3-14 口にできない質問
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早朝、目が覚めてすぐに身支度して、私は走りに出た。
いつからか習慣のようになっている。昔、リツがそうしていたことも考えないではない。
まだ日が昇ってもいない薄闇の中でも、走っているものは他にもいる。どこかの傭兵団か傭兵隊が、新人の訓練のためにそうさせている。他にも零細の傭兵も走っているようだ。
リツの姿は見なかったが、リッツェの拠点の中へ戻ってみると、当のリツがオー老人と稽古をしていた。
昨日も見たが、とんでもなく危険な稽古だった。
両者が真剣を向け合い、技を繰り出す。どう見てもオー老人が主導権を握っていて、リツの稽古になるかは謎だった。相手の技を見切る訓練、その技を見切ってからの逆襲をする訓練にはなるだろうけど、そういう受けではなく攻めの技はどうするのだろう。
パッと血飛沫が飛び、リツが大きく間合いを取る。
取って、即座に前へ飛び出す。
二人が交錯。
急停止、急旋回。
二人の刃がすれ違い、間合いができる。
ふぅっとリツが息を吐き、一方のオー老人は足元に置かれていた酒瓶を手に取る。
偶然だろうか、それともあの老人は酒瓶がある位置を狙って間合いを取ったのか。
オー老人が酒瓶から直接、中身を煽っている間、リツは呼吸を整え、目を細くしていた。
二人は合図も何もなく、再びぶつかっていく。
キラキラと光るのは汗だろう。
呼吸の音、靴が地面を削る音、刃が空気を引き裂く音。
気迫同士がぶつかり合う、捻れた圧力。
二人がどちらからともなく離れ、しかしそこへリツが素早く踏み込んだ。
オー老人が剣を構えようとし「ムゥ」と唸った。
一瞬でリツの剣がオー老人の首筋を切り裂きそうになり、首に触れる寸前でピタリと停止し、オー老人はぼんやりとそれを見てから、膝からがくりと崩れた。
まさか斬り殺したのか、と駆け寄ろうとするが、リツは平然と剣を鞘に戻し、屈み込んで何か話しかけている。私のところまでオー老人がむにゃむにゃと声を発しているのがわかったので、やっと安心した。眠っているだけなのだ。
リツがぐっとオー老人を抱え上げて、こちらに笑みを見せる。どうやら私に気づいていたらしい。
「早いね、ユナ。眠れなかった?」
「いつもこれくらいには起きるよ」
そんなやり取りの後、自然とオー老人を宿泊所に運ぶ道を並んで歩いた。
昨日の夕方、リツには十分に謝罪したけど、あの神官戦士の一撃を受けて無事だった理由ははっきりしなかった。
後ろに飛んで体を逃した、なんてそれっぽいことを言われたけれど、私はあの場面をはっきり見ている。
リツは前に進んでいて、ちっとも後退しなかった。
掌底が繰り出された時、リツにはその打撃の威力と同時に、自分が前に向かっている勢いが加わって、打撃以上の破壊力が彼を襲ったはずだ。
それにとんでもなく吹っ飛び方をしていたし。
死んでもおかしくなかった、というか、死ぬ以外に可能性はなかっただろう。
でもこうして普通に生きているんだから、おかしな話だ。
あの神官戦士がどこかで手加減したのだろうか。でも私には本気の一撃を繰り出してきた。足を滑らせるという偶然がなければ、どうなっていたかわからない。
リツを問いただすべきか。
それとも知らないふりをしておくべきか。
宿泊所の部屋にオー老人を置き去りにして、ついでにリツは服を着替えてきていた。さっきまでの稽古着はボロボロで、血に汚れていたのだ。リツが平然としているので、何か、自分の方がおかしい気もした。
朝日が射す中を、二人で食堂へ向かった。昨日の今日でいい顔はされないだろうけど、あそこ以外の食堂を私は知らない。リツは「喧嘩なんて日常だな」と言っていた。
「あの老人のお酒はどこからくるの?」
結局、私はリツのことについて質問するのをやめた。
代わりに、それはそれで意味のある質問をした。
人類を守り隊なんていう傭兵隊のことはよく知らないけど、ここ数日の観察で、あのオー老人の飲みっぷりもだが、あれだけの酒の調達が簡単にできるとも思えない。
「うちは飢えたりすることがないように、兵站だけはしっかりしている、ってことなんだよなぁ」
そう言いながら、ポンポンとリツが腰に差している剣を叩く。
「これもルッツェの拠点で簡単に手に入る量産品じゃなくて、調達担当の人が用意してくれた」
「ちょっと見せて」
鞘ごとリツが手渡してくれる。鞘も剣も飾りがほとんどなく、実用一点張りのようだ。
すらりと鞘から抜いてみると、綺麗に研がれているし、よく切れそうだ。
鞘に音を立てて戻し、剣は返した。
「どこかの商人が参加しているってこと? それとも契約しているだけ?」
「専属って言えばいいのかな。どこから銭がそんなに入るかは知らないけど、物資の調達と買付、輸送を取り仕切っている人がいるんだよ。だから、オー老師のところには次々と酒瓶が届くんだ。それこそ、飲みきれないほどね」
「あんなに飲んで、大丈夫なわけ」
うーん、とリツが腕組みをして、首を捻る。
「心臓が急に止まる、とかがありそうなところだけど、あれだけ元気な人がいきなりそうなるもの?」
「いや、私に質問されても困るけど」
「本人が飲みたいんだから飲ませておいているけど、やめさせる方法もないよ。別に俺以外に迷惑がかかっているわけでもないし」
それはその通りだけど、健康っていう奴は重要な気がする。
食堂が見えてきて、さすがに少し緊張した。精霊教会の誰かが食事をしていたら、そっと逃げることにしよう。
そんな覚悟をして中に入ると、果たして、白い外套は一つも見えなかった。
その代わりに、巨大な背中が見え、その人物と向かい合っているのはジュンだった。
彼女が私に、そしてリツに気づき、さっと手を振る。コルトも振り返り、笑みを見せて私たちを手招きした。
反射的に、断れないかとリツの方を見たが、リツは「行こうか」とあっさり口にして、料理を取りに行った。
ちょっとは私の感情を読んでくれてもいいものだけど。
結局、ジュン、コルトのいる卓に、私とリツが合流することになった。
(続く)




