘の上に仁王立ちになっているのは、間違いない、コルトだった。
その周囲を二人の傭兵が動き回り、次々と魔物を倒している。そしてその奥で、三人の傭兵が馬を守っていた。
ウッド、ジューナ、オンバが駆け出してホークを追っていく。
私は彼らの背後を守りながら、丘へ回り込んだ。イレイズの力を使えば、だいぶ他の傭兵の負担を減らすことができる。
丘をぐるりと回り、丘へ駆け上がる。
馬がほとんど限界だ。降りて、しかし馬の世話をする前に、コルトに駆け寄った。
「意外に悪くない顔ぶれが揃ったな」
そういうコルトの口調はいつも通りだが、顔に血の気がない。具足の脇腹のところが抉れているように見えた。
ホークは金属製の弓を構え、見えない矢をつがえ、続けざまに不可視の攻撃で魔物を消し飛ばしていた。
周囲を駆け回って戦う傭兵二人は、ジュンとイリューだ。
そして馬を守っているのは、見知らぬ二人の傭兵と、リツ。
「話をしている暇はない、と格好をつけたいが、かと言って、今は動けん」
コルトがそう言って背後に視線をやる。
彼が立っている後ろに、寝かされている傭兵が三人いる。三人とも私は顔を知っていた。コルト隊の傭兵で、偵察任務でコルトの直下になったものだった。
四人いたはずが一人足りないのは、そういうことだろう。
三人は治療も施されていなかったらしく、ウッドとオンバが医療器具を取り出し、処置を始めた。しかし出来るのは応急処理だ。二人とも医者ではない。
「こいつらを無事に逃がす必要がある」
そういうコルトの声には、どこか悲壮なものがあった。
「とにかく、今の体勢ではな」
私にコルトがまっすぐな眼差しを向けた。
「お前の力を頼らせてもらう、ユナ」
はい、と頷いて、私は槍を構え、一度、浅く、しかしはっきりと呼吸した。
血の匂いと肉の匂い、鉄のような匂いと腐臭の混合物が胸を苦しくさせた次には、日常では抱くことのない冷酷さ、残酷さがやってくる。
殺戮の時間。
闘争のみの世界。
勝つことが難しい、分が悪すぎる運命を、力で、暴力で、気力で切り抜ける仕事。
私が一歩を踏み出し、その時には両手の間で槍が踊り始める。
魔物のことを考えるのは、一切、やめた。
物体を破壊するように、私は能力を解放した。
不可視の波濤が、戦場を席巻した。
魔物の体が砕け散り、地面は抉れ、舞い上がった土煙さえもが消滅する。
まずイリューが、次にジュンが戻ってくる。
この丘を死守して、時間を稼ぐ。
私が考えるより、経験十分の彼らが結論を導き出すべきだ。
私はやっぱり、一振りの刃の方が性に合っている。
どれだけの数を仕留めたかはとっくに忘れていたし、そもそも数えてすらいなかった。
敵は数かぎりない。
倒しても倒しても、終わりはない。
ここは敵地のど真ん中だった。
それでも不思議と不安にも恐怖にも支配されないのは、やはり背後にいる、彼らの力だろう。
頼れる仲間がすぐそばにいることが、私から怯えを拭い去っていた。
(続く)




